青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

大谷、トランプ、etc、、、

2024-11-05 20:48:22 | 雑記 報告

大雨で水道が止まり、テレビが映らなくなってしまった。水道はすぐに回復したのですが、テレビはなかなか元に戻らず、夕方になって回復しました。

 早速ロサンゼルスのドジャース優勝パレードを見ました。そのニュースに対して、「大谷も山本も、ちょっとしか映っていない、これじゃまるで放送事故!」といったような発言多数。

 うんざりですね。これ(大谷に特に焦点が当たっていないこと)が正常なのです。大谷と山本のドジャースではなくて、ドジャースの大谷、山本です。あまりにも当たり前です。でも当たり前であるということが分かっていない。

 「日本人は素晴らしい!」 と広言したくなる気持ちはわかるし、悪い事ではありません。僕も日本人ですから、嬉しくて浮かれてしまうことは同じです。でも、「大谷のドジャース」という図式を当然と捉え、それ一択で現象に対して(そして他を排除して)いく姿勢には、大きな懸念を感じざるを得ない。

 大袈裟と言われるかも知れないけれど、その姿勢を肯定し続けることが、戦争に繋がっていくのですね。メデイアと大衆が、(無意識のうちに)戦争を誘発しているのです。

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 一応日本シリーズも見ました。ベイスターズの下剋上、個人的には爽快な思いです。けれど(僕以外の多くの人も感じていることでしょうが)納得しがたい思いがあります。日本のポストシリーズは、大リーグのそれとは、本質的な部分で全く異なるからです。

 大リーグのポストシリーズは、公平を期すために採られた必然的な体制、日本シリーズは、、、、単に(外枠だけの)大リーグへの追従と、無理矢理でっち挙げられた空気の形成。

 大リーグは、なんといっても球団数が多い(30)。そして各リーグが、3つの地区に分かれている。それぞれの地域の優勝球団が争うとした場合、それだけで6チームとなります。日本は1地区だから優勝球団は2チーム。

 それだけではありません。大リーグの場合、それぞれの地区の優勝球団の勝率は、大きく異なってきます。場合によっては(というよりもたいていの場合)勝率がうんと低いチームが地区優勝したりする。別地域での2位や3位球団が、他の地域の優勝球団の勝率を上回っていたリします。今年で言えば、ナ・リーグ西球団のパドレスとかダイアモンドバックスとかが相当します。同じリーグで別地区の優勝球団より勝率が高いのに、決戦には進出出来ない、という理不尽をなくすために(かなり大きなハンディを付けたうえで)採られた救済処置なのです。30球団中12球団、優勝球団が6つ、救済出場が6つ。(一部の地区優勝球団を除いては)勝率の高い球団ばかりです。

 日本の場合は、何の根拠もありません。両リーグの優勝球団以外にも、勝率に関係なく、自動的に各リーグ2位と3位が出場できる。時には勝率5割に満たない球団が出場権を得て「日本一」になってしまったりします。何のために長いシーズンを戦ってきて、リーグ優勝を勝ち取ったのか、意味がなくなってしまう。12球団中6球団。優勝球団が2つ。救済出場が4つ。勝率がいくら低くても、2球団に一つは出場権を得ます。

きちんとした意味があって行われるワールドシリーズと、単に金儲けへの画策とそれに導かれた空気に便乗して行われる日本シリーズ。

 もっとも、日本だって、選手や関係者は頑張っているのです。ある意味、大リーグに対して見劣りはしない。それは認めます。

 問題は、ファンを取り巻く世間的構造ですね。整然と旗を振りながら一斉に同じコールを大合唱。見ていると情けなくなってきます。北朝鮮の人民となんら変わらない、飼い慣わされた羊の群れ。

 *日本シリーズに正当な意味を持たせるならば、、、、。

まず、中国、東南アジア各国、オーストラリアなどの各地区を合わせた優勝球団を選出、そのチームが韓国、台湾の優勝チーム、およびセパの2‐3位チームと戦って日本シリーズへの出場権を得る。そこでの勝者はアジア・オセアニアリーグのチャンピョンです。それに加えて、中南米・ヨーロッパリーグのチャンピョンが、大リーグのポストシリーズに参加する。

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 国民民主党、なんか好きになれんですね。いかにも寄らば大樹の陰、某宗教党と何ら変わらない。目前の(すなわち個人の)利益だけしか考えていない。ちなみに僕の政治理念は共産党とほぼ同じなのですが、支持してはいません(その理由を説明するのは非常に難しい)。

 僕は、もとより選挙制度自体を拒否しているわけで、“まやかし”に加担するわけにはいかない。選挙制度は、“自己保身”“責任逃れ”“強いもの勝ち”を正当づける“からくり” を基盤とした「民主主義」の構造の象徴です。公平を謳いながら、現実的には少数意見を排除していくシステムです。それがわかっていて、深く考えることなく、皆従っている。

 以前、某編集者がこんなことを言っていました。

>良い独裁者がいれば世界は変わるかも知れない。

僕もそう思います。ただし絶対条件がある。そしてその条件は決して満たされることはないでしょう。「良い独裁者」が成り立つためには「良い大衆」の存在が必須です。しかし、「良い大衆」は存在し得ない(個人は存在するとしても)。「大衆」は、将来全体を俯瞰することは出来ず、眼前の自分(たち)の権利、リスク排除しか考えていない。大衆が存在する限り、 (結果的に)独裁者は独裁者たりえなく、大衆の召使でしかなくなってしまうのです。

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 僕は、トランプの政治理念には反対の立場なのですが、でも何故か惹かれるところがあります。彼に再登場してほしいですね。

 (基本的に)中絶反対です(レイプそのほかの場合も含め)。理由は死刑反対と同じ。ただしあってもいい、とも思っています。個人の判断レベルで。それを正しいとしてではなく、間違った行為(ある意味において人殺しですから)であることを認識した前提(悪を承知で行うこと、罪を受け入れること)で、あっても良い。死刑制度には反対だけれど、仇討ちには必ずしも反対はしません。個人の権利を、社会の権利に置き換えるのは、同意しかねません。

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 国連から、(日本の夫婦同姓強要や女性天皇否定など女性軽視社会に対しての)勧告が成されていますね。しかし、メディアも国民も、無視を決め込んでいるようです。何らかの意思があっての無視なら良い(僕でいえば上記の中絶に対する意見と相反するところもあるわけだし)と思うのですが、(空気に従った)消極的無視。政府レベルの問題ではなく、メディアと大衆の問題です。中東とか北朝鮮とかの風習をバカにしきっている日本人が、世界からは同じ目で見られている、ということに気づいていない。

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 ベッツの災難(ヤンキースファンによるグローブ略奪未遂)、何度見ても、呆れるを通り越して感動すら覚えるほどの衝撃です。人間、空気の中では、いや空気さえも突き抜けてしまって、有り得ない行動をとります(あの2人も後になってみれば自分が何をしたか覚えてもいないのだと思う)。それを思えば、闇バイト強盗も、世界の紛争戦争も、さもありなん、という気がしてきます。

 日本は安全で「平和」な国、世界の貧民国における暴動や略奪の日常とは対極にある、素晴らしい国。

 それは、ネガティブな要素を排除して、強者、すなわち裕福な民だけで成り立っているから可能になっているのですね。けれども、リスクを100%排除することは不可能です(生命自体を否定してしまうことになる)。必然的に、ネガティブな要素は混在します。そして、気が付かぬうちに、社会全体の中に浸透してくる。闇バイト問題は、その象徴です。

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 「権利の主張とリスクの排除」から、「権利の放棄とリスクの受け入れ」へ。

 「平和」「正義」「未来」に本気で取り組むならば、人類は今、方向の転換を求められているのではないかと思います。

 

 

 

 

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