NHK《BSプレミア》で、『極上美の饗宴 闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲「國之楯」』(2011年)の再放送を深夜に見た。
午前0:45からであったにもかかわらず、私は、小早川秋聲の鬼気迫る絵画に魅せられ、見続けてしまった。
『國之楯』は、1943年、小早川が、陸軍の要請で 従軍画家として ビルマ戦線に向かい、帰国して翌年に仕上げ提出したが、受け取りを拒否された戦争画である。
NHKの番組タイトルは「横たわる兵士」とあるが、腰に軍刀を指しているから、「将校」である。それも位階が高い将校と思われる。顔は寄せ書きのある日章旗で覆われ、革の手袋をした手は胸に置かれている。
その横たわる将校のまわりが黒で厚く塗りつぶされている。
黒のつくる闇が、この絵の鬼気迫る迫力を生みだしている。
番組は、絵の裏に書かれた画題の変遷から、その後、二度の改作があったとする。軍部に届けたときの画題が『軍神』、その後、『大君の楯』に、そして、1973年の最後の画題が『國之楯』である。
小早川は、どのような思いで、この絵を描いたのか? なぜ、軍部は受け取りを拒否したのか。
それをNHKの番組は発見された下絵や赤外線調査などから探る。
アニメ『火垂るの墓』をとった高畑勲が番組の進行役を務める。
軍人のまわりを黒で厚く塗りつぶし、闇に何かが隠されたと番組で聞いて、突然、多数の邪鬼が、餓鬼が、死者の魂を喰うために集まっているさまが、闇の中に私には見えてきた。昔、プラド美術館でみた、黒い絵(Pinturas negras)の邪鬼かと思ったが、あとで確認すると違う。目の前に浮かんだ邪鬼は正面を見据え、頭の上が盛り上がっていて、落ちくぼんだ目は大きく開けられ、口は舌がはっきり見えるほど、上下に開けていた。誰の絵の邪鬼が見えたのか、私にはわからない。
番組では、黒く塗りつぶされたのは、横たわる軍人のまわりの桜の花と、風で画面いっぱいに舞い散る桜の花びらだ、と、赤外線写真からわかる。
これが、番組の進行役にアニメ『火垂るの墓』の高畑勲監督をNHKが選んだ理由でもある。
NHKの番組制作者は、『軍神』を戦争の悲惨さを描いた反戦画を捉えたのだと思う。
☆ ☆ ☆
小早川はもっと単純に考えていたのではないか。
『軍神』は、お国のために桜の花と散る軍人を描こうとしたのではないか。そして、その絵の受け取りを軍部に拒否されることで、軍に対するわだかまりを持ち、戦後、さらに、世間に怒りをもって、桜の花や花びらを黒で塗りつぶしたのではないか。
1944年、絵を受けとった軍部は、ビルマ戦線でのインパール作戦の悲惨な状況を知っていて、「桜の花びらとなって死ぬ軍人」の絵を受けとる心の余裕がなかったのではないか。
小早川も、『軍神』の返却後、無謀なインパール作戦で日本軍が負け いくさをし、退却のなかで、兵士が飢えと病(やまい)に倒れ、そればかりか、死に行く仲間を肉として、途中の村人に引き渡し、食べ物を得ていたことなども知ったのではないか。
ウィキペディアで調べると、小早川秋聲の母は、子爵の九鬼隆義の妹で、恵まれた少年時代、青年時代を送り、欧米や中東や中国を旅している。
陸軍に志願し、陸軍中尉までになっている。
小早川は、関東軍の寺内寿一大将、荒木貞夫大将とも親しく、1931年から1943年まで、陸軍の従軍画家として、アジア各地に将校待遇で従軍している。
家族の話を聞くと、教養ある自由人で、大きな邸宅を京都に構えていた。
小早川はロマンチストとして『軍神』を描き、軍部に受け取りを拒否されて、現実を意識し、さらに敗戦で自分が否定され、しかし、自分を変えられず、敗戦で変身した世間に怒っていたのではないか、と思う。それが、桜の花びらを黒で塗りつぶし、横たわる軍人を闇の中に置いた理由だと思う。
小早川の絵の闇の中に、死者の魂を喰らう邪鬼と餓鬼を見た私は、間違っていなかったと思う。
[参考文献]
白石敬一:第2次世界大戦における日本の従軍画家に関する一考察
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