日本語教育の歴史は日本独立とともに始まる。日本独立はいつか。近年では1945年を境に大日本帝国から連合軍による被占領国となり、日本になったのは1952年である。その時期以後に賠償留学生を迎える動きがあった。そのうちに、インドネシアからの留学生がいた。学制百年史文科省の白書によれば国費外国人留学生制度は1954年に始まる。東南アジアの留学生の受け入れが行われた。国費に対して私費留学の受け入れもあった。そのような留学生の受け入れに賠償留学生がいた。留学生の受け入れには日本語教育がともに行われた。ここでは、日本語教育の歴史の視点に留学生の受け入れを持つ。第2次大戦の戦前、戦中と戦後に分けることができる。いま、留学生の日本語教育に戦後の日本語教育史の展開を見ようとする。経済復興と国際社会への復帰による日本の歩みとともにある日本語教育である . . . 本文を読む
詩の韻律で外在律、内在律をいうと、内在律は自由律、無韻律ともいわれて説明する。とくに俳句において自由律俳句についてみると、季題にとらわれず、感情の自由な律動を表現することに重きが置かれるとされる。詩形において韻をそろえる、行に語を繰り返す、そして連を構成して韻律を作り出す。外在律だけが詩のリズムとなり得ない。形式だけの詩においては定型と言いうる技巧に走ったものとなろう。短詩形においてはリズムをどう作り出すかが工夫されて自由律におよんだ。詩の言葉が持つ響き、意味内容に、詩の作り手が韻律を作るべく謳いあげるので、内在律としてのリズムはやはり表現にある。語そのものであるし、またそれによって連想されていく詩の世界にリズムを見出すことになる。情があればその連鎖に表されるもの、空間や時間の連続においてもあらわされるだろう。 . . . 本文を読む
語彙の論は、語の論とは分野を異にする。しかし扱うのは語であるから、語彙をとらえるには語とはなんであるかを明らかにする必要がある。語は文法の論で明らかにされることがあった。それは文における語のとらえ方である。文を分析して語を単位とした。国語の文法で分節としたのは、語をふたつに分類して、自立語と付属語に分けていたからであるが、それを一つの単位に文節とした。文の構成要素を示す。しかし自立語を語として、付属語を同じ語として扱うにはその語の意味、働きからおのずと違いがあるので、文法論では国語の文法の分析とはちがって、語を形態論で扱うことになる。それまで文節を意識して国語を使ってきたので、そのわけ方については十分に国語として理解をしたうえであらためて、形態論の考え方による語の形態を見ることになる。語が意味の最小単位となるか、さらに意味の最小単位を分けることができるなら、それが文法論の形態において分けることになる考え方がある。それは付属語は語の単位とならない。 . . . 本文を読む
げにかよひ給へるこそはとおぼしけり
このときの父帝のきもちはどうであったろう。
ぼうにもすぇたてまつらずなりにしを
ただ人にてかたじけなき御ありさまかたちに
物語りは、立坊がかなわず、臣下にしたことを、帝の思いとしている。
ここに源氏物語のテーマがあらわされている。
筋立てにおいて、そのあとに藤壺の御殿で、いつものように中将の君があらわれて管弦の遊びなどをするというのだが、そこには・・・・
帝は光源氏をこよなく愛していたので、立太子がかなwなかったことを
あかずくちおしう
思い続けていた。
臣下にするには器量があまりにもすぐれていたため、その成長するすがたを見るにつけ
こころくるしく
と、お思いになっていたのである。
おなじひかり
で生まれてきた若宮をこの上もないものと思い育てようとなさる。
それを見る母、藤壺は
むねのひまなく
気が気でない、という場面に、帝が若宮を抱き上げ、そこに光源氏は出会わすことになる。 . . . 本文を読む
ネットの、探偵 と、魚拓 と、ネットでの話題だ。復興不要と書き込んだ匿名のブログにネットで炎上し、ついに突き止められた、というニュースが報じられた。ひどい話だ。書き込みは2011年9月のもの、それがここ数日でネットに身元を割り出したと24日に実名と肩書がが広まり、騒ぎになって知られるようになった。そのブログでは、ほかにも書き込みの内容にひどい文言があった。閲覧者が身元を割り出したその様子が次々と明らかにされている。ブログは削除されて、いまは見られないが、それをサイトで次々に転載して内容が暴かれた。そのき込が誰であるかをネットの探偵が突き止めたというわけだ。さらにはけしても、そのままコピーされて、魚拓 というふうにして、残っている。悪口雑言の類に限らず、ネットに書き込んだ失言は消えることはないのである。 . . . 本文を読む