文章を書くということができない、という世代。文章が分からなくなって、その形式のスタイルが理解できない、ということが、便利なツールによるワープロ作文で起こっている。これは文字数という制約をワープロ打ちをして数えるところから、その現象に気づいたのであるが、もとをただせば、文章とは何か、段落すなわち文章をつくって分けるという作業をする、それが文章作りの鉄則でなくなりつつある。そういうと、文章作法のうちに原稿用紙に書き起こすという手法がそのままにとらえられていたころのことから、ツールを片手にスマフォの画面で作文をしている時代のことになって、隔たりができたというのではなくて、まったく変わってしまったということである。ワープロが開発されたころに句読を文法規則にソフトにその命令を組み込むことが行われて、日本語文章は自動変換されることになった。その時に、1字空けのスペースは、祖茂キーを打てばよいので、日本文に限らないワープロ、タイプライター作法で、スペースまたダブルスペースを打ち込んで表した。話がそのいきなりのことになるが、コンピュータの画面で出る段落は、日本語文章のスタイルにさまざまなのである。英文のパラグラフにもまた同様であるのだが、打ちあがった文章を編集するところで、自動的に冒頭にあるスペースが寄せられて、空白がなくなってしまう。その段落形式の画面上の文章に見慣れてくると、段落形式の約束事が、えっかとして守られていない。そして、コンピュータ画面では段落を示すのに行替えをして、1行分のスペース、またはそれ以上の空白行のスペースを与えて、文字列の込み合った画面を見やすくする。ウインドウズは、幅を固定しなくても自動で寄せたり広げたりするので、その段落形式は行によってつくられて、わかりよいものとなる。 . . . 本文を読む
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和を考える
2007年12月06日02:06
和を考える
この文字、あるいは、語は日本文化の原点と言ってもよい
求めるところは17条憲法であり、さらには和国すなわち倭国である。
国号の議論はすでに明らかになりつつあることがある
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>倭国王は、大陸王朝に対しては倭国王もしくは倭王と称したが、倭国内においては、王または大王、治天下大王(あめ . . . 本文を読む