コロナワクチンとインフルエンザワクチンの同時接種のせいか、
左の耳がチクチク痛み、これ以上副反応が出ないように、今日は、畑仕事は休みます。
先日、映画「戦場のメリークリスマス」の原作を読むしか詳細は分からないなと思っていましたが、
原作を読む前に、映画だけ観て、自分なりに解釈できたことを、新たに書きます。
ここからはネタバレとなりますので、これからこの映画を観ようと思っている人はご注意ください。
大嶋渚監督は「この映画は同性愛を描いています。」と言われています。
ヨノイ大尉から、セリアズ少佐に向けられた恋愛感情はよくわかるのですが、
初回観た時は、セリアズからは、彼は自分の弟に対して、過去に見捨てたという罪の意識にとらわれて、
そのことをずっと背負っていて、セリアズからヨノイへの思いは、よくわかりませんでした。
でも、ロレンスと隣り合わせの独房に入れられて、ロレンスはセリアズに、女性との思い出話を語って聞かせるのに、
セリアズは、「僕にはロマンチックな思い出はない。」と「過去に犯した罪の記憶ばかりがよみがえる。」と答えています。
背中に障害のある弟は、歌うことが上手でした。
しかし、寄宿舎のあるパブリックスクールに弟が通うようになると、障害者である彼はいじめの対象になるのです。
最上級生だったセリアズは、成績優秀で寮長だったこともあり、新入生への恒例行事となっていたこの悪しきイベントを止めることができたのに、
自分の保身のために、いじめられている弟を観て見ぬふりをしました。
その結果、弟は歌わなくなったのです。
弟に対して詫びることもできず、月日は流れ、弟は結婚して父の農場を継ぎ、
自分は「32歳にして独身、少壮の弁護士といわれた、ただそれだけの男。」
と自嘲しています。
「弟の結婚式には行ったけれども、それ以降は会っていない。会って弟にあやまりたいのに、会わなかった。」
罪の意識を背負っていますが、
注目すべきは、弟はいじめられて歌うことに対してトラウマになったけれども、障害をかかえながらも、成長して、その後、理解ある女性と巡り合い、結婚して、
ちゃんと、親の農場の跡継ぎになっています。
兄の助けを借りずとも、兄が過去にどうこうしたとかとか関係なく、立派な男性に成長しているのです。
セリアズは容姿に恵まれ、文武両道でありながら、女性との思い出もなく、独身のまま・・・おかしいではありませんか。
セリアズは、女性に関心がないのかな‥と、ふと思ってしまいます。
映画の冒頭に、朝鮮人軍属カネモトと、オランダ兵デ・ヨンのエピソードがあります。
カネモトがデ・ヨンを犯したということで、切腹を命じられて、その場にいたデ・ヨンも自殺して、一緒に死んでしまいます。
この時代、男性同士の同性愛は禁じられていましたが、それは、キリスト教でもそうでした。
セリアズは、死んだ仲間であるデ・ヨンのために、花を摘んできて手向けますが、
ただ、仲間の死を思って手向けたのではなく、同性愛でもって殉死した彼のことをことさらに思い、
手向けたのではないでしょうか?
セリアズは、なぜ、ヨノイ大尉が自分が裁判で死刑になるところを救ってくれたのか、疑問に思っていました。
収容所で保養している早朝、ヨノイ大尉の剣道の大声に目覚めてしまいますが、
ロレンスから、「君が来てからずっとあの調子だ。」と言われ、
セリアズ「言いたいことがあれば言えばいいんだ。」
ロレンス「あれが彼の表現だ。」
セリアズ「彼も同じ穴のムジナだな。」
セリアズは、見てもわかるとおり、彼と自分は人種こそ違え、容姿端麗、文武両道で
周りから期待され、それを一身に背負わされて生きている。似た者同士なのだということかと思います。
裁判で、唯一、自分に対して公平な態度で接してくれたヨノイと互いに親しみを覚えたにもかかわらず、
友人としてかかわりを持つことが許されない自分たちのことを言っているのかもしれません。
セリアズはヨノイの命じた行の最中に、規則を破り、花と一緒にまんじゅうを病人の俘虜たちにも栄養を取らせるため与えたことで、
独房入りを命じられますが、セリアズが好きなヨノイは、独房で砂の上に寝るセリアズが不憫で
絨毯を差し入れています
さすがのセリアズもヨノイの好意がわかったことでしょう。
自分を裁判での死刑判決から救い、手厚く看護するよう計らったのも、
すべて、自分への好意からなのだと。
このあと、ヨノイの従卒から命を狙われますが、このじゅうたんで命拾いし、
絨毯にキスして、ロレンスを助け、逃亡を図りますが、ヨノイに見つかってしまいます。
ハラから銃で殺されそうになりますが、ヨノイがそれを身を持ってかばうことで、
また命拾いすることになります。
このとき、傍らにいたロレンスに「君は彼(ヨノイ)に、すかれているようだね。」
と、茶化すように言われていますが、
セリアズは、顔を伏せて何も言えません。セリアズもヨノイの気持ちはもちろんわかっているし、
ヨノイのことを大事に思う気持ち。そのことをロレンスに悟られたくない、自分の心の中にしまっておきたいという気持ちではないかと思われます。
この三度も、自分の命を救ってくれたこと。
それに、映画を観てもわかるように、デヴィッド・ボウイ演じるセリアズは美形で凛々しいのはもちろんですが、
ヨノイも美しいのです。坂本龍一さん演じるヨノイは、坊主頭にしているヨノイはが色気があって、
横顔が特にセクシーです。
こんなにも美しいヨノイを、セリアズも好きになれずにはいられないでしょう。
俘虜たちを広場に全員集合させて、その場に現れるヨノイ大尉を見て、
セリアズは「ここは美しい。」と周りの景色を観て言いますが、
それまで、大勢の兵士が銃を持って構え、俘虜たちを取り囲み、ものものしい空気が漂って、
不安そうなセリアズの顔も、ヨノイが現れたとたんに、周りの景色を見る余裕ができるのです。
自分のことを好いていてくれるヨノイを観て、心和らいだのではないでしょうか。
ヨノイは追い詰められて、狂ったようになり、自分の命令を聞かないヒックスリー俘虜長を全員の前で処刑しようとしますが、
わが身を捨てても、この場を治めようとしたのは、ヨノイが道を踏み外さないように、
間違ったことをしてほしくないから、ヨノイのためを思ってしたことだと思うのです。
ヨノイが、不器用ながらも、自分に向けた恋情を、大きな愛で返したのではないかと思うのです。
自分に背負わされた大きな期待よりも、一身に背負わされたものより、
もっと、だいじなものがある。
組織の中の仕事よりも、大切にしなければならないものがある。
身をもって、わかってもらいたいために行動に出たのではないかと思うのです。
ヨノイの心には、確かに彼のこの気持ちは届きました。
処刑されたセリアズは、まどろみの中で弟に詫びて、弟の唄を聴きながら、家に入りますが、
幼い弟のままなのは、そのころに詫びておきたかったのは、もちろんですが、
きれいなころの思いのままで、人生の最後を迎えたかったのでしょう。
私は,私見ですが、セリアズも同性愛者なのではないかと思うようになりました。
同性愛は神のおきてに背きます。
セリアズが、あんなにも眉目秀麗なのに、女性とのおもいでもなく、結婚せずにいる事実。
あそこまでして、ヨノイの心を救おうとしたのも、ヨノイに対して、非常に強い思いがあったからでは思います。
大嶋渚監督が「同性愛を描いている映画です。」
と、おっしゃつたのは、ヨノイからはもちろんですが、セリアズもそうだから
と言うことではないでしょうか。