ことばをどのように書き表すか、それをやさしく書くようにしようと、国語問題にした。国語調査委員会ができて国語国字を議論したのである。その歴史は長い。さらには国語、国字という語の意味に議論があり、それを踏まえると、言ってみれば和語和字の問題となる。文字づかいをやさしくしようとするのは言葉の常である。それを国語の普及に合わせて、国語という語の統一を図ろうとしたのであろう。国語は言ってみれば方言である。方言が寄り合ってできてきたことばである。近代国家が政治体制で整えられてくると議会で話す言葉がわからなくなるような方言の寄り合い所帯では困ったことであろうから国語を調査するようなことで統一を図ろうとする。そこで共通する言語にわかりよい文字づかいをとなるが、それも言ってみれば上意下達の体制をさらに徹底するためのものであったろう。国語国字問題として国語改革という解説も加えられるようになって、国語調査から文化庁の世論調査まで、その断絶と、趣旨目的のちがいはあっても、国の言葉としてどう扱うか、議論の経緯がある。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 858 事件の経緯を見守っている を例題にしている。経緯 と、見守る の意味内容による表現の整合性をコラムは誤と解説する。事件の経緯を説明する といえば問題がないと言う。さらに、事件の展開を見守っている 進行を見守っている とすべきであるとする。果たしてどうか。経緯について、過去に進行した事実との意味をとらえている。時間の捉え方に問題があるようだ。ものごとの経緯とは縦糸と横糸を織りなすようにそのことを明らかにするという意味がある。辞書では、いきさつ、過程、そして顛末を類語、関連語とする。この語には、経緯 いきさつ という読みがあって、それを辞書で見ると事件の経過を意味内容とする。つまり、必ずしも過去のことだけではない使い方ができる。コラムは、けいい として、一義的に読むようであるが、いきさつ として用いると、この例題はこのままで正しい。 . . . 本文を読む
清朝の公用語だった満州語は17世紀から300年間、使われた言語だ。その満州語が絶滅の危機にあるので、満州語を教え文献を読み解く研究者を育てようと、中国で大学設立の動きがあるニュースだ。世界発2013、朝日新聞コラム2013年9月6日付け。見出しには、消えゆく満州語 守れ 中国・遼寧省 大学設立の動きとある。2003年から満州語を研究する大学教授が3年前に遼寧省政府当局に大学設立を提案したようだ。2012年10月にその大学設立の調査研究費として1万5千元の予算措置が認められた。日本円で24万円だ。2013年9月20日から初の会議を開いて協力を訴える。満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招くそうである。満州族は女真人とも呼ばれ、東北中国の先住民族である。1911年辛亥革命で清朝は崩壊し1949年新中国になって、自治区、自治州は認められなかった。1980年代に自治権、民族学校ができた。満州語は2009年に消滅の危機にある言語に、ユネスコから指定されている。2010年の国勢調査で1038万人、少数民族の3番目、チワン族、回族に続く。 . . . 本文を読む
表紙に名を記す、奥付に著者名を書くという習慣は、本にはタイトル名を書くものだと思っているからである。
冊子の始めか、終わりに識語を書き、書写の由来を記すことはあった。
源氏の物語を書くことが噂になりそれを、むらさきのゆかりに求めて、そう呼ばれたことをもって作者となった。
自分の日記のそう書いたと記してでもあればわかりよい。
紫式部にまつわる伝説に、湖水に写る月を見て想を練った、など、注釈書に伝えられることは、作者の推定をもはや必要としない。
作者のことは実はそのほかに、いくつかのことについて、確かめなければならない。
自筆本がなければ、署名もない。
日記に書いた事実も記さない。
伝説に作者像がそれと浮かび上がる。 . . . 本文を読む
疫病は、流行病ことをさす。古代に疫病を記録した記事は、日本書記、欽明天皇7年、546年とあるが、その流行が事実であったか、どうかはわからない。仏教伝来の年から数年後に疫病が流行したことを、ほかの記録に見ることがあり、伝来は538年説とすると、欽明天皇の時期とほぼ一致すると、病が語る日本史では述べている。
疫病を具体的に記すのは、瘡 かさ という病名である。痘瘡 とうそう である。敏達天皇13年、584年の記事に見える。瘡を病んだ者は、身を焼かれ、打たれ、砕かれるようだと言う、と記録されている。
用明天皇2年、587年に病になり、それは瘡であった。
歴史上、疫病の大流行は4度目の記録が、文武天皇2年、698年である。この時から和銅6年、713年まで毎年のように疫病が各地に流行した。 . . . 本文を読む
おと 音 を宛てる。声 響 に、音の訓がある。音の説明に、物理的な音響とその音の発生また発信源が捉えられて声と区別されるようである。語誌などの解釈には注意がいる。もと、声は、その字義においては鼓の音を表わしいたようで、音の字義にあるのは対比して、説文に、聲なり、心に生じ、外に節有る、之れを音と謂ふ、と見える。音が声であるという。さらには、字形について、言に從ひ、一を含む、という、一を節ある意とするものであろう、言は神に誓って祈ることばをいう、と言うように、字通は説明をしている。日本語の、おと こえ ともに、漢字をあてると、音声に共通して意味があった。つまり、おと にも、声を指し、こえ にも音を指している。 . . . 本文を読む