立花某、この人、本物のキ○○○ですね。
本人以上に怖いのは、追従する大衆。
ふと思った。
AIの将来は、こいつみたいなのが量産されていくんじゃないかと。
興味深いことがあります。
ネット上のコメントには、今も一定数の誹謗中傷(本人たちは自分たちが正義と信じ自覚がない)が投稿されているのですけれど、それらのコメント末尾には、必ずと言っていいほど「御冥福をお祈りしています」が付されています(それらの言葉が付されているのは概ね誹謗中傷のコメント)。
このあたりに、問題の本質が垣間見えるような気がしています。
ついでに言っておくと、(これまでも度々指摘してきたけれど)自死のニュースを流すたびに「命のダイアル」とかが付されています。これって、責任逃れの典型じゃないですかね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
正論、原則論、ルール、正義、、、否定するものではありません。理念として貫くことは、立派だと思います。しかし、押し付けるべきではない。
全ての現象は、常に例外を伴っている。換言すれば、光と影から成り立っている。光も影も、等しく尊いのです。
・・・・・・・・・・・・・・
今日はトランプ大統領就任式ですね。トンでも語録が展開されています。地球の将来を鑑みれば、由々しき発言のオンパレードです。三世やジョージの抱く危惧感にも激しく同意しています。でも僕は結構楽しんでいるのですね。立花某とは根本的な次元(それについては改めて)で異なるので。隣に並んでいるバイデンハリスブッシュオバマクリントンヒラリーの苦笑いが面白いです。
TVは、ほぼニュース番組だけ見ています。お笑い、ドラマ、グルメ、コマーシャル、、、、(TVだけでなく、所謂SNSも同様)余りに下劣で、精神衛生上よろしくないです。
NHK「映像の世紀」を楽しみに見ています(昨夜の放送も見応えがあった)。
全ての人たちに(ちゃんと受信料を払って、笑)見て頂きたいです。
・・・・・・・・・・・
火曜水曜はPCデポが休日(毎日4時間徒歩往復は堪える)。今日から作業の内容を逆にして、スキャンは自宅で行い、PCデポではWi-Fi利用に集中することにしました(さっき荷物が届いた、これからココス前の路傍にWi-Fiを拾いに行く)。
朝から、仕事(いわゆる一般のバイト)を求めて何か所か(時給1000円の張り紙がしてあった近所のファミレスと焼き肉屋)を回ったけれど、玉砕。理不尽な8時間重労働日当500円の仕事でも、(腹立たしいのはもちろんだけれど)今の僕には貰えるだけありがたいには違いないので、頭を下げてなんとか有りつかねばなりません(たぶん来月までない)。
一回バスに乗ると、すぐに無一文になってしまいます(それでここ数日は仕事場にしているWi-Fiデポまで往復4時間徒歩通勤)。現時点で残り財産84円、これであと10日、どのように遣り繰りすれば良いのでしょうか? スーパーで半額(21円)のチャンポン/ウドン玉を見つければ、ちょうど4日間食い繋げるので、その間に何とか日雇いバイトにありつくか、ソーシャルオフィスに食料支給の助けを求めるか(電話がないので連絡が取れない)。まあ、いつものことなので、(10日後の2万円支給を待って)何とか生き延びることは出来るでしょうが。
と、強がり言っていますが、チャンポン/うどん玉がなかなか半額にならない。さっき1個42円(税込み)で買ったので、残り42円です。ここ数日、一日一食、ジャガイモ、うどん玉、100円パンの繰り返し(かつ4時間徒歩通勤)なので、さすがにふらふら、意識朦朧状態です(幸い体調自体は元に戻ってきたので何とか持ちこたえていますが)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前から公言しているように、このブログは原則有料です。読者の方々は肝に銘じておいてください。ブログの読者の方々の中には、僕同様に赤貧に苦しんでいられる方がいます。そのような方々には、無料で見て頂きます。しかし、ある程度の経済的な余裕がある(敢えて基準を作れば僕よりも裕福な)読者の方には、何らかの形(金額の多少は不問)で購読料を支払って頂きたいと考えています。
でも多分、誰も鼻にもかけてくれないでしょうね。孤独老人が餓死していく様を、チープなTVドラマでも見ているように傍観しているわけです。恥ずかしくないんですかね。まあ、固定読者なんて(僕同様に貧乏な方以外は)一人もいないのかも知れませんが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨夜は、うっかりTVを消し忘れて、絶滅危惧種についての番組をチラリと見ていました。膨大な数の絶滅危惧種が存在する由(とりあげたメンツは、トキ、コウノトリ、イリオモテヤマネコ、カラスバト、、、)。そのことを含め、言ってること自体(生態系、多様性云々) は間違ってはいません。しかし「教科書」です。あくまで一つの側面に過ぎないのです。間違ってはいなくても、別の側面から見れば違った答えが導き出される。“種とは何か?”“絶滅とはどういうことか”などの命題に関わる根本的な部分での検証。なのに教科書は(“かのように”的エビデンスに基ずく)答えを確定し、それに沿って“教育”が安易に勧められていく。暗澹たる気分です。