“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ③ 『ポール・アンカ/ニール・セダカ』

Paul Anka 29位
1941.7.30 Canada 出身
ダイアナ/君は我がさだめ

Neil Sedaka74位
1939.3.13 New York出身
カレンダーガール/悲しき慕情
【永い沈黙期間を経て、70年代中期に大復活】
あや子さんから、たび重なる苦情を頂いています。“長すぎる!”って。僕もそう思っているのですが、ポール・アンカとニール・セダカ、真打ちの登場です。このタイミングで縮小するのはどうかと、、、、。でも、思い切って手を抜くことにしましょう(このあと10日間、残り20人近くを毎日アップしなくてはならないことですし)。
あや子さんは、僕と世代的には左程違わないのですが、“狭間の歌手”たちのことは、ほとんど知らないみたいですね。エルヴィスを別とすれば、名前を知っているのはポール・アンカとニール・セダカ。飛んで、トム・ジョーンズやボブ・ディランとなります。上記2組は年齢的には同じなのですが、活躍時期がかなり異なります。どうやら、日本の、団塊の世代やその前後の生まれの人達にとっては、少年少女時代に“リアルタイム”で聴いていたであろう筈の“狭間の歌手”たちの歌声の記憶が、ポッカリ抜け落ちてしまっているのだと思われます。それらの人達にも記憶されているポール・アンカとニール・セダカは、“狭間の歌手”たちの中では、特別な存在と言えるのかも知れません。
それにしても、ポール・アンカとニール・セダカ、見事にセットですね。御大エルヴィスを加えて“御三家”だそうです。
この呼び名は、日本限定、RCAビクターの戦略なのだと思います。ポール・アンカが、ABCパラマウンツからRCAビクターに移ってきた1962年当時、すでにヒットメーカーとしての勢いは衰えかけていました。客観的に見れば、三人をセットで扱うのは、かなり無理があるのです。
(レコード会社の思惑を別とすれば)別段2人をセットにして考える必要はないわけです。確かに、ポール・アンカとニール・セダカは、活躍期が同時代で、実績も拮抗します。でもそれを言えば、それぞれの“相棒”は、前回紹介のボビー・ダーリンでも、ロイ・オービソンでも良かったわけだし、ディオンでも、ジーン・ピットニーでも、もちろんリッキー・ネルソンでも良いわけです。ジョニーだって、この時代のニールに比べて、左程実績が劣るわけではありません。その点、“スリーボビー”(ヴィントンは違いますよ!)は、しっくりきますね(ちなみに、エルヴィスを軸に置いての“御三家”となれば、エルヴィス、パット・ブーン、リッキー・ネルソン、というところが妥当なのではないでしょうか)。
デビューは、ポールのほうが一年余早く、年齢はニールのほうが2つ半上です。「ポップス黄金期」(便利な言葉だ!)に於ける実績も、ほぼ互角(ポールのほうがやや上?)。共に、ビートルズ出現よりもだいぶ以前に勢いが衰えかけていて、ポールは62年辺りから下り坂、ビートルズ登場の64年初頭時点では 、すでに完全にヒットチャートの世界から消えていました。ニールのほうは、62年の「悲しき慕情」で大きく盛り返したこともあって、細々とながら、66年初頭までチャートヒットを続けています。
もっとも、その辺りの状況は、“スリー・ボビー”をはじめとする、上に挙げた面々は似たりよったり。ポールとニールを、ことさらセットにする理由にはなりません。
ポール・アンカとニール・セダカは、歌の質が全く正反対です。ポールの歌は、素直とは言い難い、分かりにくいメロディーラインで、剛球の変化球というか癖だらけの荒れ球というか、、、。対してニールのほうは、実に素直で分かり易いメロディー、そしてストレート極まりない歌唱です。
生意気な悪ガキで、ステージ上で悪態をつくだけでなく、来日時には女を口説きまくり、いい女を紹介しないと明日のステージには上がらないと言って、興業主を困らせたという伝説をもつポール・アンカと、ステージ上では、直立不動、真面目一方の青年紳士ニール・セダカ。だいたい、顔のイメージからして正反対なのですね。
なのにセットで呼ばれるのです。例えば、ポール・アンカとリッキー・ネルソン、ニール・セダカとロイ・オービソンと並称しても、全然おかしくは無いはず。でも、決してそうはならないのです。ポール・アンカとニール・セダカでなくてはならない。実に不思議なのですが、同時に分かるような気もします。説明は不能なのだけれど、、、。
実は、2人をセットにして扱う、まがいなき理由が存在します。60年代前半、ビートルズ出現で軒並み駆逐された“狭間の歌手”達のうち、ポール・アンカとニール・セダカのただ2人だけが、70年代になって大復活を遂げているのです。2人をセットにして扱うのに、これほど大きな理由は、他にないでしょう。しかし、2人がセットで呼ばれだしたのは、その復活劇の10何年以上も前の、60年代初頭のこと。後の揃っての復活は2人をセットとして扱うのに相応しい出来事ですが、それ失くしても、2人はセットとして扱われてきたはずです。どこかに、目には見えぬ共通項があるのでしょう。
だからこそ、(70年代の復活という)似た道を歩む結果になったのでしょう。その10年も前から、(無意識的に)2人をセットとして捉えてきたリスナーたちの中には、予感があったのでしょうね。
60年代初頭、日本に於いてリアルタイムで受け入れられ続けてきた“狭間の歌手”は、以外に少ないような気がします。
リアルタイムで、日米互角のヒット曲を持つ歌手となると、(エルヴィスを別とすれば)この2人だけではないのでしょうか?一つのキーは、共にカントリー臭が無い、ということ。日本での人気の維持に於いて、意外に大きな意味を持っているような気がします。
あと共通しているのは、ソングライターとしての才能が、両者ともずば抜けていること。他の大半の“狭間の歌手”達も、それぞれにソングライトの才能に恵まれていますが、彼ら2人は、そのキャパシティーが非常に広いのです。ポール・アンカの「史上最大の作戦」のテーマソングや、「マイウエィ」の訳詞、ニール・セダカの「機動戦士Zガンダム」の主題歌。ポールにも日本に纏わる、少なからぬ作品がありますが、白眉は、ニール・セダカ作の“演歌”、前川清に送ったという「恋さぐり夢さぐり」です。Marierenさんのブログ「リッキー・ネルソンに恋して」に、「Neal Sedaka/Pops」「前川清/ど演歌」両バージョンの「You Mean Everything to Me/恋さぐり夢さぐり」がアップされています。ぜひ御一聴頂きたい。目からウロコが落ちます。