猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ホッブズの「人間の平等」、アーレントの「見捨てられた人々」

2024-02-06 14:43:48 | 思想

きのうは雪で自宅でぼっと本を読んでいた。ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』の訳本が難しくて、読みだして2か月近くになるが、読み戻ったり、読み進んだりしている。

彼女の本を読みだした動機は、昨年からのイスラエルのガザ侵攻である。かつてナチスに虐殺されたユダヤ人の子孫がなぜパレスチナ人を執拗に虐殺しつづけるのか、という疑問である。私は彼女の本から答えをまだ得ていないが、世界にはいまなお正義などはなく、敵をせん滅しない限り、自分たち、あるいは自分が生き残れないという被害妄想にあるのではと考えている。

彼女は、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を引用して、つぎのように述べている。

「人間の平等は、ホッブズによれば、各人は生まれながらに他人を打ち殺すだけの力を持ち、弱さは奸智によって補われるという事実に基づいている」「国家は権力(パワー)の委託によって成立するのであって、諸権利の委託によってではない。それによって国家は殺人能力の独占をかちえて、その見返りに人々を殺害から守る条件付き保証を与える」。

また、本著『全体主義の起源』は1955年に出版されたドイツ語版の翻訳だが、現在のパレスチナ地でのイスラエル政府の行う虐殺を予見している。彼女はつぎのよう書く。

「(第2次世界大戦)戦後になって明らかとなったは、唯一の解決不可能な問題とされていたユダヤ人問題が解決され得たこと、しかもその方法は最初は徐々に入植しそれから力ずくで領土を奪うことだったこと、だがこれによって少数民族問題と無国籍を問題が解決したわけでなく、その逆にユダヤ人問題の解決は今世紀のほとんどすべての出来事と同じように別の新たなカテゴリー、つまりアラブ人難民を生み、無国籍者・無権利者の数をさらに70万または80万人も殖やしてしまったことだった。」

イスラエル国は、1880年代からパレスチナ地に入植してきた東ヨーロッパのユダヤ人たちによって、1948年に軍事的蜂起で建国された。アーレントが生きていた頃は、イスラエルは周囲のアラブ諸国と戦っていた。アメリカやイギリスやフランスが中東の利権を守るためにイスラエルに軍事援助を続けた。

1970年ごろには、イスラエルの圧倒的な軍事力の前に、周囲のアラブ諸国はパレスチナのアラブ人を見捨てた。アラブ諸国との戦争に代わって、難民となったパレスチナ人の抵抗運動が、新たなイスラエルの脅威となった。しかし、軍事路線のPLOはイスラエル軍によって押しつぶされてしまった。このPLOの後継者はいまヨルダン川西岸にいる無力なパレスチナ暫定政府である。

ハマスは1990年代に石をイスラエル兵に投げる民衆の抵抗運動から始まった。イスラエルの恣意的なハマス幹部の暗殺に対抗し、いつのまにかハマスは、PLOのように武器をもつようになったが、明らかに粗末な武器しか持ち合わせていない。

無国籍・無権利のアラブ人難民がいるかぎり、今後もイスラエルはアラブ難民を殺しつつづけることになるだろう。これは、ジェノサイド(民族・人種集団の計画的殺害)にほかならない。

アーレントはつぎのようにも言っている。

「現代人をあのように簡単に全体主義運動に奔らせ、全体主義支配にいわば馴らせてしまうものは、いたるところで増大している見捨てられている状態(Verlasscenheit)なのだ。」

アーレントは「全体主義」への憎しみでいっぱいいっぱいであるが、全体主義運動だけでなく、見捨てられている状態はパレスチナ人の抵抗運動を過激化させ、アメリカでは労働者のなかにトランプ派を生む。立憲民主党は中間層の拡大を言うが、必要なのは弱者の声を代弁する政党であって、見捨てられた人々が社会のなかでふたたび活躍できるようにするのが、政治の役目であると考える。


今回の能登半島地震で志賀原発の再稼働を考えなおす必要がある

2024-02-02 12:28:03 | 原発を考える

(1月11日の朝日新聞2面より)

能登に断層型の大地震が起きて以来、この間、テレビで能登の珠洲に原発を建設しなくて良かった、滋賀町の原発を再稼働していなくて良かったという報道が流れている。私も心からそう思っている。能登半島の付け根にある志賀原発で大事故があれば、能登半島の人々は避難経路がまたっくなくなっていた。

1月11日の朝日新聞は、能登半島にある志賀原発の地震のリスクを2面すべてを使って特集していた。志賀原発は幸いなことに、2011年福島第1原発重大事故以来、原子炉をずっと停止していたので、大事故に至らなかった。しかし、福島第1原発の再来にならなかったといえ、問題がなかったわけではない。

朝日新聞は、北陸電力と原子力規制庁の資料から、地震によって生じたトラブルを9点あげている。

1号機の使用済み燃料プールの冷却ポンプが地震後40分間停止した。1号機、2号機の燃料プールからそれぞれ95リットル、326リットルの水がこぼれた。1号機、2号機ともに、外部から電源を受ける変圧器が故障した、1号機原子炉建屋近くで道路に段差が生じた。などなどである。

志賀原発の地下に多数の断層が走っている。この断層が活断層かどうか、長い間、活断層かどうかが、原子力規制委の再稼働審査で、問題になっていたという。直下の活断層が動けば、大惨事になるからである。

活断層かどうかは、12万年から13万年前以降に活動したかどうかで判断されるという。したがって、争っているのは、断層の生じた時期の推定にある。北陸電力は、断層の生じた時期の証拠を提出し、活断層でないと規制委に了承されたという。

私はそんな簡単なものではないのではと思う。金属などの破断現象からの経験によれば、地盤に圧力が加われば弱い所から壊れてしまう。実際、最近の知見を聞くと、時期で活断層かどうかの判定は当てにならないという。地盤にどの程度の圧力がかかっているかは、じっさいに、地盤が動いてから分かることで、圧力を測定する良い方法がないのが現状である。

きょうの朝日新聞に、能登地震のメカニズムについての特集があった。そのなかで、遠い過去の地震の研究者から、能登半島の繰り返す隆起から推定すると、数千年に一度は、今回のような大地震が起きているという。

今回のマグニチュード7.6の地震で、地震が打ち止めになったと誰も言えない。また、志賀町の沖にある能登沖西方活断層が今回動かなかったが、これから動きだし、志賀原発の建屋が傾くかもしれない。そうなったら制御棒なんて動かなくなる。

こういうことを考えると、わざわざ、志賀原発を再稼働する必要がないのではないか、私は考える。