悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

短歌写真034 去り行ける

2005-08-31 04:35:00 | 短歌写真

 自分で勝手に紫百日紅と名付けたが、正称にあるようだ。
 
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/murasaki-arusuberi.html
 いつのも癖で、太い幹だけを気楽に調べるつもりが、いつのまにか枝から葉へ手を伸ばしていた。さるすべりも世界が深い。ここでは紫薇(しび)にまつわる伝説を紹介するのが目的なので、あまり追求しない。前出(8月7日、同19日各条)記事も参照。
 紫薇伝説とは、簡単にいうとこうである。古代中国で、北天に輝く北斗七星のあたりの十五星を、天宮の紫微(星座、星団)に見立てていた。それが地上の皇帝にも充てられて、皇帝の宮殿を紫微宮と呼び、唐代には中書省(皇帝政治の中枢)を紫微省と改名した。そこにはさるすべりが多く植えられていたので、この木を紫薇と呼ぶことにした・・・。(水枝谷渉氏による。URLは下記。)
    
http://www.minc.ne.jp/kasii/499-8.htm


短歌写真033 いままさに

2005-08-30 02:45:00 | 短歌写真

 前出(短歌写真2005-0808)の鉢花が、数輪花を付けて、これで終わりかと見えたあと、8月27日の朝5時から6時の間に、また一輪咲いた。これは7時ごろの写真。右下の全景に次の蕾(翌朝開花)が写っている。私の観察によると、色が鮮やかで濃いのは開花数時間で、その後は薄紫になる。

悠の恋歌掌編001 ファミレスで

2005-08-28 03:00:00 | 恋歌掌編

【悠の恋歌掌編】-はじめに-
 インタネット界初?の 恋歌+掌編+写真 のコラボレイション!・・・が、竜頭蛇尾にならないように、出来たら週に1回ほど。
 恋歌=青春歌、口語詠を主とするが、あまりこだわらない。
 掌編=「きわめて短い作品。」(広辞苑) 若者に人気の Satoeri も出版とか。
 写真=関連写真。実写・加工の区別をしない。一部に著作権・人格権を侵さない範囲での借用がある。
 以上、とくに断らないかぎり、すべて私(悠、悠山人)の創作・フィクションである。
※ 先日、わずか一日半の試験公開だったにもかかわらず、e-mail その他での激励を数多くいただいた。少しだけ(生活を大きく乱さない程度で)努力をしてみよう。


短歌写真030 幽明の

2005-08-26 04:00:00 | 短歌写真

2005-0826-yts030
幽明の境あゆめど幽かにも
光ありせば光求めん

¶幽明(ゆうめい)=「①暗いことと明るいこと。…-界(さかい)を異(こと)にする」(広辞苑)。頭韻もどきで遊んでみた。
【memo】新古今はきのうで秋歌を終わりとし、少し休んでから冬歌の部に入るつもりである。


050 秋ならば嵐山

2005-08-25 02:00:00 | 新古今集

 詞書に「大堰川にまかりて紅葉見侍りけるに」とある。このころからすでに、清流大堰川(おおいがわ)を前景にしての嵐山は、紅葉狩りの名所であった。新古今和歌集の巻五秋歌(あきのうた)下は 0550 で終わり、0551 から巻五冬歌(ふゆのうた)に入る。悠山人選も次回から冬歌。

【略注】○思ふこと=心配ごと。
    ○見まし=「見るであろうに。」(小) 「見ようものを。」(新) 「見ることだろうか」。
    (岩)
    ○嵐の山=気象の「嵐(荒らし)」、地名の「嵐山」の掛詞。
    ○藤原輔尹(すけただ)=尾張守興方の子(一説に大和守貞方の子)。別人に
    「大和守輔尹」「佐忠(すけただ)」がいて、昔から混同される。
【補説1】大堰川(おおいがわ)は、嵐山と天竜寺を挟んで流れる。それをつなぐのが有
    名な渡月橋。京都を舞台とするTVドラマの定番である。去年の秋、橋元で人力
    車に乗ろうとしたら、殺人事件が発生したらしく、京都日報の橋本功記者が、しき
    りに渡月橋を走り回っていた。(しばらくしてから、偶然にその場面をTVで見た。)
    「嵐山は山城国の歌枕。
      朝まだき嵐の山の寒ければ
      紅葉の錦着ぬ人ぞなき (拾遺集・秋・藤原公任)」(新潮版)
【補説2】琴きき橋伝説。渡月橋のあたりで大堰川は、ほぼ正確に東から西へ流れてい
    る。その橋の北詰(天竜寺側)に、大きな松の木に隠れて、小さな木柱・石柱が
    ある。「琴きゝ橋跡」「かつらかは」(桂川)など、変体かなまじりだ。人目をはばか
    るようなそれらの碑群に、背丈ほどの細長い角石柱が雑じっていて、二行書きの
    行書で和歌が掘り込まれていた。
      一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に
      ひかれて来にけん望月の駒
     何回も来ているけれど、いままで気にも留めなかった。帰宅後しらべると、かな
    り有名らしく、いくつかの断片引用が目に付いた。つい最近の京都市の資料には
    次のようにまとめてある。
      「琴の名手として知られた小督(生没年未詳)は,高倉天皇(1161~81)の寵愛
    を受けたが,中宮の父平清盛(1118~81)の逆鱗に触れ,内裏を出て嵯峨野に隠
    れ住んだ。天皇から捜索の命を受けた源仲国(生没年未詳)は,彼女の琴の音を
    頼りに居所を尋ね当てたという。この石標は小督の弾く「想夫恋」を仲国が聞いた
    と伝える橋跡を示すものである。」
    http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/uk016.html
※ ブログ、全くの無知から始めて、もうすぐ二か月。読み進みと同時進行の「悠山人
 の新古今現代詠」も50首になった。密かに想定した百選には、とても収まらない。区
 切りのいいところで、しばらく休むことにする。日暮れて道遠し。羊頭狗肉にならない
 よう、新古今を意識しながらの短歌は継続の予定。


049 秋の空雁が

2005-08-24 03:45:00 | 新古今集

 千年前の無名の女性、どんな思いで毎日空を仰いでいたのか。切なくよむ。

【略注】○きほひて=(気負いて。) 競って。
    ○言づて=ことづけ。伝言。古代中国・「前漢の蘇武(そぶ)が使者として匈奴
    (きょうど)に行き、捕らえられていた時、雁の脚に手紙を結びつけて」(小)漢王
    に送ったという故事による。「消息を記した布」(新) 新潮版はさらに、「恋人か
    らの音信を待つ女の心。」とする。
【補説】雁(がん。かり。かりがね)に関する表現。広辞苑に載っている中からいくつかを
    拾う。
    1)雁金(かりがね)、雁金菱(~びし)=紋所のひとつ。
    2)雁金草(~そう)=多年草のひとつ。
    3)雁点(かりがねてん)=「レ点」の古称。
    4)雁の琴柱(かりのことじ)=雁の並び飛ぶさま。琴柱は箏琴の弦を張るもの。
    5)雁の玉章(かりのたまずさ)、雁の使い(かりのつかい)、雁の便り=誰か・何か
    によって運ばれた手紙(の類)。玉章・玉梓(どちらも「たまずさ」)は、手紙そのも
    の。上に紹介した故事のとおり。

047 夕暮れの桧の

2005-08-22 03:30:00 | 新古今集

 百人一首に入る。豊かな音調からイマージュが湧く。どうあがいても原歌の足元には、及ぶべくもなし。
【略注】○村雨=(群れ雨。) にわか雨。
    ○槙=杉や桧の仲間。「真木…イヌマキ科の槙ではない。」(岩)
    ○寂蓮=藤原定長から出家。伯父俊成の養子。集選者だったが、完成直前に死。
    35首入集。
【補説1】評価。「洗練された音楽的声調…枯淡・幽寂な景観」(小) 「針葉樹の重厚な緑
    の世界…さびた美を湛えた作。」(新)
【補説2】「秋の夕暮」も新古今歌人の定番表現だ。この歌の前後を調べてみた。(「~」部
    分。悠 043 【補説】も合わせて参照されたし。)
    0321 天の川原の~(式子)
    0347 ほのかに見ゆる~(読人しらず)
    0357 なほ色まさる~(良経)
    0359 ながめてけりな~(良経)
    0361 槙立つ山の~(寂蓮)
    0362 鴫立つ沢の~(西行)
    0363 浦の苫屋の~(定家)
    0364 葎の宿の~(雅経)
    0491 霧立ちのぼる~(寂蓮) この歌。
    このうち、0361寂蓮・0362西行・0363定家の三歌を「三夕(さんせき)」と言うと。