青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

青山潤三日記 2020.7.26 ②

2020-07-26 08:43:41 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




「植松被告とオウム事件」を書き終えれば、ブログはやめて、「中国蝶類図鑑」作成に取り組む、と宣言?したのですが、もう少し続けます。

(津久井やまゆり園事件の)植松被告や今回の「委託殺人」の2人の医師は“「共感」の代弁者”、(京都アニメ事件の)青葉容疑者は“「非共感」の体現者”、と僕は理解しています。そのような視点から、問題の本質を探って行きたいと考えています。

でも、「生きる権利」と「死ぬ権利」、、、、難しいなぁ~~~。

今回の「医師委託殺人」事件に対して、自らも闘病の身にある舩後参議院議員の、

>「“安楽死を法的に認めてほしい”というような反応が出ているが、(中略)、こうした考え方が難病患者や重度障害者に“生きたい”と言い難くさせ、生きづらくさせる社会的圧力が形成していくことを危惧する」

という、「死ぬ権利より生きる権利を」の発言がありました。僕もその通りだと思います。

しかしそれとともに、この発言に対して為されたあるコメントが、気になって仕方がありません。

>「この方は支援者も多く、社会的地位もあり、年収も何千万円とある。そうでない方々の方が遥かに多い。一個人のお考えを押し付けないで頂きたい。」

そうなんですよねぇ~。同じ状況に置かれてはいても、「富」や「立場」など、背景が異なると、向かうところは違ってくる。「上」にいる人たちは、「下」にいる人間のことを、本当に分かっているのだろうか、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、「新型ウイルス」関連。同じことを、繰り返し述べていきます。まるで、駅のプラットホームで、延々と独り言を呟いている、おじいちゃんやおばあちゃんみたいです(笑)。

一人でも、読んでくださる読者の方がいることを信じて。

昨日、三世と、こんなメールの遣り取りをしていました。

昭恵(←パソコンでこの字がなかなか出てこない)さんの友人の鎌倉の医師曰く。
「コロナを愛すれば、その瞬間に消え去る」

三世:やっぱり「愛」ですね。でも「愛」をはき違える人もいるし。

僕:そうだね「愛」は難しいよね。

といった、中学生のような会話です(笑)。でもね、中学生(小学生)の思想で良いのです。少なくとも、勉強(概ね受験勉強)が出来て、方程式に乗っかった上での言動しかできないエリートたち、金儲け、 自分の利益、既得権主張という自由に則って、皆が皆、流れ(空気)の中でしか生きていけない大人の思想よりは、マシだと思っています。

「流れ」がらみで言うと、僕は「川の流れのように」という歌(いかにも共感ソング)が大嫌いです(これは、たぶん大半の人には共感してもらえないだろうなぁ~)。

僕は、美空ひばりの歌が大好きです(いや、好きとは違いますね、どっちかというと嫌いなほう、笑、、、でも、歌手として最大級の評価をしています)。そして、この曲作ったオッサン、結果として美空ひばりを侮辱している(「空気」を通してでしか対象を理解できない大衆は、そのことに気が付いていない)。

この、いかにも「ステレオタイプ」な歌は、それで「共感」を得ること知っている(大衆を「無意識強要同調空気」の中に放り込むことで、容易に騙せる技術を身に着けた)、この醜く太ったオッサンの、金儲けの道具でしかありません。今も、女の子たちや、それを取り巻く人々を「空気」に取り込んで、(合法的な)詐欺行為の限りを続けている、クズの中のクズです。人のことを悪く言っちゃいかんということは重々分かっている(だから悪口言うときも一応どこかフォローしている、笑)のですが、こいつだけは心底嫌いです。

話がちょっと逸れてしまいました。

僕は、「新型ウイルス無視」論者ですね。非常な脅威であることを認識し、最大限の注視を伴った「無視」です。

「無視」と言っても、「経済を回すため」の「無視」とは対極に位置します。むしろ「回さない」ための「無視」です。ワクチン作成期待に代表される、目先の利益、平和、安定を、懸念しての「無視」です。

ワクチンを開発しようが、(一時凌ぎにはなっても)事の本質は解決しません。むしろ長い目で見れば、「見かけ上の勝利」は、マイナス要因になってしまいます。必ずや「倍返し」で次がやってくる。

それは災害への取り組みや差別問題や政治的対立に対しても、同じことが言えると思います。

今、人類が択るべきことは、全く別の道です。進むことだはなく、やり直すことです。自然・地球・宇宙が、人類に警告してくれている今こそ、それが可能なのだと思います。

「あなたは科学を否定しているのか?」と問われれば、敢えて「そうだ」と答えます。「原始に戻れと言ってるのか?」と問われても、「そうだ」と答えましょう。

そんなことできるわけがない、お前の幼稚な考えなどに付き合っている暇はない、と言われるでしょうが、決断しなきゃいけないのです。まあ、原始まで戻らなくても良いでしょう、一度、一歩でもいいから、戻る。一歩引いた立脚点から、根本を徹底して見つめ直す。

あのグレタさんにしろ、僕にしろ、考えは幼稚ですね。でも、その幼稚な考えを、メディアや科学者や有識者や論客や大衆は、誰もまともに論じようとしない(グレタさんはお金持ちに利用されているみたいですが、笑)。

「新型コロナウイルス」に関しては、規制を緩くして経済を回そうが、徹底防御&敵対しようが、結局翻弄されてしまいます。唯一の解決方法は、「共存すること」、それだけです。

「共感の無意識的強要」(「共感できない対象の排除」)をキーワードとして猛進を続けている今の世の中に必要なのは、「共感できない対象との共存」です。

「共感」ではなく「共存」。新たな風を入れること。ちなみに、物理的にも、「新型コロナウイルス」への対策は、風さえ入れれば済むと思います。全てを解き放てばいい。簡単なことです。でも、「既得権厳守の自由」に基づく「民主主義社会」は、それを出来ないのですね。

「徹底防御」「積極経済」、共通するのは、「今が良ければいい」。世の立派な人々は僕のことを子供じみた存在と思ってることでしょうが、目先のことしか我慢できない彼らこそが子供です。まわりまわって、僕の方がずっと大人であるような気がしています。

U氏が絶賛するところの、「現代ビジネス」記事。

北海道釧路出身の、U氏の東大のO.B.仲間らしい「社会文化学者」による

『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由:知られざる「文化と教育の地域格差」。』

中国深圳の現状について日本の若者が言及した

『日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと:勝手に「終わり」とか言ってんじゃねえ。』*

昨日再掲載した(U氏からボロクソに言われている)僕の「反・一票の格差」論、あるいは、(これまで何回か「現代ビジネス」に発表してきた)「中国のトイレの話題」などと読み比べて貰いたいです。

個人的には、「釧路」の話も、「深圳」の話も、作品としては好感を持っているし、執筆者の人間味も感じて、嫌いではありません。

でも、中学生(小学生?)レベル?の僕から見れば、危うげなシャボン玉(共感世界)の中から出ることのできない、頭だけいい幼稚園児の思想のように感じてしまいます。

この程度の、なんだか物事を分かったように勘違いしている、「(僕から見れば中途半端に)頭の良い人たち」の考えが、(事象を奥深く考えることのできない)大衆の支持を受け、そして、このような人たちが、世界を引っ張って行くわけです(実際、「ワクチン作成が人類の共通目標」とか叫んでいるビル・ゲイツのような人が)。

たぶん(僕と同じで)IQが低いので、(このコロナ騒ぎの中)何していいかわからず、「じゃあ、とりあえず10万円を何人かの方に配りましょう」なんてアホなことを言っているZozoの社長さんのほうが、よっぽど、人類の将来に貢献していると思います。

*中国に対し、共産主義全面否定(民主主義的自由の絶対視)の許、忌み嫌って蔑み、敵対し壊滅・排除の立場に立つ人々/現実に為されている急速な近代化・経済成長(僕から見れば実は砂上の楼閣)に驚愕し、それに乗り遅れずに、日本人の技術や思想を輸出することで、おこぼれに与ろうという立場にたつ人々。

どっちも「空気」を通してだけの対応。上手くいくはずがない。

必要なのは「共感」でも「反発」でもなく、「分かってあげること」「分かってもらうこと」「寄り添うこと」。

愛とは、そういうことじゃあないのかな?






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青山潤三日記 2020.7.26 ①

2020-07-26 08:41:31 | 香港デモ、新型ウイルス、日記




しんどいなぁ~、つらいなぁ~~~、と思い続けている今日この頃です。三浦春馬さんが羨ましい。死ねるものなら死んじゃいたいです。でも今死んじゃったら、HDD廃棄されちゃうだろうから、、、。

三世はいいなあ~。ジョージがいて、一応ご両親もお子さんたちもいて。ジョージも三世がいるし、お母さんたちもいるし、、、、羨ましい。まあ、それ言いだしたら、僕にとっては大抵の人が羨ましい存在ですかね。

逆に、僕よりもずっと苦しい、つらい思いで生きてる人もいるだろうから(僕は、三世とか、モニカとか、あや子さんとか、友子さんの父上とか、、、心の支えになってくれる人がいるだけ、マシかも知れない)。

三世のお子さんたち(姫路?岡山?)は、元気で暮らしてますか? ときどき、ふと、そのことを考えます。

僕の母は、いわゆる鬼親でもなかったし、ネグレクトでも過保護でもなかったけれど、早い話、交流はほぼ全くなかった。

弟一家とは、母の葬儀の日に絶縁していて(友子さんを葬儀会場から追い出された)、以降23年間、一度も会ってません(2年ほど前、パスポート更新に必要な資料チェックのため弟に電話したら、結構元気そうだったので安心しました)。昔、姪っ子(数年間、最低限の連絡は取っていた)がポツッと言ったことがあります。お婆ちゃんが死んだとき、日記が出てきた(ほぼ文盲に近いので、子供のような片仮名字しか書けない)。その中に書かれているのは、おじちゃんのことばかり。父は相当に落ち込んでいた、と。まあ、出来の悪い子ほど可愛い、の典型ですね。

僕の唯一の自慢は、、、、母親が亡くなるほんのちょっと前に帰省した時、車椅子に乗せて、近所をぐるっと一周してきた。生涯一度だけの親孝行です。母は物凄く嬉しかったと思う。

嬉しかった、、、といえば、僕の最初の記憶は、(どっちが先だったかわからないけれど)たぶん3歳の頃。一つは、母の背中で爆泣きをしていた記憶(なにか凄く怒られた、確か、デパートの食品売り場で、積んであったキャラメルとかを、母の背中越しに掴んで持ち帰ったのを見つかった)。もう一つは、浴槽で膨らんだお腹を見せて「もうすぐ弟が出来るよ」と嬉しそうだったこと(僕もきっと嬉しかった)。
人の記憶には、辛いことと、嬉しいことが、焼き付けられるのだと思います。

話は全く変わるけれど、、、。一昨年の夏のことだったかな。福生駅前の公衆電話で電話をかけようとしていた時、(たぶん80歳をかなり超えた)お婆ちゃんが、手押し車につかまって、よろよろと電話ボックスに近づいてきた。一目見て、尋常じゃぁない体調であることがわかりました。電話を掛けたいのかな?と思って、代わってあげることにしました。凄く、嬉しそうでした。

でも、受話器を取ることすらできません。「どこにかけたいのですか?代わりにかけてあげましょうか?」。おばあちゃんは、一生懸命、僕に電話番号を伝えようとするのですが、数字が途中までしか出て来ません。そのうち倒れてしまいました。カンカン照りです。10mほど先の日陰のある場所まで負ぶって移動し、他の通行人に助けを求めました。中国人の女の子と、欧米人の男性が応じてくれました。一人は119番に電話をかけ、一人は駅の反対側の交番に通報に行ってくれました(非番中でした)。

二人にお礼を言って、お婆ちゃんに付き添って救急隊を待ちました。なかなか来ません(それ以前に、電話での救急要請が非常に難しかった、お婆ちゃんの状況や、通報に至った経緯、お婆ちゃんと僕の関係、等々を根掘り葉掘り聞かれ、受諾をしてくれるまでにメチャ時間がかかった)。お婆ちゃんは、すでに意識を無くしているみたいです。

10数分経って(もっとかかったような気がする、その間、タオルに浸した水を飲ませたり、負ぶってより安全な場所に移動したり、僕なりに懸命に頑張った)、やっと救急車が到着しました。お婆ちゃんを救急車の中に移して、緊急の延命処置を始めました。かなりの危険な状態にある、とのことでした。改めて僕とお婆ちゃんの関係を聞かれました。

僕:「無関係です」

救急隊員:「じゃ、あなたは帰ってください」

僕:「いや、心配なので結果がわかるまで待っています」

スタバにパソコンなどを置いたまま電話を掛けに来て、早く戻りたい、とも思うのですが、お婆ちゃんが心配で、そんなことは言っていられない。

やがて、搬送の病院が決まりました。僕も付き添います、と言ったのですが、断られました。それじゃ、どこの病院か教えてください、と言ったら、それも断られました。

この時点で、お婆ちゃんの身寄りは判明していないようです。だったら、猶更、一緒にいてあげたいです。「電話を替わってあげましょうか?」といった時の、あの嬉しそうな顔が頭に焼き付いています。どうにか助かってほしい。でも、もしもの時は、最期に会って会話した人間は僕です。横にいてあげるのは、人間としての責務だと思っています。

救急隊員の方は「どうしても結果を知りたかったら、福生消防署の救急センターに電話をかけて聞け」と言います。

一時間ほど後に、電話を掛けました。やはり、搬送先の病院名も、結果も教えて貰えません。それどころか、せせら笑うような受け答え。

猛烈に腹が立ってきました。スタバのスタッフに聞いたら、消防署は駅の反対側、5分ぐらいのところにある、というので、直接行ってみることにしました。

ここから先は、話すのも躊躇うほど、信じられないような対応。このブログを読まれるかたは、「福生消防署・救命センター(正式名は違うかも知れない)の所長」の存在を、覚えておいて欲しいです。

露骨に人を見下す態度、言葉。まるで僕を精神異常者のクレーマー扱い(その露骨さの程度は、所長が引っ込んだ後、周りの方々が僕に「いくら何でも酷すぎますね」と同情してくれたことでもわかります)。

お婆ちゃんの回復、心安らかに、、、と、願うばかりです。救急隊員の方々(特に所長さん)は、許せません。「正義の味方」(自分でそのようなことを言っていました)かも知れないけれど、貧しい心を持った人たちだと思います。

*あとでU氏にその話をしたら、今の世の中、それが当然なのだそうです。仮に僕が倒れてU氏に連絡が行ったとしても、すぐに駆け付けることはできない。よしんば可能だとしても、僕との関係を証明するために、様々な手続きを経てからでないと、実行できない。

貧しい世界です。まあ人々が(結果として)その貧しさ(ワクチンとか冷房とかに頼ることも含めて)を求めているわけですから、仕様がないですが。


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関連する? 話題を追記しておきます。

米中で、互いの領事館閉鎖。

僕の理解での、大使館・領事館の役割。

その国に滞在する自国民の手助け・便宜を図ること。

自国にとって有意になるように、対外国との関係を築いていくこと。

ざっくり言えば、そんなところではないかと思います。

でも、最初の一つについては、(これまでにも何度か書いたように)多くの人が誤解しているように思います。

「完全な個人」は、助けてもらえませんよ。(たとえ不可抗力で)何が起ころうとも、「身元引受人」がない限り、相手にしてくれません(せいぜい電話連絡ぐらい)。

パスポートの最初に記されている、「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。」は、対外国への要請であって、自国の大使館・領事館員に向けての指示ではない、ということ。

二つ目。主たる役割は「情報を得る」ことでしょうから、見方を変えれば、「スパイ活動」と、似たり寄ったりと思うのですが。もちろん、合法か非法かの問題はありますが、それぞれの国で法解釈は異なるわけで。「国際法」とかも、すべての国が共通認識しているのでしょうか?

(もちろんメチャ幼稚な考えであることを承知の上で言いますが、笑)、スパイ活動云々について、「あまり目くじらを立てなくてもいいのではないか」というのが、無知無能な僕の想いです。

個人情報にしろ、国家機密にしろ、そんなに大事なものなんですかねぇ~。みんなで共有すりゃ良いでしょうに。








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