4年前の8月14日、終戦70年を迎えるにあたり、安倍晋三は、閣議決定のうえ、内閣総理大臣談話を出した。
いま読むと、構成もよいし、情感あふれる名文である。しかし、本当のことではなく、聞いて心地の良いことを言っているだけだ。ここに、安倍晋三に騙される人たちの出てくる要因がある。
安倍晋三の話を注意深く聞くか、彼の行ったことで検証しないといけない。
談話は29の段落からなる。
書き出しの第1段落は次である。
《 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。》
非常にまっとうなことを言っている。しかし、「心静かに」という語句が、安倍晋三の巧妙さを表わしている。「振り返り」だけで充分なのに、この語句を付け加えることによって、聞き手の心に、自己の正当性を訴えている。
この後、第2段落から第10段落までが「先の大戦への道のり」の振り返りである。第2段落から第4段落の初めまでは、日本が欧米による植民地政策に抗し、アジアやアフリカのヒーローのようにも読めるが、現実の歴史は異なる。
日本は、1895年に台湾を植民地化し、1910年に韓国を植民地化し、1932年に中国北部を「満州国」と称して植民地化した。
第1次世界大戦では、中国のドイツ領を占領し、戦後、日本領土にしようとしたが、欧米から非難され、手放した。
1917年のロシア革命にともなう内乱では、日本は欧米とともに白軍(反革命)支援の名目でシベリアに派兵し、シベリア南部を占領しようとしたが、失敗に終わった。
この時代の日本は欧米による植民地政策に抗したというよりも、欧米の領土拡張競争に加わったという方が適切である。
第4段落では、1931年の「世界恐慌」にともなう「経済のブロック化」によって「日本経済は大きな打撃」を受け、「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しよう」とした、と歴史を振り返る。
これは、経済的に追い詰められたから武力をふるったような表現だが、米国との戦争の直接的な理由は、1928年に始まる日本の中国侵略を米国にたしなめられ、1941年に日本側から米国に開戦したものである。
第11段落は次のように、戦争の時代を総括する。
《 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。》
これも不思議な表現で、「尊い犠牲」とは何のことを言っているのかわからない。第7段落から第10段落にかけて、それを定義しているつもりだろうが、具体的に何を言っているのかわからない。
第9段落は
《 戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。》
で閉じるが、誰が何のために「傷つけた」のかが書かれていない。
第10段落は
《 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。》
で始まるから、「傷つけた」のは「我が国」とも読める。しかし、「苛烈なものです」がすぐ後に続くので、「戦争が悪い」という感傷で終わる。
すると、「尊い犠牲」とは、「戦争は苛烈なものです」という認識を共有するためのものになってしまう。そんなことのために、みんなが死ななければならないのか、兵士の性欲を満たすために膣を捧げなければいけないのか、あまりにも馬鹿げている。腹だたしい。
第12段落から第29段落からは、日本の決意を述べたものである。
このなかで、注目すべきは、第17、18段落と、第19~22段落、第23段落である。
第17段落はつぎのように適切なことを言っている。
《 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。》
それなのに、安倍政権は、現在、韓国の慰安婦や支援者が慰安婦像をつくったことで、韓国政府を非難し、また、徴用工やその支援者が裁判所に賠償を訴えたことで、韓国政府を非難する。「辛い記憶は癒えることない」のだから、日韓政府の争い事項にしてはならないのである。
第19~22段落では、日本から損害や苦しみを受けた人々から、戦後、日本が「寛容な」扱いを受けてきた、という事実を語っている。ならば、韓国国民にたいして、日本政府も寛容な態度を取れないのか。
慰安婦像を日本大使館前に立てたって いいじゃないか。「癒えることのない辛い記憶」が、それで、少しでも軽くなれば、すばらしいことではないか。
韓国の最高裁で賠償の判決が出たのだから、訴えられた日本企業が賠償金を払うことを日本政府が邪魔しなくたって いいじゃないか。
「辛い記憶」は「新しい喜び」によってのみ風化していくのである。
第23段落は次である。
《 あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。》
そうなら、戦争の記憶を引き継いだ「私たち」は、歴史を書き換えることなく、「癒えることのない辛い記憶」の人々に、「寛容なこころ」で向き合って、争わないことがだいじではないか。
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次の官邸のウェブサイトで、戦後70年安倍談話は、いつでも読める。
https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
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