にゃんこままの部屋

その時々に感じたことを、日記風につづります。

旅愁 (唱歌)

2012-09-12 10:24:52 | 音楽 美術
日中はまだまだ暑い日が続きますが、朝夕はすっかり秋らしくなってきました。
朝、ベランダの植物に水やりをしていると、知らぬ間にこの唄を口ずさんでいました。


1.更けゆく秋の夜 旅の空の
   わびしき思いに ひとり悩む
   恋しや古里 なつかし父母
   夢路にたどるは 故郷の家路
   更けゆく秋の夜 旅の空の
   わびしき思いに ひとり悩む

2.窓うつ嵐に 夢もやぶれ
  はるけき彼方に こころ迷う
  恋しや古里 なつかし父母
  思いに浮かぶは 杜のこずえ
  窓うつ嵐に 夢もやぶれ
  はるけき彼方に こころ迷う


作曲 ジョン・P・オードウェイ
訳詩 犬童球渓



『旅愁』は、まるで唱歌のような日本の秋の一風景を歌ったしっとりした作品です.
原曲を作ったオードウェイ(1824-1880)は、アメリカの音楽家で、フォスターやワーク(大きな古時計の作曲者)とほぼ同時期に活躍しました。
彼は本業は医者で、医学博士でした。そのかたわら楽譜出版なども手がけていたそうです。

しかし、「旅愁」の原曲である、「Dreaming of home and mother(ふるさとと母を夢見て)」の歌詞は、旅愁のような侘しさはなく、故郷を穏やかな気分で回想するようなものだったとか。
原曲の方は、アメリカでは忘れられてしまったようです。

それを、明治40年(1907年)に、日本の詩人「犬童球渓(いんどう きゅうけい)」が訳詩をしました。
その後、音楽教科書(当時は中学校)で取り上げられて以来、急速に浸透し、今では完全に日本の歌になりました。
犬童は熊本県人吉市に生まれ、東京音楽学校を卒業。
大学卒業後、音楽教師として各地を転々とし、新潟高等女学校に勤務していた期間中に、ジョン・P・オードウェイの『ふるさとと母を夢見て』の曲を知り、故郷の熊本県から遠く離れた自分の心情と重ね合わせながらこの訳詞を作ったといわれています。


ダ・カーポの唄で聴いてみました。









「旅愁」は、林芙美子の「放浪記」の冒頭にも出てくることでも広く知られています。

 林芙美子著「放浪記」より

  私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。

  『更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む
   恋しや古里 なつかし父母』

  私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。
  父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。
  母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。
  母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放
  されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下
  関と云う処であった。
  私が生まれたのはその下関の町である。故郷に入れな
  かった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。
  それ故、宿命的に旅人である私は、この恋しや古里の
  歌を随分侘しい気持ちで習ったものであった。








にほんブログ村に参加しています。
宜しければワンクリックお願いします。


  ↓      ↓


にほんブログ村 クラシックブログへにほんブログ村






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« わが家のベランダで育ててい... | トップ | わが家のベランダで育ててい... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽 美術」カテゴリの最新記事