猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

左と右、左利きと右利き

2020-01-28 22:39:29 | 脳とニューロンとコンピュータ

私の父は左利きであったという。私の母がそう言うのである。父の父、私の祖父がムリヤリ右利きに矯正したのだと母が言う。確かに、左手が右手と同じように使えるから、そうかもしれない。

母は、祖父がそういうことをしたから、父が気の弱い人間になったと言う。だから、左利きをムリヤリ直してはいけないと言う。

子どもに無理じいしてはいけないと思うが、「気の弱い」というのは、そのまま受け取れない。「押しが弱い」だけだ。別の言い方をすれば、aggressiveでないだけだ。
押しが強いということがそんなに良いことだと思わない。押しが強いということは、誰かを押しつぶすことになる。

母は義父、私の祖父が大嫌いだったから、ちょっと言い過ぎたのだろう。母も父も死んで、いまは、私の記憶の中でだけ生きている。

また、NPOで私の担当した女の子に左利きがいた。左手で字を書くのである。

ある日、その子が、ひとりで漢検の練習のために、右手の人差し指で漢字をなぞっているのをみた。左利きなのに、右手で漢字をなぞるのがとても不思議に思った。どうも、書き順を覚えるのに、はねるところ、とめるところなどを覚えるために、右手でないとダメらしい。

左利きだと、左利き用の道具でないと具合がわるいと よく言われるが、漢字が右利き専用にできていることを、このとき、はじめて理解した。甲骨文字の場合は、左利きでも右利きでも問題がない。ところが、筆で字を書くようになってから、右利き用の書体になった。教科書体や明朝体は、差別的な書体である。

私自身はべつに左利きではない。しかし、どちら側が左か右かが、とっさに出てこない。左か右かの混乱が生じる。

子どもとき、私は、自分の右側の手が、向かい合った人の左側になるのが、理解できなかった。小学校でラジオ体操をするとき、先生と同じように手足を動かしているはずなのに、みんなと反対になってしまう。向かい合っている先生と同じ側の手足を動かしてはいけないのだ。

これがトラウマになって、頭の中で左、右を意識すると、どちら側が左なのか、右なのか、私は困ってしまう。

私の混乱は、数学的には、鏡面対称の問題である。鏡に映った自分は、右手をあげれば、右側の手があがる。大人になって、理屈としては納得できたが、いまでも、混乱する。


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