語彙について 語義の分類、語意の意味分類と、語彙について言語資料を総体としてみた分類の一つ、意味分類を日本語の古代事象に始まり、現代での意味分類はどのように行われているか。語彙の分類表を見る。分類語彙表が刊行されて、それは現在絶版となっているが、あらたに、分類語彙表-増補改訂版-、がある。さらに、分類語彙表-増補改訂版データベース、 として公開されている。さて、その分類は、番号のもとに、まず、類、そして部門にわかれている。その類は、1 名詞の仲間-体の類 2 動詞の仲間-用の類 3 形容詞・形容動詞・副詞等の仲間-相の類 4 その他の仲間(接続詞・感動詞など) この4類をもとに、部門、中項目、分類項目となっている。部門には、抽象的関係、人間活動の主体、精神および行為、生産物および用具、自然物および自然現象となる。
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台湾からの派遣留学生について、最近の報告、論文がある。戦後の台湾留学生派遣政策の変容、戦前期早稲田大学の台湾人留学生、などである。また、台湾からの留学生受入に関するこれからの方向、について、わかりやすい。『台湾における日本語教育の回顧と未来への展望』
(『新世紀日本綜合研究』国際会議論文集 1999/12/18 台湾日本語教育学会)
近藤 功は1945-1970を日本語教育暗黒期、1970-1980を黎明期、1980~以降を発展期と分けている。
1947年 2・28事件
1949年 5月、台湾全島に戒厳令、1987年7月の解除まで続く。
12月、蒋介石総統台北を中華民国の臨時首都とする。
首都は南京。北京語・華語が「公用語」となる。外国語は「英語」のみとする。
1950年代 経済回復期―インフレを克服し戦前のレベルまで回復。
1952年 日華平和条約締結
1960年代 経済高度成長期―輸出市場の拡大。
1963年 私立中国文化大学で初めて大学の日本語教育開始。
1970年代 経済不安定成長期―第一次・第二次オイルショック克服、
貿易依存度年平均91.3%、貯蓄率年平均32.3%、投資率年平均31.9%、
アジア NIES(台湾・韓国・香港・シンガポール)の旗手。 . . . 本文を読む
現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、紙飛行機に夢乗せ 空高く とあり、副題に、協会会長務め30年、2700種以上設計・国内愛好者10万人 とある。日本経済新聞の文化面、20140912付けである。執筆者は二宮康明氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。
冒頭の文は、次である。
>88歳になった今も、週の半分近くは東京・武蔵野中央公園に通って紙飛行機を飛ばしている。
末尾の文は、つぎである。
>この言葉が未来の丸山町にも当てはまるようにするのが夢だ。
書き出しの文段は、次のようである。
>88歳になった今も、週の半分近くは東京・武蔵野中央公園に通って紙飛行機を飛ばしている。制作中の機種を飛ばし、重心の位置などの様子を見る。だだっ広い原っぱのある武蔵野中央公園は、紙飛行機を飛ばすにはうってつけ。示し合わせたわけでもないのに、天気のいい週末には20~30人の愛好家が集まり大空を見上げる。好き勝手やるのが、長続きの一番の秘訣だろう。
末尾の文段は、次のようである。
>旋回に強く、狭い場所でも楽しく飛ばせる紙飛行機ができないか。目下の研究課題である。
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疱瘡という語は、ある響きをもった。天然痘の俗称と知れ知られ、また、種痘をして、そのあとについてもいうので、腕をまくり上げて、疱瘡のあとがあるかないか。いも がさ とも言う。天然痘の古名とある。古代辞書に、もがさ 〔伊呂波字類抄〕と見える。解説には、 >天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つである。非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残すことから、世界中で不治の病、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症。世界で初めて撲滅に成功した感染症でもある。 と見える。 >大きな感染力、高い致死率(諸説あるが40%前後とみられる)のため、時に国や民族が滅ぶ遠因となった事すらある。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。 以上、ウイキペディアより。 なお、病名の理解をすすめようとするため、説明など不足、誤記がある場合に、医学専門知識によってたしかにしていただくよう、お断りとお願いを申します。 . . . 本文を読む
撤退指摘に「逃げてない」 吉田元所長が菅元首相批判 原発事故 19人の調書公開 中日新聞トップ記事、見出しである。20140912
リードには、政府は十一日、東京電力福島第一原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が関係者から非公開で当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」のうち、吉田昌郎(まさお)元福島第一所長=二〇一三年七月死去=や菅直人元首相ら十九人の調書を公開した、とある。
>現場で事故対応を指揮した吉田氏は二〇一一年三月十五日、東電の作業員らが第一原発から「全面撤退」すると当時の菅政権が解釈した点について「逃げていないだろう。これだけははっきり言いたい」と反論していた。
中段見出しに、朝日社長謝罪、辞任を示唆 「吉田調書」記事取り消し とある。20140912
記事には、朝日新聞社は十一日、東京本社で記者会見を開き、東京電力福島第一原発の吉田昌郎元所長の聴取結果書(吉田調書)をめぐる報道に誤りがあったことを認めた、とある。 . . . 本文を読む