詞書に、「秋のころ、をさなき子に後れたる人に」とあって、幼い子を亡くした人への慰めの歌である。幼児の詠い込みは初。
【略注】○別れけんなごりの=(幼いわが子を)亡くして、悲しい涙が残っている。
○置きや添ふらん=(顔の涙に)置き添えるかのような。
○藤原賢子(けんし)=山城守宣孝と紫式部の娘。大弐三位が通用。
下部温泉は武田信玄の隠し湯として有名である。その、とある宿へ入ると、壁のあちこちに短歌の短冊が掲げられている。案内された部屋には「月読」の標札。もしやと思ったら、やはり床の間に「月読み」の条幅が薄暗く見える(写真右上、落款不読)。聞いてみると、女将が高校時代は文学少女だったそうで、何年か前から万葉の会へ通っている。ほかの部屋も同じように、万葉ゆかりにしてある、という。鄙には希なりと驚いた次第。帰宅後、写真を見ながら、解読してみた。
(活字写し) 月読の光爾記満せ足引の
山来へ奈里弖遠から那くに [湯原王]
(平仮名読み)つきよみのひかりにきませあしひきの
やまきへなりてとほからなくに
万葉仮名・万葉文法・万葉植物などなど、万葉集は、いちだんと難しい。
* 夕方のNHK-TVで、富士山頂に初雪との映像が全国ニュースに出た。
忙しい忙しいが合言葉の現代社会では、愛する人・親しい人の亡失に、ゆっくりと時間をかけて対処することが、なかなか難しい。
現代詠は、「見」「く」をリフレインして、深見草はそのまま生かした。
【略注】○形見=ここでは、これも長い詞書から、故人(藤原基実)の愛した牡丹。
○ふかみ草=深見草。「嘆き」の「深み」に掛ける。牡丹の別称。牡丹にはさらに、
二十日草・名取草・山橘などの名もある。日本(やまと)は古来、言霊・言の葉の
国の感、深し。
○なに=どうして。not <what?>, but <why?>。
○なかなかのにほひ=見ると、かえって悲しみが増して、辛い美しさ。「にほひ」は、
ここでは、「色の美しさ」。not only colors, but also looks。
○藤原重実=顕輔の子。本名は光輔。
* 無名の、お気楽人間が、ある日とつぜん始めた「新古今現代詠」。きょうで、ぴったり
三か月。無休記録更新中。うっそ~、ほんと~!?というのが本音だ。知の海はまさに果
てがない。されど、余人のためならざる邁進あるのみ。・・・ま、そう肩肘はらずに行こう
か♪
** 「電脳短歌イエローページ」への登録を確認した。広島忌に依頼しておいたもの。
数百のHPと歌人の名が並んでいる。
http://www.sweetswan.com/yp/
「絶世の美女」と今に伝えられる女性。その彼女にも、先にも述べたような、容赦のない冥府の使者が近づく。
巻第八哀傷歌(あいしょうのうた)は、0757から0856まで。平仮名現代詠は初の試み。
【略注】○浅緑=霞の色とされる。春霞も月夜の霞も、そしてここでは荼毘(だび)の霞も
浅緑色に描写される。
○野べの霞=霞のように広がる野辺送りの煙。岩波版には「昇霞」の語の引用が
ある。
○小野小町=生没年・閲歴ともに不詳。平安前期の歌人。小野良真(または良実)
の娘、小野篁(たかむら)の娘(または孫)など、出自も諸説。「絶世の美女で歌才に
も恵まれていた。」(日本図書センター版『日本女性人名辞典』) 詠歌は、当時の超
一流貴族たちとの恋歌の贈答を中心に、約200首が残る。謎に包まれた「恋の歌人
(うたびと)」。
【補説】哀傷歌。「『万葉集』の挽歌(ばんか)にあたり、人の死を悲しみ嘆く歌をいう。〈哀傷
歌〉という言葉は、『万葉集』にも見え」る。「勅撰和歌集の部立用語としては『古今集』
の巻第十六に配されたのが最初。」(小学版)