万葉集の成立を見ると、最初の歌を時代には、いつとしてみるか。伝承歌とするものを古い歌として載せるのを、見ていくとわかる。磐姫皇后の歌、それをまた相聞歌の冒頭に置き、次いで巻三、挽歌の冒頭に聖徳太子のゆかりを載せる。巻二に既に、挽歌の部類を立てているし、巻三には雑歌、譬喩歌、挽歌の部類がある。そして、巻四の冒頭、相聞歌に、仁徳天皇の妹の歌を掲げる。また、巻九の冒頭、雑歌に雄略天皇として載せている。これらの歌は最初に置かれた意味を持っていると考えられる。この歌が詠まれたとする時代を題詞に掲げる。そうすると、いまの代から、さかのぼって歌を集めているということであるので、編集はあったのである。 . . . 本文を読む
絶対王者、スノボのシェーンが敗れた。絶対と思われていた、スキーのジャンプで高梨沙羅選手は4位となった。かくして、絶対ということは、ないのである。深更に及ぶ中継でハラハラ、ドキドキしての日本選手への応援は一方で敗れゆく者の悲哀をも見せつける。日本選手の最年少メダリストが15歳という年齢で誕生し、それに続く17歳の若者が3位メダルとなった。優勝を逃した絶対王者はその10歳上回る年齢でその地位を確保すべく王者と言われてきたのであるが、そのインタビューで、15歳の少年が現れたことに若さと可能性を称賛していた。また女子選手の種目となり、初代女王の座を射止めることは確実と見られていたにもかかわらず、五輪の地に入って記者会見では鞄のなかにメダルを入れているようなものですねと言われたりしていたから、日本中の期待もいやがうえにも高まっていた。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 936 にわかに信じがたい を例題にしている。にわかに の意味を、コラムの解説は、瞬間的に起こる事態に使うと説明して、信じがたいという状態には意味内容が合わないとするが、辞書には、一時的な様子についての意味説明があるので、にかならずしも、解釈ができないことはないので、一緒に用いることが不適切であると言えない。すぐさまには信じられない、というようなことだ。コラム特有の論理で、ほかの意味内容を認めない前提、また解釈しようとしないので、このコラムの中では誤りを指摘するようなことであるが、これにはこのコラムは困ったものだといつも思う。それで、コラムでは、にわかには信じられない ということが否定表現できるので、にわかには信じがたい ということができるとしているが、ここでもまた、否定の謂い方ではあっても、にわかに信じがたい にわかには信じがたい の違いについて解説をしているものではないので、どれを誤りとし、どれを正しいとするかというのは、十分に理解できている解説ではない。できていない。
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0212 原発作業員の回答監視 東電アンケート 元請けが回収 20140212中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、東京電力が、福島第一原発で働く作業員の待遇面など労働環境改善のために実施しているアンケートを、元請け企業を通じて回収していることが分かった、とある。中段には、JR北 きょう捜索 道警、データ改ざん疑い と見出しがあり、記事の書き出しには、JR北海道がレール幅の検査データを改ざんし監査を妨害したなどとして、北海道警は鉄道事業法違反(検査妨害、虚偽報告)と運輸安全委員会設置法違反(虚偽報告)の疑いで、十二日に同社本社(札幌市中央区)や大沼保線管理室(七飯町)など数カ所を家宅捜査する方針を固めた、とある。その左側の見出しには、中台閣僚が会談 分断後初 政治対話、議題にならず と見える。 . . . 本文を読む
日本語と国語は同じものである。言語として見れば、個別にとらえるので、同じである。その個別とは、一つ一つの言語のなかの日本語ということである。そして国語というとらえ方には個別としての言語よりも国語だけを見て日本語ということになる。いまかりに、地域に英語と国語とがあるならば、その地域の国であればその国語は英語である、というようなことである。そうであるなら、国語とは国で取り決められた言語をさすことになる。その国の公用語また共通語となる。しかし、その国また地域で国語というとらえ方をしても、わざわざ国語という名称を用いる必要があるだろうか。日本語も英語も、そのままに言語であるし、国語と呼ぶことはない。そう考えるにもかかわらず、わたしたちには、問いのような、日本語と国語は同じものかと言われる。これでまた振出しに戻って、日本語と国語は同じである、そうであるのに、日本語には国語というとらえ方があるのか、それを答えることになる。 . . . 本文を読む