北海道の地震は震度7を観測していたと、気象庁が発表に追加した、余震は1週間、停電、そして通信がマヒする、という状態になって、様相は明らかになるにつれて、北海道全体に、なぜか、関空に起こったことが共通して、電気電子の寸断が、台風風と地震と、最近は、風、雷による異変が起こる。岐阜、三重に竜巻注意報がよく出るようになった。台風の後に、東海には大雨はる予報である。週末、週明けに続く。10年前にも台風一過のことを書く。 . . . 本文を読む
要素に分けると、音韻論に音素、形態論に形態素となる。音韻は音声科学と、形態は文法論とそれぞれに分ける。分節言語を見て、音素と記号素に分けるとらえ方がある。辞書に照らして記号素は語そのものとなるが、形態も同様に語となると、それぞれに、記号論統語論意味論、品詞論構文論という分野で議論される。文法立場を超えることは議論を不毛にすることになることではあるが、語彙論の語素、語彙素という捉え方は、意味論の意義素にも波及して、語の捉え方に議論を起こしている。 . . . 本文を読む
日本語教育はその対象から日本語を言語のひとつとして言語教育を行う。国語教育を国語科目教育として行ってきた内省言語教育に対照して、国語教育と、日本語教育を区別しようとした。国語教育で大陸に進出した日本語は敗戦による転換期を迎えて、国語の尊重、国語の愛護を指導要領を背景に日本国内で唱えるようになって、国語そのものは日本国内教育にとどまって存続をする。日本国となって大日本帝国が行った植民地における国語は歴史的経緯に消滅したのである。と、思われているが、現実には国語教育が果たしていた日本語教育は転換期を経て日本語教育史に再びとらえて記述されようとしているから、日本語教育にあらたな課題を起こしつつある。歴史を言語教育にどいう生かすかは、日本語に限らない、帝国言語教育の解決すべきことがらである。第2次大戦にかかわる日本語教育の視点は、明らかにされなければならないことがらを、どう議論するか。 . . . 本文を読む