主人の父からの不可解な内容の電話が相次ぎ、今日は日曜日なので
明日、病院で確認取ることに。
娘のところも気になるし、小さな子供たちの世話も大変だろうな…と思いながら、あちらまで行き届きません。
10歳年上の方は、「もう、孫の世話はしんどくて無理だから、来られるのはねえ。」
と言ってらっしゃいますが。
ふと、今は亡き大島渚監督の「身体はしんどいでしょう。しかし、小さな人がいてこその家庭なんですよ。」
というコメントを思い出しました。
テレビでコメンテイターとして活躍しておられたときのことです。
若かった私は、その言葉にいたく感動を覚えた記憶があります。
奥様の小山明子さんとも仲睦まじく、素敵なご夫婦だなあと思っていました。
小山明子さんは、NHK大河ドラマ「新平家物語」に、美福門院役で出演され、
非常にきれいな人だなあと。
1970年代の私は、邦画はけっこう観ており、1973年 小松左京の「日本沈没」
1974年 松本清張の「砂の器」野村芳太郎監督作品
1976年 横溝正史の「犬神家の一族」 市川崑監督
いずれもヒットし、特に「砂の器」は、日本各地の大自然の映像が素晴らしく心に残りました。
しかし、同じく1976年の大島渚監督の「愛のコリーダ」は、国際的な規模で上映されたにもかかわらず、
私の中ではなにかグロテクスなイメージがあって、受け付けませんでした。
コメンテイターとしての大島監督は尊敬できるけれど「愛のコリーダ」はちょっとと言う感じ。
1978年ごろから忙しくなり、私の邦画鑑賞は途絶えます。
後はテレビで観る程度でしたが、
そんな私が大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」を、そうと知らずに
テレビで観るのですが、ながら見、後半のある部分だけ覚えていて、
洋画劇場だったので、外国映画だと思って観ていました。
完全にセリアズが主人公だと思っていて、デヴィッド・ボウイが演じているのも知らず
金髪の美貌の男優さん、でも、ロバート・レッドフォードじゃないな・・くらいの印象で。
独房に入れられて、隣の独房にいるロレンスに、過去に犯した自分の過ちを語るのですが、
セリアズという人物に深みを与える演技で、心にずーんときました。
「僕には、ロマンチックな思いでなどない。あるのは過去に犯した後悔の記憶ばかり。」
弟を見捨てた過去に罪の意識を持ち、精神が病んで、身近に人を愛せなくなっている様子。
本当に俳優さんだとばかり思って観ていました。
ロックスターのデヴィッド・ボウイは、私の中では、派手なメイクをしたロック歌手のイメージしかなかったのですから。
ながら見だったので、心に残ったのは、後、処刑されて、薄れゆく意識の中で
弟に許しを請い、罪が許されて、弟の歌声を聴きながら、笑みを浮かべて意識がなくなる・・・
そんな内容だったと記憶しています。
1983年5月に公開されて、40年目にして、あらためて通して観ると、
大島監督によって、軍の闇、イギリスのパブリックスクールの寄宿舎の闇が描かれていて、
そこに翻弄されていった人たちの悲劇が描かれ、
国によっての文化、道徳観、宗教の違いから起きる摩擦、最後までその壁は厚かったけれど、
そんななかでも敵同士、愛によって乗り越えられるものがある。
そんな映画だと思いました。
ロレンスが語る「正しい者など、どこにもいない。」
「勝利が辛く(重く)思われる時がある。」
この言葉が強く残ります。