日本語に文という概念は、明治以降のもの、西欧の言語に影響してつくられたものである。句に対して文を設定することは意識されることがなかった、というのは、文法の翻訳概念に前提として文が日本語に入ってきたのである。文と言い、文章とも言っていた翻訳概念は、学校教育の文法に確立して、広くいきわたる。文の成立を文法論議で据えることは異論をはさむのではない。文法の概念そのものに、文がある、文を分析することから始まる。したがって、文法を言うもの、また日本文法を批判するものには必ず、文の成立を捉えて議論をしなければならないが、文に求めるその要素、そこから語について、そして、品詞に至る分析に、日本文法はただ一つの議論を立てようとしてこなかった。文にある必須要素について、その見方を区別することである。結果において、日本文の主語を規定できなくなってしまって、補語にする考え方で、そこにあるのは文を主語述語という構成と、補語述語という構成で立場を分けていることである。文には主語があるが、それはその文の成立に必須要素でないとする議論緒難しさをつくってしまっている。文章に主語があるのである。 . . . 本文を読む
日経新聞見出しより
1面
20181228
車減産、中国で広がる 日産・マツダも
市場縮小が影 景気の減速要因に
世界最大の自動車市場である中国で減産の動きが広がっている。販売不振の米フォード・モーターや韓国・現代自動車などに続き、日産自動車とマツダも2割程度減産する。中国の新車販売(総合2面きょうのことば)は消費マインドの冷え込みなどで2018年に28年ぶりに減少に転じ、自動車工場全体の稼働率は6割台に低迷する。自動車産業は中国…続き
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