青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

中国はどこにある? 日中関係の基本構造を考えるⅡ

2011-04-08 09:26:26 | チョウ

昨夜も東北地方で震度6強の余震がありました。この余震はいつまで続くのでしょうか。早く平常な状態に戻ってほしいです。

★このシリーズは、3年前(2008年)の4月に、あや子さんへ個人的に送信した練習用サンプルを、そのまま再利用したものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Ⅰモンシロチョウの仲間の話から(その2)

エゾスジグロチョウという蝶~分類・学名・和名などについての基本認識



最初に学名が付けられたチョウ ヨーロッパのモンシロチョウ類3種


地球上の生物全てに、生物学的な分類体系の確立を念頭において、万国共通の名前をつけようとしたのは、リンネです。彼はヨーロッパの人ですから、最初に発表された1758年の論文には、ヨーロッパ全土でごく普通に見られる生物たちが選ばれました。

モンシロチョウも、オオモンシロチョウも、エゾスジグロチョウも、それらの一つというわけで、同じ1758年に、同じ学会誌に発表されています。

3種のうち、ヨーロッパにおいて最もポピュラーなのは、オオモンシロチョウです。日本語の和名に相当する現地名(Common Name)では、オオモンシロチョウが“キャベツ白蝶=Large WhiteまたはCabbage White”、モンシロチョウが“小さなキャベツ白蝶=Small WhiteまたはSmall Cabbage White”(注:アメリカでは、モンシロチョウが“Cabbage White”)、エゾスジグロチョウが“緑脈白蝶=Green-veined White”または“芥子白蝶=Mustard White”となります。
 

オオモンシロチョウ 中国雲南省


学名とは?

学名は、ラテン語です。学術的には、これが基本となりますが、一番最初に付けられた名前、と言うわけではありません。モンシロチョウ類3種のように、ポピュラーな種では、大抵の場合、それぞれの地域における一般名が、それ以前から存在しています。

学名は、属名Genus+種名Speciesで構成され、2名法と呼ばれます。姓と名みたいなもの、と思ってください。属の上には族Tribe(日本語の発音は属と同じ、植物の場合は連ともいう)、人間で言えば、さしずめ属が家族、族は一族でしょうか? その上には科、英語ではFamilyですが、上の例えでいくと、国民ということになりましょう。

さらに目Order、綱、、、、と続きます。その間には、亜目、亜科、亜族、亜属(どれも頭にSubがつく)などがあり、 節Section、亜節、系Series 、群Group、類、なども、臨機応変に使われます。さらに、種の下には、亜種Sub-species、変種Variatus、品種Form(後2つは、学術上は植物のみに適用)などがあります。

これらの分類群の単位は、属、種と違って、学名を構成する時に、使用されることはありません。

属や種をきちんと特定しておくことは、それぞれの生物を調べていくにあたっての出発点ともいえる、科学的に非常に大事な事柄なのですが、それに囚われてしまっては、困ります。分類群の特定は、あくまで取っ掛かりなのであって、結論ではないのです。

蝶のほとんど全て属名は、1758年にリンネが最初に発表した時には、Papirio (パピリオ)でまとめられていました。模式種はキアゲハ。ヨーロッパでは、最も派手で目立つチョウですから、いの一番に記載がなされたわけです。モンシロチョウ類3種も、同じPapilio属の種として同時に記載されました。

その後、属はどんどん細かく分割されるようになり、今はチョウだけでも膨大な数の属が記載されています。モンシロチョウ類3種も、キアゲハと分離されましたが、Papilioの模式種はキアゲハですから、別の属でなくてはいけません。そこで1801年に、オオモンシロチョウを模式種としたPieris(ピエリス)属が設置されました。


モンシロチョウの仲間は植物の一種?

学名の命名は、もちろん植物の場合も、同様に成されています。

ただし研究システムの違いから、命名に際しての法則などは、動物の場合とは別個に定められているのです。例えば、同じ対象に複数の名前を付けることや、同じ名前を別の対象に付けることは、動物の命名においても、植物の命名においても等しく禁止されているのですが、動物と植物の間においては、その限りではありません。

 
↑中国広西壮族自治区産アセビの花と葉(屋久島産とよく似ています)

そんなわけで、植物にもPierisという属があります。

ヨーロッパの人たちにとっては余り馴染みがないでしょうが、私たち日本人には身近な植物のひとつである、アセビ属です。蝶と樹木ということで、実質的な混乱の心配はほとんどないと言えども、ともにポピュラーな存在ゆえ、紛らわしいには違いありません。

さらに紛らわしいことに、日本産のアセビは、Pieris japonica、そして、エゾスジグロチョウの本州~九州産亜種は、Pieris napi niphonica(最後の語句が亜種名、付けても付けなくても学名として通用し、植物の場合は、亜種を意味するssp.を頭に付す)です。

これが、もし独立種(その可能性は充分あります)なら、日本本土産のエゾスジグロチョウは、アセビと更に紛らわしいPieris niphonicaになってしまいます。


分類に対しての姿勢、“守旧派”と“改革派”

学名に関する混乱の話題を、もうひとつ。

1801年に、モンシロチョウ属Pierisが設置されてから今に至るまで、モンシロチョウもエゾスジグロチョウも、疑いもなくPierisの一員とされ続けて来ました。ところが、20世紀も後半になって、その処遇に疑問を投げかける研究者が現われたのです。モンシロチョウやエゾスジグロチョウと、Pierisの模式種であるオオモンシロチョウとの間には、体の基本構造などに明確かつ安定した差異がある(重要な分類指標形質である雄の生殖器の構造が大きく異なり、後者の幼虫は青虫でなく毛虫、しかも集団で生活する、等々)として、両者は別属に分けられるべきである、という主張です。

その考えに基づけば、Pierisとして残るのは、オオモンシロチョウと、アフリカのアビシニア高地に隔離分布するスジグロオオモンシロチョウの2種のみ、モンシロチョウやエゾスジグロチョウを含む、ほかの大多数の種には、別の属名を与えねばなりません。

エゾスジグロチョウを模式種として設置されていた亜属Artogeiaを属に昇格させ、それに従う研究者も少なくありませんでした。提唱した学者が、ヨーロッパのチョウ分類界の大御所でしたし、なによりも納得の行く提唱でもあります。しかし、永い間慣れ親しんできたPierisの名が、モンシロチョウやエゾスジグロチョウに使えなくなるのは、判然としない思いが残ります。反対意見は、大きく分けて、次の2つ。

分類に対して保守的な人々は、基本構造や幼虫の生活様式が異なっても、チョウ自体の外観は違わないのだから、分けるのは反対、と考えます(モンシロチョウの仲間を集める人などは余りいないでしょうが、いわゆるコレクターはこの立場)。

もうひとつは、基本形質が異なり、属の分割が妥当であることは認めるとしても、モンシロチョウやエゾスジグロチョウの属名を、Pierisから他の名に移すことに関しては、チョウ自体が極めてポピュラーな存在であり、それらがPierisに属するとされてきた歴史の長さや一般への普及度を考えれば、いまさらの変更は、生物学の世界に留まらない範囲で混乱を引き起こす恐れがある。

そのような場合においてのみ適用される、命名規約上の原則に反した例外的処置もあるのだから、ここは変更するべきではないのでは、と言う意見です。

僕の見解は、上の2つとも異なります。実は、オオモンシロチョウの基本的な形態や生態は、モンシロチョウやエゾスジグロチョウのそれと変わらない、と考えるのです。

確かに、雄の生殖器の形状や、幼虫の姿は、モンシロチョウやエゾスジグロチョウを始めとした、他の(広義の)Pieris属の種との間に、(一般的に考えれば、当然属を分けて然るべき)大きな差があります。しかし、それは根本的な次元での違いなのではなく、2次的な変化なのではないかと。

一般には、雄交尾器は、翅の色や模様と違って、外部との関わりにおいて簡単に変化することはない、と考えられています(僕自身もその立場に立ちます)。

近い仲間同士の間には、大きな差異は生じません。明確な相違があれば、血縁の離れた、別属の種であることが多いのです。しかし、部位によっては、比較的形質の変化の速度が速いこともある。オオモンシロチョウの雄交尾器の形は、確かに他の(広義の)Pierisのそれと顕著に異なりますが、そこは変化のしやすい、かつよく目立つ部分。

それ以外の部位は共通しています。具体的なことは、拙書「中国のチョウ~海の向うの兄妹たち」に記していますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

“種”は極めて多元的で、あらゆる要素が作用しあって成り立っています。それを体系的に整理する分類という行為は、常に動的かつ謙虚な姿勢で、幅広い視野から見渡すことの出来る立脚点に立たねばなりません。簡単に結論を求めるものではないのです。



菜の花と対で名付けられたモンシロチョウ属3種の種名

属名についての薀蓄ばかり述べてきて、種名に触れるのを忘れていました。オオモンシロチョウはbrassicae、モンシロチョウはrapae、エゾスジグロチョウはnapi。いづれも“菜の花”の学名の一部です。アブラナの学名がBrassica rapa、セイヨウアブラナの学名がBrassica napus。ちなみにキャベツもBrassica属で、ダイコンはごく近縁のRaphanus属。

3種ともリンネが最初に刊行した1758年の論文に記載されているわけですが、オオモンシロチョウが属の模式種となっているのは(確かめてはいないので本当の理由は別にあるのかも)、アルファベット順に一番早い頁に来たことと、関係があるのかも知れません。

同様に、もしモンシロチョウとエゾスジグロチョウの属名にArtogeiaが充てられるとした場合にも、NのほうがRより先なので? 模式種はエゾスジグロチョウ。なかなか、正式に“モンシロチョウ属”とは、させてくれないのです。










日本と中国のモンシロチョウ類

と言うような訳で、ヨーロッパには3種のポピュラーなモンシロチョウ属の種がいるのですが、日本にも、やはり3つのポピュラーなこの属の種がいます。モンシロチョウ、スジグロチョウPieris melete、エゾスジグロチョウの3種。このほか、対馬に、タイワンモンシロチョウPieris canidiaが在来分布しています(最近、八重山諸島にも台湾から侵入定着)。

ちなみにオオモンシロチョウは、中国までは自然分布し、日本には分布していません。ところが最近になって、おそらくは輸入キャベツにくっついてきたのだと思われますが、北海道に侵入したのです。食草のナノハナやキャベツはいくらでもありますし、元々生活力旺盛なオオモンシロチョウのこと、瞬く間に定着してしまったようです。

中国の各地にも3種がセットで見られます。こちらは、モンシロチョウ、エゾスジグロチョウ、タイワンモンシロチョウ(エゾスジグロチョウを中国固有の独立種、チュウゴクスジグロチョウPieris eritraとする見解も)。タイワンモンシロチョウは、アジアの南寄りの地方に広く繁栄し(ただし、北は中国北部や朝鮮半島まで分布)、中国の各地では都市周辺などにも多く見られます。ヨーロッパにおけるオオモンシロチョウの生態的地位を占めているように思われます(中国には、地域は限られてはいますが、オオモンシロチョウも在来分布)。



 

“〇〇の来た道”“氷河時代の生き残り”は、まやかしの言葉

ついでに、言っておかねばならない重要なことを一つ。よく、“〇〇の来た道”と言う表現がなされます。

しかし、北海道のオオモンシロチョウのような帰化生物の場合はともかく、在来の生物の由来は、そんなに単純ではありません。安易に“やって来た”と表現するのは、非常に問題があるのです(ちなみに、“氷河時代”という、せいぜい10万年前後の時間単位は、生物の種の形成の歴史にとっては、ごく最近のことです)。日本の在来分布種の多くは、“行った・来た”とは別次元の、種の成立に関わる何100万年という単位の、時間と空間と生命の鬩ぎあいを繰り返しつつ、今に至っているのです。これ以上突っ込むと、話がこんがらがってくるので止めますが、このあと僕の話す内容の全てに関わってきます。

“どこから来たか”という次元で捉えることは、頭の中から捨てて考えていただければ幸いです。

なお、日本のモンシロチョウは、一応在来種として扱いましたが、元々はそうではないかも知れません。オオモンシロチョウ同様、しかし遥かに古い時代に、蔬菜類に混じってやって来た可能性が高いのです。アメリカにモンシロチョウが侵入したのは、1860年代である、という調査が成されています。日本の場合は、それよりもずっと前の時代と考えられていますが、具体的な年代については分かっていませんし、そもそも、日本に在来分布せず古い時代に侵入帰化した、ということに対する確証もありません。


都市に繁栄する日本産の2種

日本産の3種は、いずれも北海道の北端から九州の南端近くまで広く分布しています。最も繁栄しているのは、最も後からやってきたと思われるモンシロチョウで、耕作地のキャベツやダイコンなどを主な食草とし、全国津々浦々、普通に見ることが出来ます。ただし、人里から遠く離れた山間部では、他の2種より個体数が少なくなることが普通です。

もうひとつ例外があります。大都市、ことに東京の都心などでは、モンシロチョウよりもスジグロチョウのほうが、勢力を誇っているのです。都心のビル街の周辺では、モンシロチョウの姿はあまり見かけず、そこで見られる白いチョウは、大抵がスジグロチョウです。

ビルの谷間の路地には、スジグロチョウの好むイヌガラシなどの野性アブラナ科が生えていますし、鉄道路線には、中国の深山から移入帰化した、ムラサキハナナが群落を作っています。都心にスジグロチョウ、近郊にモンシロチョウ、山際で再びスジグロチョウという構図です。

スジグロチョウは本来、山際の森林の周辺の、地形的に起伏に富み、日影と向陽地が入り組んだ環境に棲息しています。日本特有の植生環境である、雑木林およびその原型としての中間温帯林(重要な概念なのですが、話が複雑になってくるので、機会を改めて説明します)をバックボーンに、種形成された生物だと考えられます。都会の、ビルの谷間や、鉄道路線周辺は、いわば、彼らの“ふるさと”を再現した環境なのです。
と言っても、実際には多くの地域で、モンシロチョウとスジグロチョウが共生しています。
その現場で実態を比較観察すると、それぞれの種の持つ性格が、浮き彫りになってきます。

拙著『チョウが消えた』(あかね書房1993年、原聖樹氏との共著)に、世田谷区内のキャベツ畑で観察した、モンシロチョウとスジグロチョウの比較結果を紹介しています。畑の中のキャベツやダイコンの位置ごとに、生みつけられた卵の数をカウントしてみました。日陰が形成される場所や時間に伴って、あるいはキャベツやダイコンの葉の位置ごとに、産み付けられた卵の数が明確に異なってくるのです。興味のある方はご覧下さい。

→[その③で紹介]ビルの谷間のキャベツ畑で~モンシロチョウとスジグロチョウ(於・東京都世田谷区)







新神戸駅のプラットホーム周辺を舞う蝶は、スジグロではなくエゾスジグロ

話を戻します。古参のスジグロチョウ、新入りのモンシロチョウという構図に、ここに、もうひとつ、そのエゾスジグロチョウが絡んできます。スジグロチョウのように、日本だけに棲む“原始的”な種でも、モンシロチョウ(やオオモンシロチョウ)のように、最近になって世界中に分布を広げた、“成り上がり”的な種でもなく、以前から世界の広い範囲に分布し続けていた、真っ当な、というか、平均的な種。言わばピエリスの本家本元といってよいでしょう。

エゾスジグロチョウという長い名前から察しが付くとおり、日本においては、身近さで他の2種に明らかに劣りますし、蝦夷すなわち北海道を始めとする寒い地に棲むことが分かります。北海道では平地にも棲息していますが、本州では山のチョウとなり、九州などでは分布域が限られてきます。

しかし、実態はそんなに単純ではありません。例えば、先に東京の都心で繁栄するスジグロチョウの話をしましたが、京阪神圏では、市街地でスジグロチョウの姿を見ることは稀です。その反面、首都圏ではかなりの山奥に行かねば見ることの出来ないエゾスジグロチョウが、意外に身近な地に棲息していたりします。例えば、新神戸駅のプラットホーム周辺で見ることが出来るのは、スジグロチョウではなく、エゾスジグロチョウのほうです。

東京と関西では、両種とも(あるいはどちらか一方の)性格が異なるのかも知れません。それはともかくとして、北海道のエゾスジグロチョウと本州~九州のエゾスジグロチョウは、違う種なのでは、という見解もあります。そうなると、日本には3つの“スジグロチョウ”がいるということになりますが、余りに複雑にしてしまうと、以降の話がスムーズに進められなくなってしまう恐れがあるので、これ以上踏み込むのはやめておきましょう。

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは本当に別の種なのか?

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは、全く別の種、という論点で書き進めてきましたが、両種の関係は非常に複雑で、日本のチョウの中で、区別が最も困難なペアでもあります。実のところ、100%を正確には見分けられない。鱗粉の特殊化した発香鱗の形状に差があるとも言われますが、それも定かではありません。♂交尾器の形状も、傾向的な方向性は見てとれる(僕には大体見分けが付く)のですが、絶対的なものではありません。

では、同じ種なのか、と言うと、(具体的な理由については)詳しくは省略しますが、明らかにそれぞれが別の種として存在するのです。稀に交雑する(その子孫はどちらの種からも区別不可)ことはあっても、総体的には混じりあうことなく、それぞれが独立の集団として機能しています。
ちなみに、最も分かり易い区別点は、♂の香り。モンシロチョウはほぼ無臭、エゾスジグロチョウは弱い香りを発し、スジグロチョウは、ある種の香水やトイレの匂い消しにそっくりな、強い薫りを発します。

実は「人里の生物」こそ、本当の“生きた化石”

一番新しく日本にやってきた(モンシロチョウの場合はこの言葉を使っても大丈夫だと思う)モンシロチョウが、都市周辺で一番繁栄しているかといえば、必ずしもそうではなく、日本にしかいない可能性の強い(これだけポピュラーな生物なのに、朝鮮半島や中国に分布する集団との比較は、詳しくは成されていません)、ということは極めて古い時代に日本で種形成された可能性が強いスジグロチョウが、都市部で最も繁栄しているというわけです。

このような現象は、なにもスジグロチョウに限ってのことではありません。スジグロチョウの場合は、日本固有種といっても、後に述べるようにエゾスジグロチョウとの関係(ことに朝鮮半島など日本海対岸地域産)との関係が微妙なのですが、明らかな日本固有種の、ある意味では現在日本に棲む生物の中で最も原始的な種のひとつと言ってもよい、ヒカゲチョウ(別称ナミヒカゲ、日本産の二百数十種のチョウ類のうち、唯一海外に“兄妹”とも言える近縁種さえ存在しない)やサトキマダラヒカゲも、都心部で繁栄しています。

また、アゲハチョウの仲間では、広くヨーロッパから北米にかけて分布するキアゲハでも、アジアの南部から北上しつつあるといわれている(疑問あり)モンキアゲハやナガサキアゲハでもなく、東アジア固有の、それも他の同属各種から孤立した血縁関係にあると思われる、アゲハチョウ(別称ナミアゲハまたはアゲハ)が、都市的環境との結びつきが最も強いのです。

僕が“スジグロシロチョウ”と呼称しない理由

少し話がそれます。読者の皆様の中には、スジグロチョウ、エゾスジグロチョウではなく、スジグロシロチョウ、エゾスジグロシロチョウと呼ぶのが正しいのではないか?と疑問をお持ちの方が、いらっしゃるのではないでしょうか? 本を出版した時など、はっきりと「間違いだ」と指摘されることもあります。どうでもいいことのようにも思われますが、将来の日本の教育方針のあり方として、由々しき問題とも考えるので、僕の見解を述べておきます。

スジグロチョウ(筋黒蝶)の名は、モンシロチョウ(紋白蝶)、ツマキチョウ(端黄蝶)、ツマベニチョウ(端紅蝶)といった名とともに、20世紀の後半、おそらくは1970年代頃まで、ずっと使われ続けてきました。

学名と違って和名には命名権といったものがないので、どの名前を使わねばならないという規制もなく、理屈上は各自が自由に呼び名を付けてもよいのでしょうが、それでは意思の疎通が図れません。そこで、いわゆる“標準和名”というのが存在することになります。例えば、“ぺんぺん草”ではなく“ナズナ”が正しい名前、と言われたりしますが、“ぺんぺん草”の名が“正しくない”というわけではありません。もとより、身近な植物や昆虫に対しては、地域ごとに無数とも言えるほどの名前があって、それぞれが、どれも正しいのです。しかし、多くの日本人が共通の話題とするにするには、できれば統一された名前があったほうがいい。といって、学名のような必須手続きや、そのための管理機構などはないので、結果とし、最も一般に流布している名が、(ほぼ自動的に)標準和名となるわけです。

複数の名が存在するときに、どのようなものが選ばれるかは、一概には言えません。その折々の情勢次第、一言でいえば、力関係でしょう。はじめ“ダンダラチョウ”と呼ばれていたものが、新たに“ギフチョウ”と名付けられ、いつのまにか標準和名になってしまったことなどは、その好例です。岐阜県にしかいないわけではない(秋田県-山口県に分布)のに“岐阜蝶”はおかしいではないか、元からあった“ダンダラチョウ”でよいのではないか、と疑問を挟んだところで、定着して長い時間が経った今となっては、手遅れです。由来(最初の総合的な研究が、岐阜の研究者により岐阜でなされた)はともかく、岐阜とは無関係に“ギフチョウ”という固有名詞として人々に認知されてしまっているわけですから。

他にも、できることならば残しておきたかった、惜しい名前が数多くありますが、今となっては致し方がない。統一しきれずに、現在でも二つ以上の和名が並立している例は、植物では数多くあります。チョウの場合は、ほとんどが統一されてしまっていて、今だ2つの名が並立しているのは、ウラミスジシジミとダイセンシジミぐらいでしょう(説明的に過ぎる“裏三筋”よりも、僕の個人的好みでは“大山”、全国分布する種に山陰地方の“伯耆大山”を充てるのは、いくらなんでもという気がしますが、でも、その突拍子なさが楽しい)。

和名は学名のように、決定的な約束事がないわけですから、学名と違って、システィマティックには構成されていません。システィマティックに物事を進めて行くということは、いかにも合理的で、便利なように思われるのですが、それに囚われすぎると、破綻をきたしてしまうこともあるはずです。もとより生物という存在は、システィマティックな世界の対極 に位置付けられるといって好いでしょうから(そう思わない研究者も多いでしょうけれど)。

それはともかく、和名のもつ第一の意義は、対象を分かりやすく示すことのはず。辻褄は合わなくとも、あるいは統一がとれなくとも、その言葉の響きの持つ印象によって、対象の実像をより的確に伝えることが出来ればよいのです。

ところが、愛好家や研究者の中には、和名も学名同様に、厳密に定義し、システィマティックに整えていこう、と考える人が少なくありません。極端な例では、和名も学名の種小名を冠して呼ぶべき、という動きもあります。

モンシロチョウは“ラパエシロチョウ”、クロアゲハなら“ヘカベアゲハ”。。。。それがより科学的な姿勢であると。しかし一見合理的に見えても、決してそうではないのです。研究者によっては、モンシロチョウをrapae でない、クロアゲハをhecabe でないとすることも、充分にあり得るわけですから、支持される見解が代わるごとに、その都度和名も変えて行かねばならなくなります。

そのような例は極端としても、ほかの意見も似たようなものです。一番納得し難いのが、 語尾を統一しようとする動き。これまでもいろんな機会に反論を述べてきた、野性アジサイについての例で言えば、アジサイ属の種はすべからく語尾をアジサイで統一しよう、といった動きです。ゴトウヅルはツルアジサイ、ヤクシマコンテリギはヤクシマアジサイ。意味がよく分からないもの、ほかと違っているものを排除していこうとする方向性、それが日本の科学の世界、教育の世界の現状なのです。

ちなみに、野生アジサイのなかでも属が異なるとされている(したがって多くの人々は、それを野生アジサイの一員だとは認識していない)イワガラミに関しては、誰もアジサイの語尾を付けようとは提唱しない。しかし、本質的にはアジサイ属の各種と何ら変わることはなく、近い将来、アジサイ属に編入されてしまう可能性も少なくありません(今それぞれの生物に充てられている属の帰属は、学術上、絶対的なようで、実際の根拠は脆弱極まりない場合が多いのです)。きっと、そのときになれば、和名も変えようとするのでしょう。

魅力的な和名が、どんどん失われていきます。タレユエソウは(最初に発見された場所から)エヒメアヤメに、アカマンマは(他のタデ属の種と同じに、ということで)イヌタデに。

これらの例は、かなり早い時期に今の和名が定着してしまっていますから、今となっては古くからある名に戻すのは難しい。ただし、まだ生き残っている、例えば同じタデ属のママコノシリヌグイ、これを将来「〇〇タデ」とするとなれば、断固反対しなくてはなりません。
生物は多様であり、不可解であり、よって理解不能のユニークな名が付けられていてこそ、本懐だと思うのです。なし崩し的に統一へと向かう、異質を排除する、日本の(無意識的な)社会の方向性には、どうしても組みし得ないのです。

極論すれば、和名の決定条件は、力関係でしょう。しばしば高名な研究者の鶴の一声で決まってしまいます。あるいは、大手出版社の都合で決まったりもします。しかし、何よりも影響力があるのは、教科書です。これに採用されれば、絶対的。それ以外の表現は、全て“間違い”とされてしまうのです。

スジグロ“シロ”チョウも、どうやら教科書に載るようになって(そのきっかけは高名な研究者の提言ですが)、唯一絶対無二の名前となってしまいました。黒チョウではなく白チョウだから、これまでのようにスジグロチョウと呼ぶのは、間違いということらしいのです。

 でも、それを言うなら、ツマキチョウはツマキシロチョウでなくてはなりませんし、ツマベニチョウもツマベニシロチョウでなくてはなりません(冗談ではなく、いつかそうなってしまうかも)。やや趣旨が異なりますが、モンシロチョウもモンクロシロチョウでなくてはならない(さすがにそれはないでしょうが)。

それを言い出せばきりがない、ほとんどの和名を組み替えねばならなくなってしまいます。
それ以前の問題として、前にも言及した、研究者による種や属や科の帰属見解の相違あるいは変革、シロチョウの仲間とされていた種が、実はキチョウの仲間だった(有りえます)とした時など、その都度、和名を変えていかねばならなくなるのです。
たかが生物の呼び名のことなど、些細な問題かもしれません。しかし、単に名前がどうの、といった問題でもないのです。日本の文化の姿勢に関わる、日本人の、人間としてのあり方(例外を排除していくという無意識の方向性)に繋がる次元の問題だと思っています。

エゾスジグロシロチョウ、この舌をかみそうな和名を、僕は断じて使いません。

新神戸駅のプラットホーム周辺を舞う蝶は、スジグロではなくエゾスジグロ

話を戻します。古参のスジグロチョウ、新入りのモンシロチョウという構図に、ここに、もうひとつ、そのエゾスジグロチョウが絡んできます。スジグロチョウのように、日本だけに棲む“原始的”な種でも、モンシロチョウ(やオオモンシロチョウ)のように、最近になって世界中に分布を広げた、“成り上がり”的な種でもなく、以前から世界の広い範囲に分布し続けていた、真っ当な、というか、平均的な種。言わばピエリスの本家本元といってよいでしょう。

エゾスジグロチョウという長い名前から察しが付くとおり、日本においては、身近さで他の2種に明らかに劣りますし、蝦夷すなわち北海道を始めとする寒い地に棲むことが分かります。北海道では平地にも棲息していますが、本州では山のチョウとなり、九州などでは分布域が限られてきます。

しかし、実態はそんなに単純ではありません。例えば、先に東京の都心で繁栄するスジグロチョウの話をしましたが、京阪神圏では、市街地でスジグロチョウの姿を見ることは稀です。その反面、首都圏ではかなりの山奥に行かねば見ることの出来ないエゾスジグロチョウが、意外に身近な地に棲息していたりします。例えば、新神戸駅のプラットホーム周辺で見ることが出来るのは、スジグロチョウではなく、エゾスジグロチョウのほうです。東京と関西では、両種とも(あるいはどちらか一方の)性格が異なるのかも知れません。それはともかくとして、北海道のエゾスジグロチョウと本州~九州のエゾスジグロチョウは、違う種なのでは、という見解もあります。そうなると、日本には3つの“スジグロチョウ”がいるということになりますが、余りに複雑にしてしまうと、以降の話がスムーズに進められなくなってしまう恐れがあるので、これ以上踏み込むのはやめておきましょう。

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは本当に別の種なのか?

スジグロチョウとエゾスジグロチョウは、全く別の種、という論点で書き進めてきましたが、両種の関係は非常に複雑で、日本のチョウの中で、区別が最も困難なペアでもあります。実のところ、100%を正確には見分けられない。鱗粉の特殊化した発香鱗の形状に差があるとも言われますが、それも定かではありません。♂交尾器の形状も、傾向的な方向性は見てとれる(僕には大体見分けが付く)のですが、絶対的なものではありません。では、同じ種なのか、と言うと、(具体的な理由については)詳しくは省略しますが、明らかにそれぞれが別の種として存在するのです。稀に交雑する(その子孫はどちらの種からも区別不可)ことはあっても、総体的には混じりあうことなく、それぞれが独立の集団として機能しています。

ちなみに、最も分かり易い区別点は、♂の香り。モンシロチョウはほぼ無臭、エゾスジグロチョウは弱い香りを発し、スジグロチョウは、ある種の香水やトイレの匂い消しにそっくりな、強い薫りを発します。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国はどこにある? 日中関... | トップ | 中国はどこにある? 日中関... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

チョウ」カテゴリの最新記事