ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の陶磁器(1)

2021-02-26 20:37:58 | 水戸

 水戸で見かけた陶磁器です。プラスチックのなかった昔は、陶磁器や木器が日常生活で広く使われていたのでしょうが、その流れは確実に今に引き継がれているのでしょう。水戸は現在、陶磁器の産地ということではないようですが、目につく陶磁器はいろいろあるようです。

 

縄文土器(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 縄文時代中期(4、500年前)の、折衷土器という、弥生式とその後に出てくる土師器(はじき)との折衷型の、深鉢だそうです。上国井町にある軍民坂遺跡からの出土品だそうです。市内各所で発掘される遺跡から、数多くの土器等が出てきているようで、学校で教わった発掘品規模の感じをはるかに越えた数の品々がみつかっているようです。写真の土器などは、原型がよく分かる出土品のようです。

 

七面焼(江戸時代)(二の丸展示館 三の丸2-6-8)
 徳川斉昭が藩主になって早々に、陶土の探索を藩に命じたものの、ないとの答えだったそうです。斉昭はそれに屈せず、見本の土を送って再調査させて、ようやく水戸藩では天保9年(1826)に製陶が始まったそうです。常磐神社石段のあたりに登り窯が築かれて、七面焼きがつくられたようです。製陶は明治4年まで続いたそうです。写真上は、二の丸展示館にある、二の丸から出土した七面焼きだそうです。写真下は、常磐神社石段(左)脇にある陶器製造所跡の碑(右)です。

 

七面焼(現代)(水戸市植物公園 小吹町504)
 七面焼きはいったん途絶えたようですが、現在は復活して、七面会がその名をついで焼成しているようです。先日市役所に行ったところ、七面会で寄贈したという花器が展示されていました。

 

恵比寿・大黒(日吉神社 酒門町1432)
 残念ながらすでに廃業してしまったボチ屋という焼き物屋がつくっていた縁起物です。水戸で一番有名だったのは、吉田神社近くにあった中村氏が営んだボチ屋のようです。神社で大量に見られる素焼き像ですが、現在完全に見捨てられているようです。

 

オランダ陶器(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 加倉井砂山が運営した日新塾跡(成沢町366)から出土した陶器だそうです。幕末の、攘夷が主流であった水戸藩にも、狭いながら海外に向けた窓があったというあかしなのでしょう。

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