日本語表記が美の要素を持つ。文字の表現性とでもいうべきか。漢字と仮名を交えて書く日本語は、表記体系を言えば、表意文字と表音文字とを書き連ねている。表記意識のあらわれは文字の選択に表現性を与える。たとえばすべてに平仮名で書くことを選べばその文字列は形式を生み出す。あるいは毛筆によるその書体はそれだけで美を感じさせる。漢字を用い、その字体に行、草、楷書などを修練する。
日常生活で文字をデザインすることによって生み出される表現性はアートである。それを可能にするのは書法を編み出した中国の文明に倣うところからであったが、その手法を仮名文字にも実現してきた。表記にアルファベットの音素文字を用いることがある。筆法を縦にする毛筆には横に書き進める外国語は合わなかったというよりは、すでに筆記体を用いて表すことがあるので、横に書くローマ字を縦には仮名の連綿のようには書けない . . . 本文を読む
中風というのを、よくわからずに中古という語とあわせて、ちゅーぶると言ったりしていた。その中風は消えた病名として見えるが、中気、中風の代わりに、脳卒中、脳溢血、脳出血、脳梗塞というようになった。原因が病名になって、よりその半身不随になった状態を現わしているが、いまや必ずしもその状態になるとは限らないので、原因による病名が正確に表しているだろう。このような中風に、江戸時代では、真中風、類中風、卒中風に分けていたそうである。この卒中風は卒然と昏倒し意識を失うからで、脳卒中に該当する。この語だけが現代医学で使われているのはなぜか。ここに漢方に対して西洋医学が入ったときの事情を見ることができる。癪は西洋医学での名称には該当しないもので、それは西洋医学の語を翻訳した病名となる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 856 その男を恐怖に思う を、例題にしている。コラムの解説では、恐怖に思う というのが、適切でない とする。この語法は日本語も独特の言い方であるので、どのように語の関係をみるかによる。日本を豊かに思う 芸術を高尚に思う という表現が言えないとする解説である。果たしてどうであろうか。豊かさにおいて日本を思う 高尚という点において日本を思う 豊かさについて日本を豊かに思う 高尚について日本を高尚に思う と、この言い回しを約めて、日本を豊かに思う 芸術を高尚に思う と言っているのである。例題も同じく、恐怖という点についてその男を思う 恐怖においてその男を思う 恐怖についていえばその男を恐怖に思う と言っている。 . . . 本文を読む
声とは発声器官が発する音と説明する。発声器官とはなにか。声帯を振動させることによって、声となる。音声学の分析で音声とは何かを説明する。人間が発するコミュニケーションのための音である。そのときに声帯の振動をともなって口で調えられた音であると加える。呼吸器官をもって説明する。より詳しくは肺からの呼気が声帯を振動させ、また振動を強く伴わない息の流れが口の中で調えられて出す音ということになる。それは有声音、また無声音として分類される。発音は音声器官を用いているが、発音器官として見れば、それば肺から気道を経て声門を通り口腔さらに鼻腔を用いている。それを肺、頭蓋において増幅していると考えられる。人間が発音をする、音声として声を出す、この音が発せられるようすは口つきを生理的な断面図を描くようにしてあらわされる。 . . . 本文を読む
古人もこれに気づいて時間を追って筋をとらえようとした。
源氏物語のとしだてである。年立てと書く。
物語の最初は親の代で、そこに主人公の誕生が描かれ、元服までが書かれている。
現存の巻は、そこから、読み始める。
物語に入っていくのである。
そして青春時代の疾風怒濤、奔放な貴公子の振る舞いが印象を以て語られる。
それは時間がかさなるようにして次の巻で描かれた。
古女房の昔語りの噂話であるから、時間が行きつ戻りつするのであろう。
そして成人をしてもう一人の主人公が登場するころから物語は始まっていく。
が、時間の順序は、やはり戻って語られるところがある。
源氏物語の時系列に見られる、妙である。
いつのころからそうであるのか。
はじめからに決まっていると思う。
書写本ができる、物語が書き写され表紙がついて巻名がつけられ整えられた
そのころからであろうか、それはおよそ七五〇年前、それ以上も前のことであり、物語が作られたのは千年も前である。
五十余帖がその間に成立することになる。
巧みに語られた時間意識がそこでつくられる。 . . . 本文を読む
パソコンのディスプレー画面から、コラボ、ケア、インフラ、ダブルスタンダード、シェア、ガバナンス、デイサービス、アスリート、ダイバーシティ、リスク、インフォームドコンセント、クライアント、コンプライアンス、アカウンタビりティー、ライフライン、ハザードマップ、コンセンサス、グローバリゼーション、オンデマンド、ワークショップ、インセンティブ、プレシャス、プレゼンテーション、アナリスト、アーカイブ、モチベーション と飛び出している。耕論のページ、朝日新聞2013年9月4日、タイトルは、カタカナ語の増殖という。このオピニオンのページに添えられたグラフィックが、画面から出てくるカタカナ語のイメージだ。
ちょうどNHKのニュース放送に外来語が多く使われているの精神的ダメージを受けると訴えた人の公判が開かれたばかりだ。裁判になってまた話題提供をしている。耕論の論客は3名、フランス語の未来協会長、言語政策論の大学教授、クリエーティブディレクターがそれぞれ、意見を述べている。その議論にそれぞれ見出しを付けた。過剰な英語化、無味乾燥については、アルベール・サロンさん、言語法で日本語守れについては津田幸男さん、取り込んで面白がろうについては、岡康道さん。3者3様の主張を読むようなことであるが、自国語をよく見つめろと言っている。 . . . 本文を読む
台風17号が九州、鹿児島県にに上陸、6年ぶりだとか、それで朝のうちに熱帯低気圧に変わった。二百十日から二百二十日前後に吹く台風とすれば、まさに、のわきのかぜである。気象庁は埼玉県越谷市、千葉県野田市などで発生した突風は竜巻であり、強さは国際基準の藤田スケール、6段階中、上から4番目のF2だったと発表、F2は秒速50~69メートルの強さである。
台風は熱帯低気圧に変わったからと言って安心できるわけではない。どうなってしまったかと思う気象である。台風の語源で、文字づかいが影響したか、説明がこじつけのようになってしまっている。1956年の同音漢字書きかえの制定で、颱風と書かれていたのが台風と書かれるようになったといい、同音漢字のことはそれでよいとして、江戸時代には熱帯低気圧を中国にならって颶風と訳した文献があるという説明があって、わざわざ、ぐふうと読みを付ける。颶風はつむじ風のことらしい、これと颱風、台風と、タイフーン、大風とが出入りする。熱帯低気圧颶風が颱風となったのはどうしてか。 . . . 本文を読む