論文を議論の文、議論文だと言い、その議論が何かをまた言う。いわば平易に口論する言葉を、研究、学問の領域で書紀された文章で論じ合うことになる。議論をすることを自らがとらえて、その論を立てるのに思索、思考があって、解決すべきテーマに、議論の方法がすなわちそのまま調査、実験の記述になる。論法には証拠、証明が求められるので、それを自らの探究で説得性ある資料をもって表していく。議論であるので、ときには自らのテーマと競い合う議論があると、そこには論を引用することでその明徴を確かにすることが必要である。自らが明らかにしなければ、ほかのなにものも明らかにすることはない。議論文はたとえてその土俵にある。 . . . 本文を読む
これ単語でIT用語でなじみがある用法である。カタカナ語として地名に選ばれる、それには駅の名で、高輪ゲートウエーという。すでに、グローバルゲートを近所に名称として持つ建物があるものだから、えーっ、と感じたが、そう思う人もいないかな。そして、JRゲートタワーというので、ご近所様に、点々、くっつけて見たくなる名である。 . . . 本文を読む