日本における漢語の流行現象
―「忖度」を例に―
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いざ子ども 早く日本へ 大伴の
御津の浜松 待ち恋ひぬらむ 巻1-63 山上憶良
去来子等 早日本辺 大伴乃
御津乃浜松 待恋奴良武 山上臣憶良在唐時憶本郷作歌
万葉集の歌に表記するには、日本 と、書くのがよかったのだろう。
大宝2年、702年に渡唐し、帰国と目される。このときは40歳代はじめか。
720年、729年に国史が編纂されて、すでに、日本 の表記はあったのであるから、
この憶良の和歌に見る表記は、ヤマトについて、外地からの呼称に取られたか。
万葉集の編纂が7世紀後半から8世紀にかけて、その万葉時代は629年に即位、舒明天皇以降と、万葉集最後の歌は巻二十の4516番が作られた759年、天平宝字三年までの、約130年間である、このころには倭と日本との表記が自らのものかどうかで意識されていたのである。 . . . 本文を読む