2007-0420-yis140
別れても同じ都にいるうちは
このたびほどに泣かなかったわ 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書には、「離れにたる男の、遠き所へ行くを、いかがおもふ、と言ひしに」。関連に、第094歌。「離れ」を「かれ」と読む。現代詠は、第四句まで、ほぼ直訳。別れて、気持ちの整理もついたはずなのに・・・。
¶このたび=「この度」「この旅」と掛ける。
□和140:わかれても おなじみやこに ありしかば
いとこのたびの ここちやはせし
□悠140:わかれても おなじみやこに いるうちは
このたびほどに なかなかったわ
2007-0419-yis139
舟に乗り朝を迎える辛さから
鳴く鴛鴦の気持ちが分かるの 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書は、「海の面(つら)に船ながら明かして」。「上」を「うへ」と読む。
¶うきね=<「浮き寝」(船中で寝ること)に「憂き音」をかけた。「浮き寝」は「鴛鴦」の縁語。>(新潮版)
¶かかれば=かくあれば。so, then, therefore, because of。
□和139:みづのうえに うきねをしてぞ おもひしる
かかればをしも なくにぞありける
□悠139:ふねにのり あさをむかえる つらさから
なくおしどりの きもちがわかるの
2007-0418-yis138
ふり返る過去の涙の雨なのに
春景色かと見ているだけね 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○珍しく詞書なし。前歌とは別の時、と校注は推測。この長雨は、過ぎし日日を振り返って、私が流す涙なのに、世間はただ時節柄としか、見ていないのね。
¶ふる=「(雨が)降る」「(時が)経る」。
□和138:つれづれと ふるはなみだの あめなるを
はるのものとや ひとのみるらん
□悠138:ふりかえる かこのなみだの あめなのに
はるげしきかと みているだけね
2007-0417-yis137
みな帰りひとりで月を見ていると
過去がすっかり照らされるよう 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○前置は、「人とものがたりして侍りしほどに、また人の来たりしかば、誰もかえりにし朝に、言ひつかはしし」。この夜、ある男性と有明月(二十日余月)を眺めながら、四方山話をしていたら、そこへまた別の男性がやって来て、久し振りに賑やか。二人が帰ってから、詠んだ歌(諸説あり)。
□和137:なかぞらに ひとりありあけの つきをみて
のこるくまなく みをぞしりぬる
□悠137:みなかえり ひとりでつきを みていると
かこがすっかり てらされるよう
2007-0416-yis136
晩鐘は何て悲しいのかしらね
だって明日は聞けないのかも 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○「入相の鐘を聞きて」と詞書。新潮版には、帥の宮からの題詠に応えてとする。さらに校注者は、「和泉式部の存在感覚を端的に示した歌。」と評する。なお、題詠・兼題歌は即興が大原則であり、古今(ここん)の和歌や漢籍の素養が試される。
□和136:ゆふぐれは ものぞかなしき かねのおと
あすもきくべき みともしらねば
□悠136:ばんしょうは なんてかなしい のかしらね
だってあしたは きけないのかも
2007-0415-yis135
生えるとは見えない山に木が生えて
嘆く気持ちがそうさせるのか 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書は、ずばり「男をうらみて」。どうにも牽強付会の気がするのだけれど、ここは新潮版の訳を転記する。「別に、あなたとの仲が悪くなればいい、と思っているわけでもないのに、生えるとは思われない山の頂きにも自然に木が生えてくるように、どういうわけか、人の嘆きというものは自然に現われてきます。これもあなたのせいではないのでしょうか?」
¶なげき=<「嘆き」に「木」をかける。>(新潮版)
□和135:あしかれと おもはぬやまの みねにだに
おふなるものを ひとのなげきは
□悠135:はえるとは みえないやまに きがはえて
なげくきもちが そうさせるのか
2007-0414-yis134
あきが来て嘆く涙がおぎの葉に
乗ってすっかり撓んでしまうの 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書は、「もの言ひわたりける男の、八月ばかりに、袖の露けさ、など言ひて侍りける返り事に」。
¶言ひわた(渡)る=「1 言い続けて日を過ごす。 2 求婚し続ける。恋文などを送り続ける。」(古語辞典)
¶あき=「秋」「飽き」の定番掛詞。「をぎ」も、「荻」「置き」と掛ける。現代詠は、両者に合わせて、「撓む」も残す。
□和134:あきはみな おもふことなき をぎのはも
すゑたわむまで つゆはおくめり
□悠134:あきがきて なげくなみだが おぎのはに
のってすっかり たわんでしまうの
2007-0413-yis133
ひっそりとひとり泣くのは慣れてるの
春に別れの花のようにね 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○「保昌に忘られて侍りしころ、かねふさの朝臣とひて侍りしかば」、と詞書。藤原保昌については、「和泉式部集128 どこへとも」「和泉式部集122 鹿が鳴く」「新古今集現代詠053 世の中が」参照。
¶にき=<…た。…してしまった。(略)完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去の助動詞「き」>(『古語辞典』)
¶かねふさ=「藤原兼房(1004~69)。歌人。兼隆息。中宮亮、讃岐守、備中守、右少将。」(新潮版)
□和133:ひとしれず ものおもふことは ならひにき
はなにわかれぬ はるしなければ
□悠133:ひっそりと ひとりなくのは なれてるの
はるにわかれの はなのようにね
2007-0412-yis132
思い遂げ帰る端午の朝だけど
だれも私を妻と見ないわ 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書は長い。「しのびたる男の、いかがおもひけん、五月五日の朝(あした)に、明けての後帰りて、今日あらはれぬるなんうれしき、と言ひたる返り事に」。お見えになった夜はこっそりと、ご用が済んだ今朝は堂堂と。祝日でよかったわね、目立たなくて。でもここは私の仮宿。妻とは見られていないでしょうね。
¶あやめぐさ=<「刈り」(「仮り」をかける)の序。五月五日の景物。邪気を払うために屋根の軒先(端=つま=)にふく。>
¶ねやのつまとや=<「閨の妻」に「根」と「端」をかける。「根」は「あやめぐさ」の縁語。>(この2項、新潮版)
□和132:あやめぐさ かりにもくらん ものゆゑに
ねやのつまとや ひとのみるらん
□悠132:おもいとげ かえるたんごの あさだけど
だれもわたしを つまとみないわ
【memo】五月五日・端午節・あやめぐさ・薬玉 これらについては、このブログに何回も登場しているので、左欄でブログ内検索されたし。たとえば次の記事など。
新古今集現代詠025 飽きないで
紫式部集059 薬玉の
紫式部集060 いただいた
紫式部集115 何という
紫式部集118 いつまでも
和泉式部集116 どの家も
2007-0411-yis131
あなただけ私を恨んでどうするの?
隠し事ならお互いさまよ 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○詞書は、「たがひにつつむことある男の、たやすくあはず、とうらみしかば」。
¶つつむ=旺文版『古語辞典』には、見出し語に「つつむ(慎む)」「つつむ(障む・恙む)」「つつむ(包む・裹む)」の、三語が載る。最後者を引くと、「隠す。秘める。」などとある。難語「裹む」について、学研版『漢字源』で、さらに調べた。
「裹」=総画 14、部首 衣、区点 7471、JIS 6A67、シフトJIS E5E5、字音 カ、意読 つつむ・つつみ。用例としては、裹屍(かし)・裹蒸(かじょう)・薬裹(やくか)など。
□和131:おのがみの おのがこころに かなはぬを
おもはばものを おもひしりなん
□悠131:あなただけ わたしをうらんで どうするの?
かくしごとなら おたがいさまよ