青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

日本の民主主義は、本当に正しいのか?

2021-12-26 20:51:49 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記


★12月25日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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今日は、一週間前に書きかけたブログ記事を整えて載せる予定だったのですが、時間がかかりそうなので、今日チェックしたニュースからの新しいコメント。

新しい、といっても、何度も書いて来た内容ですが。

改めて念を押しておきます。僕は、例えば、ミャンマーの政府軍にしても、アフガンのタリバンにしても、それから中国やロシアの共産党政権にしても、日本の大量殺人事件の犯人も、付け加えればコロナウイルスもそうなんですが、彼らを「正しい存在」「悪ではない」と見做している(ポジティブに受け入れている)わけではありません。しかし、単純に「間違った存在」「悪」と見做して済むものでもない。

あまりにも当たり前のことを延々と繰り返し言い続けています。
「正義は一つではない」
「事実はひとつではない」
「光と闇は表裏一体」
“そんなことはみんな知っている”と某有名メディアのエリート編集者氏は言いますが、(彼をも含め)みんな知らないですね。
だから、何度でも繰り返し発信していきます。

・・・・・・・・・・・

この話の主題は(1週間前に書きかけた)次回のブログで記していく予定ですが、僕は、中国共産党の姿勢(ビジョン、ポリシー)を、一定の範囲(あくまで“一定の範囲”)で支持しています。ただし、現状は、本来の「姿勢」とは似ても似つかぬ、トンデモ最悪の方向に進んでしまっている、ということも理解しています。そのうえで、「姿勢」と言う事だけで言えば、日本よりマシだ、と思っているのです。「中国の共産主義社会」と「日本の民主主義社会」、本質的な部分で、どちらがより「民主的」なのか、「自由」の許に成り立っているのか、容易に答えは出せません。まあ、“幼稚”“頭がおかしい”で片付けられちゃうでしょうが(笑)。

何度も言いますが、僕は中国の(日本のもですが)共産主義には同意していません。習欣平(あるいは党指導部)は「中国には中国の民主主義がある」と言いますが、その“中国流民主主義”が正しいとは思いません(はっきり言って間違っていると思う)。しかし(正しいかどうかはともかく)“存在する”のは事実です。それを頭から否定(無視)してしまうのは、良くないことです(それこそ「民主主義」や「自由」の概念からかけ離れている)。

で、今日のニュース。いつもながらのネットの定番ニュースでもあります。
『中国「人権派」2人、所在不明に、当局拘束か(産経新聞)』

まあ、当然、そのようなことはあるでしょうね。僕の知人も、何人も拘束or所在不明になっているし。それ自体は否定していないんです。そしてそれが由々しき問題であることも。でも、だからと言って、それが全面的に間違っていて、対抗組織(いわゆる民主主義社会の人々)の言い分が全て正しい、とも限りません。

コメントは、相変わらず“金太郎飴”状態。

fut*****さん
>絶対に一人で外出したらダメだと思う。
[そう思う53/そうは思わない5]

で、僕のリコメント。
milk*****
>futさん、“思う”んじゃなく、してみたら? 案外できますよ。ぼく(日本人です、共産党嫌いです)は、35年間(中国の都会とか僻地とかで)一人で外出し続けていますが、、、、、。
[そう思う13/そうは思わない51]

そのことについて、少し詳しく説明をしておきます(これまでにも何度か書いて来たと思うけれど)。

その前に、言っておきたいのは、中国で最も辛い想いをしたのが、1980年代末の重慶・成都での留学時。日本人の留学生たちから、壮絶な虐めにあったこと(ずっと昔、東大の演習林で集団リンチをうけ殺されかけたことと重なります)。その日本人たちは、絶対に許せないです(今は各分野の指導者的立場にいるのでしょうが)。詳細はいつか書きます(ちなみに2013-2014年の昆明での留学生活は快適でした、唯一の日本人はもとからの友人だったので)。

それに比べれば中国人の暴力や、中国の政府からの弾圧なんて、可愛いものです。

中国人の暴力と言えば、実際に手をかけられたことがあります。漢民族の国民性なんでしょうかね。彼らは平気で暴力を奮ってくる。首を絞められたり殴り倒されたりした生命の危機が3度ありました。権力者側から2回(うち一回は公安)、反権力側から1回(香港の民主化運動の若者達)。

スパイ容疑での拘束(軟禁)が2回。それについて少し詳しく記しておきます。

最初は、1989年4月。ほぼ一か月間拘束されました(取り調べ時以外は見張り着き外出禁止のホテル軟禁)。西安の秦嶺(太白山南麓)。タクシーをチャーターして、丸一日撮影に出かけました。しかしあいにく悪天候で、蝶の姿は見かけなかった。それで、路傍の草地とか、山肌とかばかり撮影していました。そのタクシーの運ちゃんが、非常に乱暴な運転をするのです。人や自転車を跳ね飛ばしかねないと思って、𠮟りつけたのです。それを根に持っていたのかどうか、公安に報告しました。「この日本人は、特に観光地でもなんでもない山肌とかばかり撮影している、怪しい人なんじゃないだろうか」と。実は太白山の中腹には、中国最大?の軍事施設があるのですね。公安から見れば、僕は間違いなくスパイ、ということになります。わざわざこんな(観光地でもない)ところに蝶とか植物の撮影に来るわけがない、絶対にスパイである、と。

36枚撮りのコダクロームのポジフィルムを100本ほど持っていました。それを没収されました。現像して、何が写っているか確かめる。しかし、当時のコダクロームというのは、同じポジフィルムでもエクタクロームなど他のフィルムとは現像方法が全く違い、中国国内では現像が出来ないのです(最も近いところで香港、まだ「返還」前ですから、西側社会に委ねるわけにはいかない)。ということで「絶対に現像して見せる」と時間をかけたようなのですが、結局は現像できなかった。むろん日本大使館にも助けを求めたのだけれど解決には至りません。最終的には、どうやら大英博物館(当時の自然科学部門)まで照会が行って、この人物は確かに蝶の撮影のために中国に行っているようだ、という確認が取れて、4月26日、僕の41歳の誕生日に、釈放されました。「拘束のお詫びと誕生日祝い」ということで、高官が小さな食事会を開いてくれました。

2度目は、2002年10月1日。ミャンマー国境に近い保山という町での出来事。これもタクシー絡みですが、こちらは町の中です。タクシーの運転手が道を間違えて、アサッテの方向に行ってしまった。ちょっと腹が立ったので、タクシーを乗り捨てて歩くことにしました。そこがたまたま軍事施設の隣だったのですね。公安に引っ張られてしまいました。間が悪いことに、ちょうど国慶節の日で、僕は前々日に台湾から中国に渡ってきたばかり。スパイと見做された、と言うよりも、この日本人を懲らしめてやろう、という態度がありあり。西安の時とは違って、高官の態度は、露骨に敵対的です。やはりホテルに軟禁され、見張りが2人。2日間に亘り、インターネットの専門家という人(たぶん学生?)が、僕のパソコンと、持っていたCD/DVDを全てチェックしました。結局、何も怪しいものは写っていない、ということが分かり、3日目に釈放されました。この時の高官の態度はメチャ悪かったのですが、実際に取り調べに当たった現場の公安は結構フレンドリーで、食事などを御馳走してくれました。ただ、腹が立ったのは、新品のUSBメモリを没収されたこと。オイオイそれは無いよ、と意義を申し立てたら、「あんたは外国人だから無罪釈放するんだよ、中国人だったら極刑だよ」と言われて、おとなしく従わざるを得なかったのです(取り調べの途中、何回も乗っていたタクシーの特徴とかを聞かれて、よく覚えていなかったので答えようがなかったのですが、もし特定されていたら、運転手どんな目にあっていたのか)。

この地方(ミャンマー北部との国境地帯)は、第二次大戦時、南京に次いで中国人が虐殺された地域、ということでも知られています。今でも沢山の史跡が残っている。それで、非常に面白い経験もしました(前に一度書いたかな?)。よりミャンマー国境に近い謄沖の町の中心街での出来事。夜、交差点を横切っていた時に、後ろから若い男性が追いかけてきた。「あなたは日本人ではないですか?」と息を切らせて問いかけます。「そうです」と答えると、喜色満面で、嬉しい!本物の日本人に初めて出会った!サインをください!(まるで映画スターです)。彼曰く、大学で南京大虐殺を研究していて(ちょうど帰省中)、日本人に会ってみたい、とずっと望んでいたのだそう。なんか、複雑な気持ちです。

ちなみに、中国で遭遇した危機一髪?の出来事のひとつが、重慶の大学に留学時、すんでのところで北朝鮮に拉致されるところだったこと(その手口を参考にして貰おうと、日本に帰ってからメディアの記者に会うたびに、話してきたのだけれど、全く無視されたままです)。 

まあ、そんなわけで、理不尽な目にも、それなりに会いはしているのです。

しかし、「国民性」と言う事で言えば、日本人も本質的には「漢民族」と大差ないと思います。日本のエリートたちや、「健全な大衆」が、アジアの国々で、どれだけ(自覚無き)悪事を働いてきたか。

南京大虐殺もそうだし、慰安婦問題もそう、民度の高い(宗高な民族の)日本人が、そんなことをするわけはない、と、日本の愛国者たち(大衆の多く)は口を揃えます。

、、、、しているんですよ。

その一例。申し合わせたように、(国際的な)ユースホステルの受付の(英語とかが喋れる)可愛い女の子は、日本人の彼氏がいて、かつ捨てられちゃっている。僕は、何度も彼女たちの訴えを聞いたことがあります。どうやら“捨てられたらしい”ことは自覚しているのだけれど、それでも一縷の望みは持っているのです。それとは別に、彼氏たち側からも、何人もから“本音”を聞いています。曰く“中国人なんかと結婚するわけないでしょう?”衒いもなく、そう言い切る若い日本人男性が、なんと多いことか。

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以下、「日清戦争後の斎藤緑雨」(塚本章子)
第3章からの抄出要約です。

緑雨は、なぜこれほど強く「道徳」を拒絶するのか。緑雨の次の言葉に注目したい。
〇更におもふ。人生の妙は、善ありて生ずるものにあらず、悪ありて生ずるなりと。(以下略)

緑雨は潔白であることの疑わしさを指摘する。

「国民道徳」を訴えた高山樗牛は、やがて(巨大メディア「太陽」の誌上で)「国民文学」を主張するようになる。
樗牛は言う。
“日本国民は快活楽天の国民なり、尚武侠の国民なり、世界の中に於いても最も道義的情緒に富める国民なり。然るに、我が国家が国命をかけて東洋の平和を争いし時、坪内逍遥は「小説神髄」で「勧懲主義」を否定し、今日の日本の民衆の落莫を招致した。逍遥や緑雨らの提唱は「国民性情の蔑視」であり「非国民的」である。”

緑雨が娼婦について書いた一連の箇所。
“悪まば売りし人々を悪むべし、売られし彼らをのみ悪まんは非道なり。卑しまば買う人々を卑しむべし、買わるる彼らのみ卑しまんは無常なり。売りしは売られしよりも悪らしからぬか、買うは買わるるよりも卑しからぬか。末は問えども本は問わず、をかしき社会の組織よとは(以下略)。”

緑雨は、人の言葉として、憎まれし卑しまれる娼婦への弁護を書き、「をかしき社会の組織よ」という言葉を記す。だが緑雨の緑雨たる所以は、娼婦たちへの哀しみを垣間見せながらも、それを隠し込んでいくところにある(以下略)。

緑雨がアフォリズムに描き出す人間の姿は、樗牛が「我が国民は公明快濶の人民なり、有意進取の人民なり、退廃保守と憂鬱悲哀は、この性に非ざるなり」(「日本主義を賛す」より)、と言うような、壮大な美しい国民像には程遠い。緑雨の描く日常は、悲惨なものを内に抱えながら、矮小であり、雑多であり、滑稽である。それは、次第に形成されていく、「大日本人」「国民」という像に対する、ひとつの嘲笑なのである。

と塚本氏は説きます。

日本は、100年経っても、ちっとも変っていないのです。

・・・・・・・・・・・

「正義」は、ときによれば「暴力」よりもずっと怖いと思います。

(この項、続きます)




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