自分で勝手に紫百日紅と名付けたが、正称にあるようだ。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/murasaki-arusuberi.html
いつのも癖で、太い幹だけを気楽に調べるつもりが、いつのまにか枝から葉へ手を伸ばしていた。さるすべりも世界が深い。ここでは紫薇(しび)にまつわる伝説を紹介するのが目的なので、あまり追求しない。前出(8月7日、同19日各条)記事も参照。
紫薇伝説とは、簡単にいうとこうである。古代中国で、北天に輝く北斗七星のあたりの十五星を、天宮の紫微(星座、星団)に見立てていた。それが地上の皇帝にも充てられて、皇帝の宮殿を紫微宮と呼び、唐代には中書省(皇帝政治の中枢)を紫微省と改名した。そこにはさるすべりが多く植えられていたので、この木を紫薇と呼ぶことにした・・・。(水枝谷渉氏による。URLは下記。)
http://www.minc.ne.jp/kasii/499-8.htm
前出(短歌写真2005-0808)の鉢花が、数輪花を付けて、これで終わりかと見えたあと、8月27日の朝5時から6時の間に、また一輪咲いた。これは7時ごろの写真。右下の全景に次の蕾(翌朝開花)が写っている。私の観察によると、色が鮮やかで濃いのは開花数時間で、その後は薄紫になる。
【悠の恋歌掌編】-はじめに-
インタネット界初?の 恋歌+掌編+写真 のコラボレイション!・・・が、竜頭蛇尾にならないように、出来たら週に1回ほど。
恋歌=青春歌、口語詠を主とするが、あまりこだわらない。
掌編=「きわめて短い作品。」(広辞苑) 若者に人気の Satoeri も出版とか。
写真=関連写真。実写・加工の区別をしない。一部に著作権・人格権を侵さない範囲での借用がある。
以上、とくに断らないかぎり、すべて私(悠、悠山人)の創作・フィクションである。
※ 先日、わずか一日半の試験公開だったにもかかわらず、e-mail その他での激励を数多くいただいた。少しだけ(生活を大きく乱さない程度で)努力をしてみよう。
2005-0826-yts030
幽明の境あゆめど幽かにも
光ありせば光求めん
¶幽明(ゆうめい)=「①暗いことと明るいこと。…-界(さかい)を異(こと)にする」(広辞苑)。頭韻もどきで遊んでみた。
【memo】新古今はきのうで秋歌を終わりとし、少し休んでから冬歌の部に入るつもりである。
詞書に「大堰川にまかりて紅葉見侍りけるに」とある。このころからすでに、清流大堰川(おおいがわ)を前景にしての嵐山は、紅葉狩りの名所であった。新古今和歌集の巻五秋歌(あきのうた)下は 0550 で終わり、0551 から巻五冬歌(ふゆのうた)に入る。悠山人選も次回から冬歌。
【略注】○思ふこと=心配ごと。
○見まし=「見るであろうに。」(小) 「見ようものを。」(新) 「見ることだろうか」。
(岩)
○嵐の山=気象の「嵐(荒らし)」、地名の「嵐山」の掛詞。
○藤原輔尹(すけただ)=尾張守興方の子(一説に大和守貞方の子)。別人に
「大和守輔尹」「佐忠(すけただ)」がいて、昔から混同される。
【補説1】大堰川(おおいがわ)は、嵐山と天竜寺を挟んで流れる。それをつなぐのが有
名な渡月橋。京都を舞台とするTVドラマの定番である。去年の秋、橋元で人力
車に乗ろうとしたら、殺人事件が発生したらしく、京都日報の橋本功記者が、しき
りに渡月橋を走り回っていた。(しばらくしてから、偶然にその場面をTVで見た。)
「嵐山は山城国の歌枕。
朝まだき嵐の山の寒ければ
紅葉の錦着ぬ人ぞなき (拾遺集・秋・藤原公任)」(新潮版)
【補説2】琴きき橋伝説。渡月橋のあたりで大堰川は、ほぼ正確に東から西へ流れてい
る。その橋の北詰(天竜寺側)に、大きな松の木に隠れて、小さな木柱・石柱が
ある。「琴きゝ橋跡」「かつらかは」(桂川)など、変体かなまじりだ。人目をはばか
るようなそれらの碑群に、背丈ほどの細長い角石柱が雑じっていて、二行書きの
行書で和歌が掘り込まれていた。
一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に
ひかれて来にけん望月の駒
何回も来ているけれど、いままで気にも留めなかった。帰宅後しらべると、かな
り有名らしく、いくつかの断片引用が目に付いた。つい最近の京都市の資料には
次のようにまとめてある。
「琴の名手として知られた小督(生没年未詳)は,高倉天皇(1161~81)の寵愛
を受けたが,中宮の父平清盛(1118~81)の逆鱗に触れ,内裏を出て嵯峨野に隠
れ住んだ。天皇から捜索の命を受けた源仲国(生没年未詳)は,彼女の琴の音を
頼りに居所を尋ね当てたという。この石標は小督の弾く「想夫恋」を仲国が聞いた
と伝える橋跡を示すものである。」
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/uk016.html
※ ブログ、全くの無知から始めて、もうすぐ二か月。読み進みと同時進行の「悠山人
の新古今現代詠」も50首になった。密かに想定した百選には、とても収まらない。区
切りのいいところで、しばらく休むことにする。日暮れて道遠し。羊頭狗肉にならない
よう、新古今を意識しながらの短歌は継続の予定。
千年前の無名の女性、どんな思いで毎日空を仰いでいたのか。切なくよむ。
【略注】○きほひて=(気負いて。) 競って。
○言づて=ことづけ。伝言。古代中国・「前漢の蘇武(そぶ)が使者として匈奴
(きょうど)に行き、捕らえられていた時、雁の脚に手紙を結びつけて」(小)漢王
に送ったという故事による。「消息を記した布」(新) 新潮版はさらに、「恋人か
らの音信を待つ女の心。」とする。
【補説】雁(がん。かり。かりがね)に関する表現。広辞苑に載っている中からいくつかを
拾う。
1)雁金(かりがね)、雁金菱(~びし)=紋所のひとつ。
2)雁金草(~そう)=多年草のひとつ。
3)雁点(かりがねてん)=「レ点」の古称。
4)雁の琴柱(かりのことじ)=雁の並び飛ぶさま。琴柱は箏琴の弦を張るもの。
5)雁の玉章(かりのたまずさ)、雁の使い(かりのつかい)、雁の便り=誰か・何か
によって運ばれた手紙(の類)。玉章・玉梓(どちらも「たまずさ」)は、手紙そのも
の。上に紹介した故事のとおり。
百人一首に入る。豊かな音調からイマージュが湧く。どうあがいても原歌の足元には、及ぶべくもなし。
【略注】○村雨=(群れ雨。) にわか雨。
○槙=杉や桧の仲間。「真木…イヌマキ科の槙ではない。」(岩)
○寂蓮=藤原定長から出家。伯父俊成の養子。集選者だったが、完成直前に死。
35首入集。
【補説1】評価。「洗練された音楽的声調…枯淡・幽寂な景観」(小) 「針葉樹の重厚な緑
の世界…さびた美を湛えた作。」(新)
【補説2】「秋の夕暮」も新古今歌人の定番表現だ。この歌の前後を調べてみた。(「~」部
分。悠 043 【補説】も合わせて参照されたし。)
0321 天の川原の~(式子)
0347 ほのかに見ゆる~(読人しらず)
0357 なほ色まさる~(良経)
0359 ながめてけりな~(良経)
0361 槙立つ山の~(寂蓮)
0362 鴫立つ沢の~(西行)
0363 浦の苫屋の~(定家)
0364 葎の宿の~(雅経)
0491 霧立ちのぼる~(寂蓮) この歌。
このうち、0361寂蓮・0362西行・0363定家の三歌を「三夕(さんせき)」と言うと。