青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(15)

2010-09-27 14:58:15 | その他の植物
【月・水・金】中国の花/中国野生植物図鑑
【火・木・土】中国の蝶/中国蝶類生態図鑑
【月・木】日本列島および近隣地域の野生アジサイ
【水】中国大陸(&台湾・南西諸島)のセミ
【火・金(・日)】ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代
【随時(当面は土曜または日曜を予定)】中国旅行情報
【随時(当分は毎日)】My Sentimental Journey
【一時休載】屋久島はどこにある?(東シナ海周縁紀行)
【一時休載】屋久島はどこにある?(長江流域遡行紀行)

  青山潤三・花岡文子
メールアドレスjaoyama10@yahoo.co.jp

★昨日お知らせに書いたように、今日は下記の④シリーズです。


図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(15)
生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(12)
ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)
My Sentimental Journey(33)


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図鑑【未完成】:中国(および周辺地域)の野生植物(15)

No.003シオガマギク属の各種Pedicularis spp.【9】

ゴマノハグサ科Scrophulariaceae(またはハマウツボ科Orobanchaceae)/シオガマギク連(仮称)/シオガマギク属Pedicularis
中国各地(主に四川・雲南)West Chaina/1989~2010


48 2010.7.30 四川省Sichuan来金山唖口北面Mt.Jia-Jing Alt.3600m



49 2010.7.30 四川省Sichuan来金山唖口北面Mt.Jia-Jing Alt.3600m



50 2010.7.30 四川省Sichuan来金山唖口北面Mt.Jia-Jing Alt.3500m



51 1991.7.31 四川省Sichuan九塞溝 Jiu-Zhai-Gou Alt.2700m



52 2005.7.04 四川省Sichuan雪宝頂唖口Mt.Xue-Bao Alt.4200m



53 2005.7.05 四川省Sichuan雪宝頂[黄龍渓谷]Mt.Xue-Bao[Huan-Long] Alt.3400m



54 2005.7.05 四川省Sichuan雪宝頂[黄龍渓谷]Mt.Xue-Bao[Huan-Long] Alt.3400m






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生態図鑑:中国(および周辺地域)の蝶(12)

2010-09-27 14:52:30 | チョウ
No.008 秋の梅里雪山のBlues【1】ヤマトシジミ Zizzeria(Pseudozizeeria) maha

シジミチョウ科Lygaenidae/ヒメシジミ亜科Polyommatinae/ヒメシジミ族Polyommatini/ヤマトシジミ類Zizzeria Sect.
雲南省Yunnan/梅里雪山Mt.Mei-Li-Xue明永氷河Ming-Yong/標高alt.2500m/2010年9月10日 【⑥を除く】

今日から暫くの間、毎日「チョウ」の更新をして行きます。玉石(大半は石、ただし玉に劣らぬ石もあります)混合です。

最初は、石コロの中でも最たる種、ヤマトシジミ。日本産と特に変わらないように思えますが、、、(①②は♂③は♀)。




















ヤマトシジミの仲間は、他にシルヴィアシジミとハマヤマトシジミの2種がいて、共に旧大陸の暖地に広く分布しています(それぞれ数種に分割することもあります)。ヤマトシジミによく似て著しく小さな種にホリイコシジミがあり、それに近縁のマエルリシジミ属の種(写真⑥雲南省維西2010.5.18)などと共に、おそらく世界で一番小さな蝶の一つだと思われます。



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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-1

2010-09-27 14:46:02 | アメリカン・ポップスearly60’s



“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ③ 『ポール・アンカ/ニール・セダカ』



Paul Anka 29位 
1941.7.30 Canada 出身
ダイアナ/君は我がさだめ



Neil Sedaka74位 
1939.3.13 New York出身
カレンダーガール/悲しき慕情


【永い沈黙期間を経て、70年代中期に大復活】

あや子さんから、たび重なる苦情を頂いています。“長すぎる!”って。僕もそう思っているのですが、ポール・アンカとニール・セダカ、真打ちの登場です。このタイミングで縮小するのはどうかと、、、、。でも、思い切って手を抜くことにしましょう(このあと10日間、残り20人近くを毎日アップしなくてはならないことですし)。

あや子さんは、僕と世代的には左程違わないのですが、“狭間の歌手”たちのことは、ほとんど知らないみたいですね。エルヴィスを別とすれば、名前を知っているのはポール・アンカとニール・セダカ。飛んで、トム・ジョーンズやボブ・ディランとなります。上記2組は年齢的には同じなのですが、活躍時期がかなり異なります。どうやら、日本の、団塊の世代やその前後の生まれの人達にとっては、少年少女時代に“リアルタイム”で聴いていたであろう筈の“狭間の歌手”たちの歌声の記憶が、ポッカリ抜け落ちてしまっているのだと思われます。それらの人達にも記憶されているポール・アンカとニール・セダカは、“狭間の歌手”たちの中では、特別な存在と言えるのかも知れません。

それにしても、ポール・アンカとニール・セダカ、見事にセットですね。御大エルヴィスを加えて“御三家”だそうです。
この呼び名は、日本限定、RCAビクターの戦略なのだと思います。ポール・アンカが、ABCパラマウンツからRCAビクターに移ってきた1962年当時、すでにヒットメーカーとしての勢いは衰えかけていました。客観的に見れば、三人をセットで扱うのは、かなり無理があるのです。

(レコード会社の思惑を別とすれば)別段2人をセットにして考える必要はないわけです。確かに、ポール・アンカとニール・セダカは、活躍期が同時代で、実績も拮抗します。でもそれを言えば、それぞれの“相棒”は、前回紹介のボビー・ダーリンでも、ロイ・オービソンでも良かったわけだし、ディオンでも、ジーン・ピットニーでも、もちろんリッキー・ネルソンでも良いわけです。ジョニーだって、この時代のニールに比べて、左程実績が劣るわけではありません。その点、“スリーボビー”(ヴィントンは違いますよ!)は、しっくりきますね(ちなみに、エルヴィスを軸に置いての“御三家”となれば、エルヴィス、パット・ブーン、リッキー・ネルソン、というところが妥当なのではないでしょうか)。

デビューは、ポールのほうが一年余早く、年齢はニールのほうが2つ半上です。「ポップス黄金期」(便利な言葉だ!)に於ける実績も、ほぼ互角(ポールのほうがやや上?)。共に、ビートルズ出現よりもだいぶ以前に勢いが衰えかけていて、ポールは62年辺りから下り坂、ビートルズ登場の64年初頭時点では 、すでに完全にヒットチャートの世界から消えていました。ニールのほうは、62年の「悲しき慕情」で大きく盛り返したこともあって、細々とながら、66年初頭までチャートヒットを続けています。

もっとも、その辺りの状況は、“スリー・ボビー”をはじめとする、上に挙げた面々は似たりよったり。ポールとニールを、ことさらセットにする理由にはなりません。

ポール・アンカとニール・セダカは、歌の質が全く正反対です。ポールの歌は、素直とは言い難い、分かりにくいメロディーラインで、剛球の変化球というか癖だらけの荒れ球というか、、、。対してニールのほうは、実に素直で分かり易いメロディー、そしてストレート極まりない歌唱です。

生意気な悪ガキで、ステージ上で悪態をつくだけでなく、来日時には女を口説きまくり、いい女を紹介しないと明日のステージには上がらないと言って、興業主を困らせたという伝説をもつポール・アンカと、ステージ上では、直立不動、真面目一方の青年紳士ニール・セダカ。だいたい、顔のイメージからして正反対なのですね。

なのにセットで呼ばれるのです。例えば、ポール・アンカとリッキー・ネルソン、ニール・セダカとロイ・オービソンと並称しても、全然おかしくは無いはず。でも、決してそうはならないのです。ポール・アンカとニール・セダカでなくてはならない。実に不思議なのですが、同時に分かるような気もします。説明は不能なのだけれど、、、。

実は、2人をセットにして扱う、まがいなき理由が存在します。60年代前半、ビートルズ出現で軒並み駆逐された“狭間の歌手”達のうち、ポール・アンカとニール・セダカのただ2人だけが、70年代になって大復活を遂げているのです。2人をセットにして扱うのに、これほど大きな理由は、他にないでしょう。しかし、2人がセットで呼ばれだしたのは、その復活劇の10何年以上も前の、60年代初頭のこと。後の揃っての復活は2人をセットとして扱うのに相応しい出来事ですが、それ失くしても、2人はセットとして扱われてきたはずです。どこかに、目には見えぬ共通項があるのでしょう。
だからこそ、(70年代の復活という)似た道を歩む結果になったのでしょう。その10年も前から、(無意識的に)2人をセットとして捉えてきたリスナーたちの中には、予感があったのでしょうね。

60年代初頭、日本に於いてリアルタイムで受け入れられ続けてきた“狭間の歌手”は、以外に少ないような気がします。
リアルタイムで、日米互角のヒット曲を持つ歌手となると、(エルヴィスを別とすれば)この2人だけではないのでしょうか?一つのキーは、共にカントリー臭が無い、ということ。日本での人気の維持に於いて、意外に大きな意味を持っているような気がします。

あと共通しているのは、ソングライターとしての才能が、両者ともずば抜けていること。他の大半の“狭間の歌手”達も、それぞれにソングライトの才能に恵まれていますが、彼ら2人は、そのキャパシティーが非常に広いのです。ポール・アンカの「史上最大の作戦」のテーマソングや、「マイウエィ」の訳詞、ニール・セダカの「機動戦士Zガンダム」の主題歌。ポールにも日本に纏わる、少なからぬ作品がありますが、白眉は、ニール・セダカ作の“演歌”、前川清に送ったという「恋さぐり夢さぐり」です。Marierenさんのブログ「リッキー・ネルソンに恋して」に、「Neal Sedaka/Pops」「前川清/ど演歌」両バージョンの「You Mean Everything to Me/恋さぐり夢さぐり」がアップされています。ぜひ御一聴頂きたい。目からウロコが落ちます。

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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-2

2010-09-27 14:43:14 | アメリカン・ポップスearly60’s


★ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-1の続きです。

Paul Anka
57.07.15(Billboard Hot100初登場日付け)-63.12.28(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:34曲
同Top40ランク曲数:24曲
同Best10ランク曲数:08曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:56曲
4チャートのBest10ランク曲総数:17曲


Neil Sedaka
58.12.08(Billboard Hot100初登場日付け)-66.02.26(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:20曲
同Top40ランク曲数:13曲
同Best10ランク曲数:06曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:33曲
4チャートのBest10ランク曲総数:15曲



そんなわけで、こちらも20曲から10曲に減らすことになりました(そのうちチャンスがあれば、20曲に増やします)。My Bestとは題していますが、実質は有名曲を羅列しただけです。


【ポール・アンカ/マイ・ベスト10】

●Diana(ダイアナ)
1957年Pop 1位、R&B1位。何も解説はいらないでしょう。16才だそうです。年上の彼女は、幾つだったのでしょう?

●I Love You、Baby
1957年Pop 97位。2曲目がこのポジションでして。ブライアン・ハイランドBrian Hylandの「ビキニスタイルの御嬢さん」の場合(2曲目73位)と似ているのですね。半ば“ノベルティー・ソング”と取られていたのかも知れません。しかし、ハイランドも、アンカも、数曲後に見事返り咲きます。実力者なのです。ちなみに、坂本九のNo.1ヒット「スキヤキ」の次ぎは、「支那の夜」で、58位と、なかなかの頑張りをみせているのですが、3曲目以降は消えてしまい、そのまま浮上することは無かった。悲しいかな、実質的には、ノヴェルティー・ソングと受け取られていただろうことは否めません。

●You are My Destiny(君は我が運命)
1958年Pop 7位、R&B 14位。その返り咲きソングがこれ。ハイランドの2曲目の大ヒット(Let Me Belong To You)が、暗~い失恋ソングだったのと同様、ダイアナから一転しての、絶唱バラードです。演出過剰とも言えるこの唱法、ついていけない人も多い(僕もその一人)ことでしょうが、嵌まると抜けだせないのかも知れません。

●Let the Bells Keep Ringing
1958年Pop 16位。両面ヒットとなった片面の「Crazy Love」(Pop 15位)が、「君は我が運命」路線の、17歳にして大人のムードを漂わせた粘っこい絶唱バラードなのに対し、こちらは軽快なロックン・ロール(?)です。エネルギッシュで、いかにも若者らしいこの曲、僕は結構好きなのです。

●Lonely Boy
1959年 Pop1位。この後、59年から60年にかけて「Put Your Head on My Shoulder(あなたの肩に頬を埋めて)」Pop 2位、「It’s Time Cry」Pop 4位、「Puppy Love」Pop 2位、「My Home Town」と、彼の全盛期が続きます。

●My Home Town(マイ・ホーム・タウン)
1960年Pop 8位。僕は、日本でこの曲がヒットしていたことを、よく覚えているのです。上記した大半の曲と同様、アンカの自作曲。明るく、綺麗なメロディーの、どこか懐かしさを感じる曲です。

●Train of Love(恋の汽車ポッポ)
ニール・セダカに「恋の片道切符」あれば、ポール・アンカには「恋の汽車ぽっぽ」あり。こちらも日本独自のヒット曲。60年にリリースされたアルバムからのカッティング(だったと思う、不確かです)で、元々は、当時恋仲だったと言われるアネットに提供した曲らしいです。日本では森山加代子のヒット曲?

●Kissing On the Phone(電話でキッス)
1961年Pop 35位。日本でヒットした、と言えば、この曲も外すことは出来ないでしょう。「マイ・ホーム・タウン」以降も、この曲の辺りまで、「Summer’s Gone」(Pop 11位)、「Tonight My Love Tonight」(Pop 13位)、「Dance On Little Girl」(Pop 10位)をはじめとした、Top 40ヒットを放ち続けます。

●Love (Makes the World Go Round)
1962年Pop 26位。61年末から62年前半にリリースされた数曲は、どれも100位前後と奮いませんでしたが、62年の中頃からは再び盛り返し、63年前半にかけて、「Love Me Warm and Tender」(Pop 12位)、「A Steel Guitar and a Glass of Wine」(Pop 13位)、「Every Night」(Pop 46位)、「Eso Beso」(Pop 19位)、「Love」「Remember Diana」(Pop 39位)と、存在感を示します。日本でも、当時の電話リクエストで、この曲が毎日のようにかかっていて、ポール・アンカ健在、を印象づけたものです。しかし、63年後半に、Pop 90位前後に2曲をチャートインした後は、ぷっつりとヒットチャート界から、姿を消してしまうのです。入れ替わりに、British Invasionの到来です。

●Goodnight, My Love
1969年Pop 27位、R&B 2位。そして、丸6年後、この曲で復活? その後74年初頭までの4年間に、50~80位台の小ヒット6曲をチャートに送り込みます。

≪おまけ≫●(You're) Having My Baby
本当の大復活は、74年Pop 1位、R&B 5位の、この曲から。80年代初頭にかけて、同年と翌年のTop 10ヒット3曲を含む計12曲を、Popチャートに送り込み、“第2の全盛期”を迎えます。


【ニール・セダカ/マイ・ベスト10】

○The Diary(恋の日記)
1958 年Pop 14位。デヴューは57年。4枚目に発表(RCAビクターからの初リリース)したこの曲で、一気にブレイクします。

○I Go Up
1959年Pop 42位。この曲が素晴らしいのですね。見事なロックン・ロール。この当時のPop 42位というチャートポジションには、なぜか“オールデイズ”の名曲が揃っています。59年のニールのこの曲しかり、60年のジョニー・ティロットソンJohnny Tillotsonの「Why Do I Love You So(こんなに愛して)」しかり、61年のジーン・ピットニーGene Pitneyの「Every Breath I Take」しかり。

○Stairway to Heaven(星へのきざはし)
1959年Pop 9位。ニールの“ポップス黄金期”時代のヒット曲は、アップテンポの、つい一緒に歌いだしたくなってしまうような楽しい曲が多いのですが、この「星へのきざはし」と、続く「君こそすべてYou Mean Everything to Me(60年Pop 17位)」は、美しいバラード調の佳曲。

○On Way Ticket to the Blues(恋の片道切符)
以下に示すように、ニール・セダカの米ヒット曲は、日本でも軒並みヒットしているのですが、日本での最大のヒット曲となると、この曲を置いてないでしょう。アメリカでは「おお!キャロル」のB面で、ノンヒット。大半のヒット曲が、ニール本人と幼馴染のハワード・グリーンフィールドとの共作なのに、この曲は珍しく別人の作というのも面白いですね。

○Oh! Carol(おお!キャロル)
1959年Pop 9位。
○Calendar Girl(カレンダー・ガール)
1961年Pop 4位。
○Little Devil(小さな悪魔)
1961年Pop 11位。
○Happy Birthday Sweet Sixteen(素敵な16才)
1961年Pop 6位。
○King of Clowns (悲しきクラウン)
1962年Pop 45位。
時間(真夜中の3時に書いています)もスペースもありません。おそらく、団塊の世代周辺の人々なら、誰でも聞き覚えがあるだろう、ニール・セダカのお馴染みのヒット曲のオンパレード、まとめて紹介しておきます。米ヒット曲が、リアルタイムでそのまま日本でも大ヒットしていたのです。

○Breaking Up is Hard to Do(悲しき慕情)
1962年Pop 1位。日本での知名度は、上記5曲に劣るかも知れません。でも、本国アメリカではこの曲が最大のヒット。62年度の、グラミー賞ロック部門にノミネートされています。76年に、スローバージョンのリメイク版が再び大ヒット(Pop 8位、AC 1位)。他に、黒人ACシンガー、レニー・ウエルチLenny Welchのカバーヒットなどもあります。オリジナルバージョンは、バックに配された、“カマカマ・ダンドゥヴィ・ドゥ・ダン・ダン”というハミングが、もう最高!実は、最初の録音時には、この掛け声は入っていなかったのだとか。何か足りないのでは?と気が付いて、急遽“カマカマ”を加えた、という経緯があったそうです。そういえば、一つ前の「悲しきクラウン」は、当時のニールとしては低いチャートポジション(45位)なのですが、一連の楽しい曲の中では、珍しく“間の手”が入っていないからなのかも知れません。“カマカマ”一声分が、44位分のランクを押し上げた、というわけです。

○The World Through a Tear
1965年Pop 76位。62年のNo.1ヒット「悲しき慕情」のあとも、63年にかけて「可愛いあの娘Next Door to an Angel」(Pop 5位)、「不思議の国のアリスAlice in Wonderland(Pop 17位)、「Let’s Go Steady Again」(Pop 26位)、「The Dreamer」(Pop 47位)、「Bad Girl」(Pop 33位)とヒット曲を放ち続けますが、ビートルズ登場の64年に入って、急速に勢いが衰え、65年にかけて、この曲の他に、Pop 80位台の小ヒット3曲を放った後、ニールの名は、ヒットチャートから完全に消えてしまいます。と言って(他の“狭間の歌手”達の場合もそうですが)、歌そのもののグレードが落ちたわけでは決してありません。時代の要求が、別の方向に向いていただけなのです。この「The World Through a Tear」と全く時を同じくしてチャートインした曲に、Johnny Tillotsonの「Heartaches By the Number」(Pop 35位 AC 4位)、Vic Danaの「Moonlight and Roses」(Pop 51位 AC 5位)、Connie Francisの「Roundabout」(Pop 81位 AC 10位)、
少し前に、Bobby Vintonの「L-O-N-E-L-Y」(Pop 22位 AC 7位)、少し後に、Gene Pitneyの「Princess in Rags」(Pop 37位)といった曲があり、チャートポジションの高低に関わりなく、それぞれの歌手の中で、僕の最も好きな曲なのです。自分のスタイルを守って、なおかつ新しさを取り入れようとする、試行錯誤が、結果として良い作品を生み出すことに繋がっているのでは、と思っているのですが。

≪おまけ≫○Laughter in the Rain(雨に微笑みを)
66年の一月にPop89位にランクされた「The Answer to My Player」から、一曲のチャートヒットもないまま、丸10年経った1975年、突如この「Laughter in the Rain」が、PopとACでNo.1に輝きます。同年末には、もうひとつのNo.1ヒット「Bad Blood」をPopチャートに送り込んだほか、80年代前半にかけて、PopとACのチャートに10数曲を送り込み、ポール・アンカと共に、第2の全盛期を迎えるのです。

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My Sentimental Journey(34)

2010-09-27 14:37:27 |  東拉紀行 塔公
東拉紀行 2010.8.9 ⑦

収穫を終え、下山します。



たぶん豚の餌だと思うけれど。一部は人の食糧かも。



下の家も旅館をやっているのですね。



栽培している花を採っちゃダメだよ!




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