きのうは雪で自宅でぼっと本を読んでいた。ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』の訳本が難しくて、読みだして2か月近くになるが、読み戻ったり、読み進んだりしている。
彼女の本を読みだした動機は、昨年からのイスラエルのガザ侵攻である。かつてナチスに虐殺されたユダヤ人の子孫がなぜパレスチナ人を執拗に虐殺しつづけるのか、という疑問である。私は彼女の本から答えをまだ得ていないが、世界にはいまなお正義などはなく、敵をせん滅しない限り、自分たち、あるいは自分が生き残れないという被害妄想にあるのではと考えている。
彼女は、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を引用して、つぎのように述べている。
「人間の平等は、ホッブズによれば、各人は生まれながらに他人を打ち殺すだけの力を持ち、弱さは奸智によって補われるという事実に基づいている」「国家は権力(パワー)の委託によって成立するのであって、諸権利の委託によってではない。それによって国家は殺人能力の独占をかちえて、その見返りに人々を殺害から守る条件付き保証を与える」。
また、本著『全体主義の起源』は1955年に出版されたドイツ語版の翻訳だが、現在のパレスチナ地でのイスラエル政府の行う虐殺を予見している。彼女はつぎのよう書く。
「(第2次世界大戦)戦後になって明らかとなったは、唯一の解決不可能な問題とされていたユダヤ人問題が解決され得たこと、しかもその方法は最初は徐々に入植しそれから力ずくで領土を奪うことだったこと、だがこれによって少数民族問題と無国籍を問題が解決したわけでなく、その逆にユダヤ人問題の解決は今世紀のほとんどすべての出来事と同じように別の新たなカテゴリー、つまりアラブ人難民を生み、無国籍者・無権利者の数をさらに70万または80万人も殖やしてしまったことだった。」
イスラエル国は、1880年代からパレスチナ地に入植してきた東ヨーロッパのユダヤ人たちによって、1948年に軍事的蜂起で建国された。アーレントが生きていた頃は、イスラエルは周囲のアラブ諸国と戦っていた。アメリカやイギリスやフランスが中東の利権を守るためにイスラエルに軍事援助を続けた。
1970年ごろには、イスラエルの圧倒的な軍事力の前に、周囲のアラブ諸国はパレスチナのアラブ人を見捨てた。アラブ諸国との戦争に代わって、難民となったパレスチナ人の抵抗運動が、新たなイスラエルの脅威となった。しかし、軍事路線のPLOはイスラエル軍によって押しつぶされてしまった。このPLOの後継者はいまヨルダン川西岸にいる無力なパレスチナ暫定政府である。
ハマスは1990年代に石をイスラエル兵に投げる民衆の抵抗運動から始まった。イスラエルの恣意的なハマス幹部の暗殺に対抗し、いつのまにかハマスは、PLOのように武器をもつようになったが、明らかに粗末な武器しか持ち合わせていない。
無国籍・無権利のアラブ人難民がいるかぎり、今後もイスラエルはアラブ難民を殺しつつづけることになるだろう。これは、ジェノサイド(民族・人種集団の計画的殺害)にほかならない。
アーレントはつぎのようにも言っている。
「現代人をあのように簡単に全体主義運動に奔らせ、全体主義支配にいわば馴らせてしまうものは、いたるところで増大している見捨てられている状態(Verlasscenheit)なのだ。」
アーレントは「全体主義」への憎しみでいっぱいいっぱいであるが、全体主義運動だけでなく、見捨てられている状態はパレスチナ人の抵抗運動を過激化させ、アメリカでは労働者のなかにトランプ派を生む。立憲民主党は中間層の拡大を言うが、必要なのは弱者の声を代弁する政党であって、見捨てられた人々が社会のなかでふたたび活躍できるようにするのが、政治の役目であると考える。