モエギチョウ(旧名・シリアアゲハ/ニセアポロ/ムカシウスバ)Archon apollinusは、一見した姿こそギフチョウ属とは全く異なりますが、実は遺伝的に最も近い血縁にある“姉妹種”です。ギリシャ・サモス島にて 2022.3.30 13:30
「萌葱Books」新刊書の内容の一部を先行紹介していきます。
*近日中に刊行予定。
萌え始める樹々の薫りと光と風の物語【その3】
The story of early spring, budding of trees, fragrant, light and wind,,,,,
【“第5のギフチョウ”はどこに?】
時折思うのですが、ギフチョウ属は、この4種だけで構成されているのだろうか?と。日本はともかく、広い中国のことです。これまでに知られていない別のギフチョウ属の種が、どこかに人知れず棲息しているかも知れません。ということで、その後、研究者や蝶マニアを中心に「第5」のギフチョウ探しが始まりました。しかし、現時点における結論を言えば、第5のギフチョウ属の種は、まだ発見されていません。断言するわけにはいかないのですが、おそらく今知られている4種が、現存するギフチョウ属の全ての種である可能性が強いと思います。
実は、一時はギフチョウ属の祖先種ではないか、と目された蝶があったのです。それ以前からも、ギフチョウ属によく似た色彩・斑紋を持つシボリアゲハ属が、ギフチョウ属の姉妹群とされていました。なかでも四川省西南部や雲南省西北部に稀産するユンナンシボリアゲハは、ギフチョウに生き写しで、この蝶こそ、ギフチョウの祖先なのではないか、と考えられてきたのです。しかし、原記載の図があるだけで、標本が無かった。
それが、上記のオナガギフチョウの発見と相前後して、多くの標本が採集されました。それを解析したところ、見かけはギフチョウにそっくりでも、基本的な形質は他のシボリアゲハ属の種と変わらず、ギフチョウとの直接的な血縁上の繋がりはないことが判明したのです。
結局、ギフチョウ属は、東アジアに孤立して分布する4種が全てで、他に姉妹群として位置づけされる集団は、何処にもいない、という結論になりました。それと共に、ギフチョウと外観のよく似た、シボリアゲハ属(東アジアに数種)、ホソオチョウ属(東アジアに一種)、タイスアゲハ属(ヨーロッパ~中東に数種)の各属は、ギフチョウ属と直接の関連性は薄いとしても、互いに比較的近縁な原始的アゲハチョウ科の一群である、ということで、ギフチョウ属ともどもタイスアゲハ族として纏められることになりました。
“原始アゲハ”には、もうひとつのグループがあります。ウスバシロチョウ族です。その中心を成すウスバシロチョウ属(蝶愛好家は“パル”と呼びます)は、ヨーロッパから東アジアを経て北米大陸に至る寒冷地や高山に50種近くが分布しています(日本にも3種)。やや横長の丸味を帯びた翅は、名の通り透明な白色で、種によっては赤や青の斑紋を配しています(一般的に最も有名なのはギリシャなどに分布するアポロチョウ)。コレクターに非常に人気があり、チベットやヒマラヤ周辺に棲む希少種は、とんでもない高額で標本の売買が行われていたりします。
ウスバシロチョウ族には、ウスバシロチョウ属のほかに、それぞれ1属1 (~数)種が中東から地中海東南岸にかけて分布する、イランアゲハとシリアアゲハ(ニセアポロチョウ、ムカシウスバシロチョウ)が含まれるとされています。
タイスアゲハ族とウスバシロチョウ族を併せてウスバシロチョウ亜科(いわゆる“原始アゲハ”には、ほかに中南米産の1属1種で成るメキシコアゲハ亜科がある)としますが、ギフチョウ属はタイスアゲハ族の他の3属とは、幼虫の形態や雄交尾器の形態に大きな差があるため、独立のギフチョウ族とする見解もあります。
いずれにせよギフチョウ属は、日本を含む東アジアの一角だけに大昔から細々と生き続けている典型的な遺存生物群、唯一無二の存在なのです。
【意外な答えがあった】
ところが、、、、余りにも予想外なので、、、、誰もが見落としていることがあります。ギフチョウの仲間(ギフチョウ族Luehdorfiini)は、東アジアに遺存分布する4種だけではなかった!
近年、海外の複数の研究者グループによって相次いで為されたアゲハチョウ科のDNAの解析*では、上記した「ウスバシロチョウ族Parnassiiniの一員とされる2属」のうちのひとつが「ギフチョウの系統分枝」の中に示されている。
*Nazari, V., Zakharov, E. V., and Sperling, F. A.H. (2007) Phylogeny, historical biogeography, and taxonomic ranking of Parnassiinae (Lepidoptera, Papilionidae) based on morphology and seven genes. Mol. Phylogenet. Evol. 42, 131-156. ほか。
その蝶はArchon属。通常「シリアアゲハ」とか「ニセアポロ」とか「ムカシウスバシロチョウ」とか呼ばれています。中東の一部からギリシャにかけて分布し、1種のみから成る(3種前後に分割されることもある)マイナーな属です。
ギフチョウ属の系統的な位置づけに関しては、1959年に日浦勇氏(大阪自然史博物館)、1973年に三枝豊平教授(九大)の詳しい考察があります。共に素晴らしい内容なのですが、Archon属に関しては、僅かな情報しか述べられていません。ギフチョウ属とは余りにも外観が異なり、当然のことながらウスバシロチョウ属に近縁と思われていたでしょうから、仕方ないことだと思います(それぞれそれとなく示唆はしているのですが結局は見逃していた)。
実は筆者もそれ(雄交尾器などの相似に基づくArchon属とギフチョウ属の近縁性)を気付いていたのだけれど、あまりに突拍子もないと思って、結論を出すに至りませんでした。
しかし、DNAの解析結果に基づけば、ギフチョウ属がシボリアゲハ属やタイスアゲハ属との直接的な繋がりが全くないことが判明したことと軌を一にするように、Archon属もまたウスバシロチョウ属との直接的な繋がりは全くなく、そして、なんと、外観が全く異なるギフチョウ属とArchon属が単系統上に示されたのです。
改めて整理をすると、このようになります。
>ウスバシロチョウ属Parnassius≪全≫とイランアゲハ属Hypermnestra≪西≫が、ウスバシロチョウ族Parnassiini。
>シボリアゲハ属Bhutanitis≪東≫、ホソオチョウ属Sericinus≪東≫、タイスアゲハ属Zerynthia≪西≫、シロタイスアゲハ属Allancastria≪西≫が、タイスアゲハ族Zerynthiini。
>そして、ギフチョウ属Luehdorfia≪東≫とモエギチョウ(シリアアゲハから改称)属Archon≪西≫が、ギフチョウ族Luehdorfiini。
*≪東≫ は東アジア、≪西≫は中東~ヨーロッパ、≪全≫は全北区。
改めて(重要な分類指標形質である)雄交尾器の形態に注目すると、ギフチョウ属とArchon属のそれは、基本的な部分でよく共通するのですね。
*Dorusam(第8腹節に接続するringの背方、tegumen+uncus)の部分が強靭でよく発達していること。それに反し、雌の腹部を挟みつける一対のvalvaeの把握力が弱い(Archonでは退化または未発達)こと。Tegumen腹縁とvalva基背縁の間にepicostaが生じることなど。
そして、成蝶の外観に於いても、細部ではなく全体を俯瞰的に見つめると、実はギフチョウと瓜二つであることが分かります。
また、幼生期(卵・幼虫・蛹)の形状も、両者はとてもよく似ています。生活のサイクルや、棲息環境も、共通します。両者とも、蛹で越冬し、成虫は春一番(3~4月)に一度だけ現れます。
【“荒唐無稽”と無視され続けてきた、ある解釈】
ここに、もうひとつ、非情に興味深いことが加わります。
イタリアの新第三紀中新世(500万年~2300万年前)の地層から、Archon属に似た蝶の化石が見つかっています。Doritites bosniackii (Rrebel, H. 1898)と名付けられた、絶滅種です。通常は、Archon属にごく近縁な、その祖型種と考えられています。
少し前の行に、“ギフチョウ属とArchon属の類縁性の近さが、21世紀になってDNA解析で証明されるまで見逃されていて、長い間Archon属はウスバシロチョウの仲間と認識され続けてきた”、ということを記しました。
しかし、DNA解析によるギフチョウ属とArchon属の近縁性の検証が為されるよりも100年以上前の1912年に、そのこと(ギフチョウ属とArchon属の近縁性)を示唆した研究者(ドイツのFelix Bryk)がいたのです。
彼は、(通常はArchon属に近縁の絶滅属Dorititesを設置される)化石種bosniaskiiを、ギフチョウ属の種(Luehdorfia bosniackii=一字異なる)として組み入れました。後に、NazaraiらのDNA解析や、雄交尾器の基本形態に基づく検証(青山:未発表)で確認された、ギフチョウ属とArchon属の関係性を考えると、当たらずとも遠からずと言ってよい処置だと思います。しかし、ほとんどの研究者は、「荒唐無稽」と無視してきたのです。
【タイスアゲハ族Zerynthiini】 チュウゴクシボリアゲハBhutanitis thaidina
四川省峨眉山1990.6.1
【ギフチョウ族Luehdorfiini】 オナガギフチョウ Luehdorfia taibai
陝西省秦嶺 2010.4.26
【ギフチョウ族Luehdorfiini】 化石種 Doritites bosniackii
Rebel, H. (1898) の原記載図より
【ギフチョウ族Luehdorfiini】 モエギチョウ(シリアアゲハから改称) Archon apollinus
ギリシャ・サモス島2022.3.27
【ウスバシロチョウ族Parnassiini】 ウスバシロチョウ Parnassius glacialis
東京都青梅市2021.5.1
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以下は、2022.3.30撮影のモエギチョウの写真です。午前10時から午後2時15分の間に同じ場所で撮影した写真15枚を取り上げました。実は撮影の最中には、同じ(せいぜい3~4頭の)個体が何度も繰り返し姿を現し、それを撮影したものと思い込んでいました(同時に姿を見せたのは2頭まで)。改めてチェックしなおすと、大半は別個体(9頭)なんですね(13:23-13:29の3枚、14:04の2枚、14:15の2枚はそれぞれ同一個体、10:03/11:52/13:36の3枚もその可能性が強いが不確実)。
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 10:03
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 10:53
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 11:09
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 11:52
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 13:13
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 13:17
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 13:23
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 13:29
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 13:29
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 13:36
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 14:04
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 14:04
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 14:09
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 14:15
モエギチョウArchon apollinus ギリシャ・サモス島 2022.3.30 14:15