猫じじいのブログ

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政治不信と不安「わかる選挙」への渇望、宇野重規

2024-07-26 04:03:55 | 政治時評

きのうの朝日新聞に宇野重規が論壇時評『都知事選が示した民意 不信と不安「わかる」への渇望』を書いていた。「「わかる」への渇望」とは「わかりにくい」タイトルである。

選挙を民意の反映プロセスとすると、有権者は多様な政党や候補者の中から自分の立場を代弁するものを選ばなければならない。有権者にとっては、どの政党や候補者を選べばよいのか、「わかりにくい」というのが、宇野重規の主張である。

これは別に都知事選に限ったことではない。また、政治に限った問題ではない。

私は果物が好きである。果物の味は、同じスイカでも、同じ桃でも、同じメロンでも、大きく異なる。食べてみないとわからない。しかし、食べる前に、お金を払う必要がある。

高額な電化製品の場合も、買って使ってみないと、使いやすいのか、どれだけ壊れずに働き続けるのか、わからない。

私がまだ子供のとき、私の親父は、選挙のたびに、自民党の新人を応援して投票していた。そして、選挙が終わってしばらくたつと、いつも裏切られたと怒っていた。子どもの私からみれば「自民党」に投票するから悪いのだと思っていた。

商品の購入では、このような判断を「ブランド」と値段でするということになる。電気洗濯機は「東芝製」より「日立製」が壊れにくいとか、そういう噂にもとづいて買うことになる。

選挙が「わかりにくい」というのは、まず政党の「ブランド」イメージが壊れたのだと思う。最初にそれが壊れたのは1990年代ではないだろうか。それ以前は「革新」か「保守」という「ブランド」イメージが機能していた。「革新」を期待する人は「革新」に、「保守」を期待する人は「保守」に投票した。

私の親父をダマしつづけた「新人」というのも「ブランド」イメージである。1990年代に起きた「新党ブーム」も「ブランド」イメージによる有権者ダマしである。

商品の場合、「ブランド」イメージの確立や維持には、かなりの企業努力がいる。そのために、企業は商品の品質管理に努めるとともに、莫大な広告費を使うことになる。「広告」は、電通や博報堂が言うような「ニーズの喚起」や「欲望への刺激」だけでなく、企業イメージの確立(事実上の詐欺行為)やマスメディアの共犯者化(メディアの買収)として働く。

今回の都知事選で2位の石丸伸二の選対事務局長はマニフェスト選挙を批判している。政策をいくら細かく説明しても、その政策は実現できるか、わからない。そんなもので有権者は候補者を選ばない、と言う。

確かに選挙マニフェストは商品の機能表示のようだが、政治の場合、権力を握ってからでないと、マニフェストに表示された結果は生じない。しかも実現に時間を要する。

2009年、民主党はマニフェストを示し、選挙に勝って政権を獲得した。しかし、マスメディアはマニフェストが実現しないと叩き、民主党政権は 3年と もたなかった。民主党はマスメディアを味方につけておかなかったからである。すなわち、広告費を使ってマスメディアやコメンテータを買収しておかなかったからである。

石丸伸二の選対事務局長が言うように、石丸は「新人」というブランドを使ったのである。「(石丸は演説で)『小さな問題はどうでもいいんだ』と言って『政治を正すんだ』という話しをずっとやり続けた。それでも来る人の8、9割は『すごい』と言って帰っていく」のだ。

このことからすると、「「わかる」への渇望」という要求に、どだい無理な点がある。「チョコレートの味は食べてみないとわからない」のだ。

したがって、選挙だけで民意を反映するのではなく、政治への民意の表現の場を日常的に設けなければならない。マスメディアが買収されても、政治への不満が述べられる場が必要である。

インタネットがその役割をするとは言えない。

インタネットには大量の情報があふれている。どのSNSも企業が運営している。国民は、企業の作ったアルゴリズムを通して、情報にアクセスすることになる。企業がアクセスする情報を管理しているのだ。いっぽう、権力者側はAIを使って誰が「反権力的」か同定できる。

このように私たちはとても難しい時代に生きている。自分たちを自分たちで権力者から守る文化を生む必要がある。



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