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詩学

2013-09-30 | 日本語百科
詩学の分野について、何を研究するか。詩法、詩論もある。詩学は著作でもある。原題はギリシャ語  Peri poitiks 、アリストテレスの著作である。詩法は韻律などを明らかにする。詩論は詩についての評論でもある。詩を創作、批評する場合のよりどころとなる理論途もある。広く詩学をとれば悲劇、劇詩を抒情詩や叙事詩などより上位に位置づける西洋文学のジャンルの議論になる。散文、韻文に分ける日本文学では劇詩を最高の文学とする考え方はない。一方で、詩法に主眼を置いた死に作り方の分析から詩論に至る研究としてとらえれば、詩についての研究となる。詩を作る方法には修辞技巧の議論がある。詩の本質を論じればまさに文学研究となる。日本文学で詩を扱うのは漢詩を学んだ表現法とその影響、また近代になって翻訳による西洋詩の新体の影響である。 . . . 本文を読む

234 命の、危険な場所

2013-09-30 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 869  命が危険な場所 を、例題にしている。コラムはこの例題を、こう言ってもよさそうな気がする、と説明をする。そのような言い方には、水が綺麗な池 服装が清潔な人 を挙げている。この例題は、水が綺麗だ、とか、服装が清潔だ、とか言うことができるのに、命が危険だ とは言えないので、表現は不適切ではないかと解説している。この説明で、危険という語の意味内容として生命や身体を損害する可能性があるとして、命が損害をもたらすというふうに、あぶなく険しいというのを動作性でとらえている。この句は、命の場所、それはどんな場所であるか、危険な場所のように、修飾関係が働いている。命の危険な場所である。命が危険であるのは場所によっている。場所という名詞には、危険であるかどうかの場所としての性質属性を特定しているのである。命が危険なのは、繰り返すが場所なのである。ところがさきの例も同様に考えてみると、これは、水の池、それはどんな池か、綺麗な池のようになる。ことばの順序でいえば、池の水、どんな水か、池の、綺麗な水となっている。これは、綺麗な水の池である。池の水が綺麗であるのは水に因っている。 . . . 本文を読む

政治家の嘘

2013-09-30 | 日本語どうなるの?
アベノミクスで日本はどうなるのと言いたくなる。日本語が云々ではないけれどと思ってはみたものの、政治家はうそをつくというのでわたしに政治に関心をもたないわけで、そうすると、うそ云々でやはり日本語はどうなるか、ということになるか。あるサイトで、独り断ずべからず、必ず衆と共に宜しく論ずべし 聖徳太子 というのがあって、その、皇族・政治家 とある肩書に驚きはしたけれど、昔から変わらないイロハである。この、政治家のことばを並べるサイトに、第一に必要なるものは大胆、第二に必要なるものも大胆、第三に必要なるものも大胆なり、キケロ とあって、ローマ政治家の語がある。それで連想したアベノミクスの大胆さは、歴代に変わり続ける日本の政治家の中でも嘘の大胆さでは、引けを取らない。前の、ドジョウ宰相、イライラ市民運動家上がりの元首相、クルーピーなどなど、思い出すだけで思い出せないような発言ばかりの政治家たちで、懸命にやっているような、それでいて言葉がどうにも見え透いていた。 . . . 本文を読む

日本語教育の歴史 視点

2013-09-30 | 日本語教育の歴史
留学生教育が日本語教育の視点となり、それを辿ることで日本語教育を知る。留学生を迎えるのは清国留学生の経緯がある。遡れば留学生の視点は留学僧にまで時代を上がることになるが、そこには日本語教育はない。したがって第2次大戦の戦後になってふたたび留学生の日本語教育が盛んになるとその契機は何にあるか。日本政府の留学生受け入れ政策にある。国語教育からに日本語教育に変わってあらたに留学生に日本語促成教育をしようとした。いまふうに言えば集中教育である。そこに、賠償留学生教育と赴日留学生教育がある。それは1960年のインドネシア留学生の来日であり、そして1979年から戦後における日本語教育の画期となる、中国での赴日予備学校は、まず5か年計画が実行された。中国との友好条約の発効によって1980年代に日本語教育が中国留学生に盛んになった。 . . . 本文を読む

日本語語彙論 語の単位

2013-09-30 | 語と語彙
語は最小の意味単位とするのがふつうであった。ふつうであったというのは、国語のとらえ方が、いわば言語としての見方をつくるようになってきたからで、もともと言語であるから、それは好いとして、国語では文における語としてのあつかいである。ところが語の構成を見て語基と接辞に分ける考え方が、その意味の最小単位を変えたので、さらに形式を見て自立と結合の構造が分析されるようになった。語素という用語で説明すると、すでに辞書などでその意味を書くようになっていることであるが、これは気を付けなければならない。単語を構成する、意味を持った最小の単位としているのであるから、この語素は、morphem に相当するようである。しかし説明によってはさらに、形態素を単位にするものがあるというので、論議を見極める必要がある。形態論では、さきの morphem を形態素とするのがふつうである。どうもこの語素は造語要素とだけ説明があるので、明らかでないところがある。 . . . 本文を読む

系図  私説 源氏語り23

2013-09-30 | 源氏語り
源氏物語には系図が添えられる。 物語を読むに、わかりよいからである。 源氏物語系図として、物語だけの系図研究が行われた。 そこには、ふつうには作中人物の関係がみてとれる。 系図は各家系を皇族、大臣、殿上人、受領と並べ、略歴を簡単につける。 ふるいもので、十一世紀以来、まとめられてきたようで、十三世紀には整った。 登場人物がそれぞれの巻によっては呼称が違うこともあるように、物語の展開によって人物を追う時に、至極、便利である。 近代の長編小説によくつけられている登場人物解説のようなものだ。 源氏物語は叙述の時間と空間の展開に加えて人間心理の描写にすぐれている。 語りの文体にはそれなりに分析が加えられるところだが、歌語りの文章に、会話のうち心話の文が息づく。 そこにところどころに、顔を出すかのような草紙地と言われる文がある。 この巧みな語り口は人物関係を際立たせる。 . . . 本文を読む