コメント欄にカラスアゲハに関する質問がありましたが、文章が長くなるので、こちらでお答えします。
「ジャコウアゲハのいない島のカラスアゲハは美しくなる」と言うのが、柏原精一氏の説です(詳しくはずっと昔の「月刊むし」に発表された氏の報文をお読みください)。「ハチジョウカラスアゲハ」然り、「トカラカラスアゲハ」然り、「コウトウルリオビアゲハ(和名が間違っているかも知れません)」然り、、、。
一方、ジャコウアゲハのいる、より大きな島、例えば、屋久島や奄美大島や沖縄本島や西表島の集団は、あまり美しいとは言えません。もっとも、上記の島のうち、種としての真のカラスアゲハに属するのは、石垣島・西表島の「ヤエヤマカラスアゲハ」だけで、沖縄本島(および周辺諸島)産はより古い時代に島嶼に隔離され別種段階にまで特化したと思われる独立種「オキナワカラスアゲハ」、奄美大島・徳之島産は、どの地域の集団とも繋がりを持たない(極めて原始的と言って良い形質を持つ)謎の集団「アマミカラスアゲハ」、屋久島・種子島には何故かカラスアゲハがいず、ミヤマカラスアゲハが低地の海岸部まで分布、という図式になります。
ただし大陸部では、この法則は当て嵌まりません。日本海北岸地域から中国大陸の北部にかけての集団は、基本的に日本のカラスアゲハと同じPapilio bianorに所属しますが、西に向かうにつれて翅色(殊に後翅表面の青班)が鮮やかになり、ヒマラヤ周辺地域では、全く別の種として疑問を差し挟む余地のないほど大きく青紋が発達したクジャクアゲハPapilio polyctorとなります。
しかし、中国大陸の西部(四川・雲南など)やインドシナ半島北部(含ベトナム)では、明瞭に鮮やかな青紋が現れる典型クジャクアゲハ的個体から、日本本土のカラスアゲハと左程変わりのない個体まで、変異に富んでいます。もっとも裏面の班紋などの形質から判断すれば、(外観が日本のカラスアゲハに似ていても)系統的にはクジャクアゲハに繋がるようなのです。
とはいっても、♂交尾器の形状には両者間に有意差はないものですから、両者を同一の種に含めるというのが、最近の見解の主流となっています。なお、命名の手続き上からは、日本のカラスアゲハは、クジャクアゲハの一亜種(Papilio polyctor dehanii?)となるものと思われます。
上記したように、中国大陸西部やインドシナ半島北部のクジャクアゲハは、別種のルリモンアゲハやオオクジャクアゲハと見まがうほどに鮮やかな青紋が発達した個体から、ほとんどカラスアゲハと変わらない個体までが混在していて、ここで紹介するサパの集団もそれに準じますが、最も平均的な個体は、ちょうどハチジョウカラスやトカラカラスと同程度の青紋の発達段階にあると言って良さそうです。
むろん、各個体群は、種としては同じカラスアゲハ(クジャクアゲハと言うべきか)に含まれるのですが、それぞれの集団の特徴は並行的に進化(変化)したものであり、直接の血縁的な繋がりはないと、ほぼ断定して差し支えないでしょう。
ちなみにカラスアゲハとミヤマカラスアゲハは、日本産に関しては容易に区別が付きますが、中国大陸産やインドシナ半島産は酷似していて、全体の微妙なプロポーションの差でかろうじて判別が付く程度です。もちろん、交尾器を検鏡すれば、その違いは一目瞭然ですが。
カラスアゲハは、Papilio属を細分すれば、Achillides(亜)属に含まれます。この一群は東アジア~東南アジアに繁栄し、北米やアフリカにも外観上類似した一群が分布しますが、それぞれ直接の系統上の繋がりは有りません。東南アジアに数種が分布するオビクジャクアゲハPapilio palinurusの一群も、通常はAchillidesの一員とされますが、交尾器の構造に共有の特徴は全く見られず、系統上無関係な存在と思われます。ただし、ニューギニア周辺地域に分布するオオルリアゲハPapilio ulysses(及び近縁数種)については、真正Achillidesと何らかの関係を持つものと考えています。
真正のAchillidesは、カラスアゲハの一群とミヤマカラスアゲハの一群に大別することが出来ます(詳細は、小生が1981年に提唱した「旧大陸産アゲハチョウ亜科の外部生殖器構造比較による分類再検討」を参照)。
カラスアゲハの一群には、カラスアゲハ&クジャクアゲハPapilio polyctors、オキナワカラスアゲハP.okinawensis、ルソンカラスアゲハP.chikae(ミンドロカラスアゲハを含む)、カルナルリモンアゲハP.karna、ルリモンアゲハP.paris(数種に分割する見解あり)、および、見かけともかく系統的には上記各種とはかなり離れた位置付けにあると推定されるアマミカラスアゲハP.amamiana(綴りなど自信なし)、それに(別亜群を設置しても良いかとも思われるほど)アマミカラスアゲハ以上に特異な♂交尾器形状を示すタイワンカラスアゲハP.dialisが含まれます。
ミヤマカラスアゲハの一群には、ミヤマカラスアゲハ&シロモンカラスアゲハ(通常「シナカラスアゲハ」と呼ばれますが、僕は和名に“シナ”の名を冠しないというポリシーなので、この名を使用)Papilio maackii(=P. syfanius)、ホッポアゲハP.hoppo、オオクジャクアゲハP.arcturus、タカネクジャクアゲハP.krishinaが所属します。
カラスアゲハの一群とミヤマカラスアゲハの一群には、♂交尾器(外部生殖器)の構造に顕著な相違点があります。なかでも、「ユクスタJuxta」という、Penisを支える板状部分に明確な構造差が認められます。目に見える輪郭部分ではなく、板(ほぼ透明で目視は困難)の中央の盛り上がり状況の差であり図示が難しいため、僕以外の研究者からの指摘は全く成されていませんが、極めて安定した形質で、両群の分類に当たって重要な指標形質となり得るのです。
近年成されたDNA解析によるAchillidesの分類体系が、30年まえに小生が著した♂交尾器の構造比較による分類体系と、ほとんど同じ結果が示されているのは、胸がすく思いでいます。
なお、ミャンマーからアッサム地方に稀産するオナシカラスアゲハP.elephenorについては、♂交尾器の検鏡を行っていないため、所属は不明です。