きのうの朝日新聞に『安倍元首相は戦後日本の因習を破壊した』というワシントン特派員からの記事が載っていた。2020年出版の安倍晋三伝記 “The Iconoclast”を書いたトバイアス・ハリス(Tobias S. Harris)へのインタビュー記事である。
彼の本を読んでいないが、「安倍氏は欧米的な潮流ではなく、幕末の思想家たちの系譜にあるのだと思う」には同感だが、ほかは、インタビュー記事に違和感を覚える。この機会に記事が出たのはたぶん近々どこかの出版社から翻訳が出るからだろう。
“iconoclasts”とは「因習破壊者」としてここでは理解されているが、歴史的には、東ローマ帝国衰退期に起きた国家による宗教規制(宗教迫害)のことである。
ローマ帝国はキリスト教を国教とすることで、皇帝の権力を強めた。東ローマ帝国の宮廷では、この世の天国とも思われるような神々しいキリスト教の儀式が行われた。いっぽう、この国家によるキリスト教の独占に不満な修道士は直接人々にキリスト教を伝えた。このとき、キリストや聖人の像を描いたイコンが儀式のかわりに信仰の中心になった。この底辺の人々の信仰に対して上から抑え込もうとしたのが、iconoclasmである。結局、東ローマ帝国はそれに成功せず、いまでも、キリスト正教徒の世界では、イコンは作られ、信仰の中心になっている。
したがって、“iconoclasts”とは、単なる「因習破壊者」ではなく、「上からの因習破壊者」である。権力者から見た統治の問題である。
“iconoclasts”は十戒の「偶像崇拝禁止」を盾に人びとのイコン信仰を取り締まったのだが、もともとユダヤ教は神を石や金属で形作るのを禁止していたわけではない。
トーマス・レーマーは『100語でわかる旧約聖書』(文庫クセジュ)のなかで、古代イスラエルでは、偶像排斥は、神ヤハウェの像に対面させる形で他の神々の像を置くことを禁じたものであると書いている。これが、「偶像製作禁止」となるのは、バビロン捕囚から解放されたペルシア時代に神殿再建にあたって、ペルシアの従属国として、自分たちの偶像をもたないことを正当化するために、いっさいの偶像を作らない持たないを自分たちの宗教的信条としたのである。日本が77年前、アメリカ政府によって武装解除されたとき、国家間の紛争を武力で解決しないことを理念として憲法に記したことと同じである。
安倍の「上からの因習破壊」とは、「戦後レジームからの脱却」のことである。それでは「戦後レジーム」とは何か。占領軍のもたらした「民主主義化」である。
ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)にその「民主主義化」がなんであったかがまとめられている。
1945年10月4日、マッカーサー最高司令官は、政治的表現に対する制限を廃止せよと日本政府に命じた。治安維持法は無効とされ、政治犯が監獄から釈放された。内務省の特別高等警察組織も廃止され、内務省と警察の最高責任者たちは公職から追放された。
11月のはじめ、財閥の家族が自分の強大な王国を支配する道具としていた「持ち株会社」の解体がはじまった。また、農地改革が開始され、数年のうちに農民を搾取する地主制度を破壊し、自作農層を大量に作り出した。財閥解体は新しい企業の創出、農地改革は食料の増産と、それこそ、「新しい資本主義」として日本の経済繁栄の礎を作った。
12月15日をもって国家神道が国家から分離された。12月22日、労働者に団結権、スト権、団体交渉権を与える労働組合法が総司令部の圧力で国会を通過した。
翌1946年から、戦争犯罪人の裁判と共に、総司令部の追放令によって、約20万人が公職につくことが禁じられた。10月29日に新憲法が枢密院で可決された。新憲法は「民主主義化」の基本理念を成文化しただけでなく、日本が国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることを禁じて、民主主義化の理念を「非軍事化」と固く結びつけた。
さらにその後の2年間で、民法や刑法が改正され、「封建的」な家族制度は廃止され、婦人に参政権が与えられ、警察は分権化され、労働条件を規制するための法律が制定され、教育の制度も内容も改定され、選挙制度は刷新され、地方自治が奨励された。
確かに「占領軍による民主主義化」であるが、私は、日本の支配者層の横暴を抑えるために いまなお必要なものであり、「戦後レジームの脱却」は不必要であると考える。
安倍晋三は、祖父の岸信介を戦争犯罪人として逮捕した「民主主義化」に反発して国家主義に走っているだけである。
安倍晋三は死んで良かった。ろくでもない男である。
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