現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

湖月  私説 源氏語り9

2013-09-08 | 源氏語り
源氏を読むのに、湖月で読むといった。 源氏物語といえないときに、何を読んでいるか、湖月を読んでいると答えたりした。 20世紀前半までは湖月抄で源氏物語を読む時代だった、と言われる。 湖月抄は注釈書、北村季吟著、60巻の大部である。 延宝元年、1673年に成立した、源氏物語の古注を取捨し集成したものとして、読むむのに便であった。 湖月は、紫式部が石山寺にこもり、琵琶湖上の月を見ながら、須磨の巻を書いたという伝説による。 本文に傍注や頭注を施し、発端、系図、表白、雲隠説各一巻、年立二巻を加える。 その増註本が、いま電子書籍で読める。 講談社学術文庫本、上、中、下の3巻、有川武彦校定本である。 本文に傍注・頭注があって、本文としてきわめて読みやすくなっている。 ある古書店の湖月抄は次のようである。 >北村季吟著, 60巻60冊 価格: 350,000円. 「夢の浮橋」の末に刊記あり「延寶元年冬至月 北村季吟 書林 林和泉・村上勘兵衛・吉田四郎右衛門・村上勘左衛門」原表紙 原題簽 27.2×19.4糎 拵帙入. 延宝元年(1673)刊. . . . 本文を読む

豌痘瘡  古典が語る病名史7

2013-09-08 | 病名のことば
豌痘瘡わんずがさ 痘瘡が、続日本紀しょくにほんぎ の天平7年、735年の記事に、全国的に豌痘瘡をを患って、若死にする者が多かった、とあった。このように記録されている豌痘瘡は、裳瘡もがさ という俗称がある。発疹が着物の裾へ広がるように頭から広がっていく様子がある。豌豆えんどう は、発疹がエンドウに似ているからであった。痘瘡また疫瘡というのは、その発疹が破れ化膿して崩れると瘡になるからであった。痘痕あばた は、その治った痕である。痘瘡と麻疹はいずれも怖い病気で、それぞれ、器量定め、命定め、と呼ばれたりもした。この時から、疫病と言わずに豌痘瘡という病名で初めて登場するのは、唐、朝鮮から医学書が入ったため、医学知識が普及したからであると、病が語る日本史では述べている。 . . . 本文を読む

226  雨もよい  雨模様

2013-09-08 | 日本語新百科
日本誤百科 78ページ 雨模様なので傘をさした を表題にしている。模様 を、語義として雨模様というときは、まだ雨が降っていないと、表題を解釈している。だから傘をさすのはおかしと説明しているのだが、間違った解釈ではない。しかし、この表題も文化庁の調査があって、いつもこの調査には困ったものである。説明が十分ではない。模様は、模様がついたようすを言うので、雨が降っている状態を指す。織模様、書き模様、縦模様、色模様、縞模様という語がある。模様がそれぞれ、模様が付いた状態にある。降り出した時などに、徐々に雨の模様が始まったようなときに使うと解釈ができるし、こちらは天気だが、向こうは雨模様だ、というときには雨が降るようすを、雨模様と伝えることがある。ただし、気を付けなければならないのは、あめもよい、という語の使い方を、雨模様に宛てた表現をしたことである。作家たちの表現は誤表記によると言うことが言えるだろうから、その点を明らかにすべきである。さらに、外は雨模様だ、という例文は、作家たちの語表記としか思えない使い方にはそれでもまだ表現性があったが、あめもよい、といっているのでなくて、雨模様と、この質問では全くその様子が伝えられていないので、窓越しに何を見たのかが表現として必要である。 . . . 本文を読む

発音 日本語の音声と音韻2

2013-09-08 | 現代日本語百科2025
ことばは口から発し耳に届くと思われている。音声は話し手から聞き手に伝わると考えられる。言語の場を発音でとらえるのが第一義であるとする。音声が重要視される。ところが、言葉として聞く声を日本語は発音とした。それは実は音韻である。その発音を文字にして発音を表す仮名文字にしたので、日本語発音は仮名文字で体系を作った。それは50音として意識されるように仮名文字の一覧表である。音韻は音声をその言語にある発音として分析する。日本語は音節として発音を分析してきた。音韻は音韻論に捉えると、音節が最小の単位ではない。それは、音節を分けて、より小さい単位の音素である。音韻を捉えるとは音素で分析することであるのが音韻論であるから、日本語の音韻はさらに音素でとらえることになる。音声学の単位で、単音を分析し、それを音素とするのが音韻論である。日本語の発音を単位に分けて単音からとらえることになる。日本語の言葉の発音は仮名文字の音節でみると、単音の組み合わせであるから、それぞれ母音、子音に分ける。 . . . 本文を読む

うやまう いやまう

2013-09-08 | 日本語百科
うやまふ は、また、いやまふ であったようだ。うや は、礼 を宛てる。いやいやし うやうやし は、礼礼し であって、恭しい である。礼をつくすことが、敬う行為であった。その対象は、礼儀の相手である。朝廷の礼儀、ここには、ゐやまひ と訓をつける。おそらく行為そのものが捉えられた語であるから、礼儀を表すのはみずからを慎む、あるいは、畏まることである。拝むことを含めて、うやうやしいことは、敬う行為と対象との、その関係において神仏か、帝か、絶対者とする。字通の字義によれば、敬はもと神事祝祷に関する字である、それで神につかえるときの心意を敬といい、と見える。次いで、先祖を祀る意、また、詩、大雅、雲漢より、明神を敬恭す、詩、大雅、板、天の怒りを敬む、のように、神明に対して用いる、とある。 . . . 本文を読む

7年後 20130908

2013-09-08 | 日記
五輪招致が決まった。2020年、東京開催である。決選投票はスペインではなかった。その前、第1回目の投票で、4票差でマドリドは敗れた。その報せは深夜に日本住を沸かせたかのように見えたが、わたしは眠っていたので朝のニュースで知った。半世紀ぶりの再び東京である。7年後ともなると、自らの齢をかさねて、どうなんだろう、その風景をみることがあるかどうか、こころもとない。季節は秋らしくなった。 . . . 本文を読む

敬語

2013-09-08 | 日本語どうなるの?
敬語を分類して国語教育が説明を行ってきた。尊敬語、謙譲語、丁寧語である。この3分類に、美化語を加えてきた。丁重語というとらえ方もあった。国語学ではさらに、その使い手を分析して、素材敬語、対者敬語とする。また対象によって、仕手尊敬、受け手尊敬、聞き手尊敬とする。敬語は明治になってから近代語としての用法が意識されるようになった。臣民の敬語というふうに見える。古代から神に対する敬避表現としたものであり、敬いの言葉通り、敬語の意識で用いられていた。長い間の敬語の捉え方が変わったのは、民主主義による憲法の制定で国家体制の変革があったからである。近代以降の敬語使用について、これからの敬語が指針を与えた。敬語使用の過分、過多が問題になる一方、精神を伴わぬ形式的使用、また極端な敬語廃止論が非難され、謙譲と丁寧または尊敬との混乱が誤用のおもなものとされる、国語審議会は1952年に、これからの敬語、を定めて、身近な問題について望ましいとする形を示した、と解説される。 . . . 本文を読む