今日も午後も夕方近くになってから、ひとりで果樹園の温州ミカンを収穫しました。
わりあい暖かく、近所では、遊びに来た小さいお孫さんを車で送っていく賑やかな声が響いていました。
今日は、娘夫婦にミカン狩りに来るように言っていたのですが、
娘があまり元気がないようで取りやめになりました。
夕方になって、娘の旦那さんから孫ちゃんや娘の動画、写真が届き、近所の公園で遊んでいる様子がうつっていました。
娘はわりあい元気そうでよかったと思いました。
動画で、娘の旦那さんが孫くんに「君、昔はそれができなかったのに、できるようになったんだねえ。」
と、話しかけているので、
4歳半の子に「昔は・・・」だなんて、と、ひとりでクスっと思わず笑っている自分がいました。
そうだね。もう4年半も生きていたら、1年前でも2年前でも、昔になるもんね^^
そういう私は、もう何十年も生きているので、昔話が多すぎる人なんだな・・・
これも当たり前のことか。
***
夜になってNHK大河ドラマ「光る君へ」を観る。
「刀伊の入寇」1019年に起きた平安時代中期の、外敵が壱岐、対馬に侵入してくる事件があった。
刀伊とは、高麗で夷荻(いてき)→東夷(とうい)を意味する言葉で、日本では主に女真族(ツングース系の民族)をさします。
高麗の北辺をたびたび襲撃していた女真族が、壱岐、対馬にも押し寄せ、北九州の筑前国に大規模な襲撃を行い、多くの被害をもたらしました。
今回は、大宰府にまで旅をしていたまひろが、この襲撃事件に巻き込まれます。
史実では、まひろ(紫式部)がこの時期、この地に居合わせたかと言うと、不明なのですが、
そこはオリジナルの脚本なので。
藤原道隆の四男の藤原隆家が大宰府権帥として現地の防衛を指揮しました。
彼の迅速な対応と的確な処置により、女真族の撃退に成功しました。
隆家は、父の道隆は貴族貴族した人物なのですが、息子の隆家は武勇にたけているところが面白いですね。
同じ兄弟に、伊周、定子がいますが、両人とも短命でしたが、
隆家は、目の治療をするため大宰府権帥として、大宰府に赴き、武勇を働きました。
今回は、まひろを助けようとした周明の胸に敵の矢が刺さり・・・
絶体絶命のところで、次回はどうなる?