万葉を、まんにょう と読む場合がある。まんよう の連声であるとする。万葉集という固有名となると、まんようしゅう まんにょうしゅう そのいずれであるかは学説ともなろう、古典の書名には似たようなことがある。日本霊異記という通称でも、れいいき りょういき この読みがいずれであるかというようなことである。万葉集は詞華集、名詩選である。ギリシア語の、アンソロギア anthologia 花を集めたもの に由来する語、アンソロジーとして位置付ける。葉は世、時代の意とも言われ、よろずよ、万世、万代の意味が込められる。万葉集は歌集である。和歌集といってもよい。詩としての歌であるから、どのような詩か。民俗の魂をうたう詩である。その書について、万よろずの世に伝えらるべき集、万の言葉または歌を集めた集の意などといわれる、と解説するところは、次のようである。 . . . 本文を読む
日本語の誤用は規範的な日本語とは異なる日本語の表現とあり、その誤用には、文字、綴り、音韻、形態、意味、統語など様々なレベルを言う。外国語の学習過程では誤用が生じるのは、ことばを習得するための一つのステップととらえられ、中間言語interlanguageという呼び方をすると見える。電車に乗車する、のように同意の語を重ねた言い方を重言といい、誤用とされることがある。誤用について、乱れ、ゆれ、という用語がある。日本語の乱れは、それは言わないので、揺れているというふうに言い換えたようだ。ゆれは文法現象などのことに使う。 . . . 本文を読む
つーかー、つう と言えば、かあ であった。ツウことだ、そうカア、それでツーカーのなかだったりした。それがいまは、その かあ が、なくなってしまった。それで本題は、つーか とだけ言って、と言うか の言いさし表現となっている。フィラーとしての言い方、内容に影響しない語のことを、発話の間をつなぐ働きをする語があって、一般に、話しことばに現れるとされるが、日本語の、あのう、ええと、などを言う場合があって、また、言いさし表現としての、終止しないで言い終わる、その文を言い終わらないで用いる表現のこと、たとえば、お願いがあるんですが・・・、悪いんだけど・・・などを言う。つーか は、フィラーなのか、言いさしなのか、・・・つか と言う用法も見たような気がする。 . . . 本文を読む
漢字力、語彙力、文章力、日本語力と、これテスト名である。漢字検定で検索すると、財団法人日本漢字能力検定協会が主催している日本漢字能力検定 一般財団法人日本漢字検定協会が主催している漢字検定大会 一般財団法人日本漢字習熟度検定機構が主催している日本漢字習熟度検定 一般財団法人日本漢字昇級試験協会が主催している漢字昇級試験 と、曖昧さを避ける。次は、語彙・読解力検定がヒットした。語彙推定テストというのがある。 >この語彙数推定テストは, NTTコミュニケーション科学基礎研究所が, 単語親密度(NTTデータベースシリーズ「日本語の語彙特性」第1巻・単語親密度 [天野,近藤 (1999) 三省堂])を利用して開発したテストです(特許第3331286号)。ほかには、英語語彙力がある。文章力テストでは検定テスト一覧になり、ウイキペディアのページとなった。日本語能力検定試験などがある。日本語力には、さらに、TOPJ実用日本語運用能力試験というのがあった。 . . . 本文を読む
意味について、それ自体の存在を、とくにそれが概念であるとして説明しないようになった。どういうことかというと、意味があるとか、意味がないと言うのは、ことばを見て、それ自体にあるのではなくて、関係でとらえるとする考え方である。語と語と、その関係性によって規定されると説明される。ことばの意味についての議論が進められて、意義素、意味特徴という考え方もある。20世紀になって言語記号の恣意性が唱えられる一方で、語の意味についての分析が進められようとした。意味の意味という著作はその契機を作る。語と意味についての定義を調べ、示された基本三角形は語の意味論を進めた。それは象徴symbol、思考または指示 thought or reference、指示物referentという3つ点が結ばれている、Ogden & Richards 1923 、その三角形の底辺が破線であって、象徴と指示物に関係がないことを示していた。これはまた象徴記号としての意味であるから、議論は記号論へと展開する。語の意味については、ウルマンの意味論、1951年、The Principles of Semantics 意味論の諸原理 となる。1962年、Semantics: An Introduction to the Science of Meaning 意味論:意味の科学への招待。 . . . 本文を読む