今回の参院選の投票率は52.16%だった。前回の参院選より3%高いといえ、過去4番目に低い水準になる。日本の国民のうち、半分しか、政治に関心がないようである。
朝日新聞の出口調査によると、比例区で自民党に投票した人は、世代によらずに、36%から38%である。べつに若いからといって、政権与党よりではない。20代は36%、50代と70歳以上が38%である。また、テレビでは政治評論家の田崎史郎が、比例区での自民党票が減っていると指摘していた。
にもかかわらず、自民党の当選議員数は、改選定数125席の半分を超える63議席を確保した。日本は、これからも、国民の20%の意思で動くことになる。
この事態は、古い言葉で言えば、日本の国民は、支配層以外、「階級意識」がないということになる。自分の生活苦を自己責任だとするのは、本来、オカシナことである。不公平だと不満を唱えることは、本来、あたりまえのことである。
外岡秀俊の『傍観者からの手紙』を読んでいたらつぎの文にぶつかった。
〈戦後日本で自分を「中流」と考える人が9割に近くに達したころ、ある社会科学者の分析を人づてに聞いたことがあります。(略)代議士には権力があるが富と地位はさほどない。企業主には富があるが権力と地位はそうない。大学教授には地位があるが権力と富がない。誰にもそこそこの取り柄と誇りがあって、しかも誰もが全てをそなえていない。〉
私は、これを読んだとき、この社会学者は、政治家と企業主と大学教授しか、国民と考えていないことに、いきどおった。外岡はこのエッセイ集を2003年から2005年のあいだに書いており、当時、朝日新聞ヨーロッパ総局長である。
これを読むうちに、日本の「世論」というものも、国民の20%を対象にして作られているのではないか、という疑念がわく。
やはり、日本国民は「階級意識」に目覚め、あやしげな知識人の述べる「良識」をぶっ飛ばさないと、安倍晋三のような詐欺師に、また、岸田文雄のような詐欺師に、自分たちの運命を握られることになる。
人を殺すことは悪いことだが、安倍晋三が殺されてよかったという本音が言える社会こそが、民主主義社会であると私は思う。犯人によって、日本の保守政治家の多くが一宗教団体に汚染されていたことが明らかになった。
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