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水戸の見て歩き

水戸・千波湖の話題(1)

2021-02-02 20:49:21 | 水戸

数字
 面積は約33.2㏊、周囲の長さは約3.1km、東西約1,250m、南北約350m、平均水深1.0mだそうです。深さからいうと、千波湖は沼にあたるそうです。写真は平成31年の千波湖で見た初日の出です。

 

成り立ち
 氷河時代が終わって、氷がとけた水で深い谷がつくられたそうです。その後の気温上昇で水面があがり、流れはゆるやかになり、川に土砂が堆積したそうです。そして、海面低下後に那珂川の堆積物で、那珂川への桜川の流入がせき止められて千波湖ができたということのようです。ですからその頃、桜川と千波湖は一体化していたようです。写真は千波湖南岸にある柳崎貝塚の碑ですが、海面上昇の時期にはこのあたりまで海水が来ていたようです。

 

伝説
 昔、朝房山のため、村に日の当たらなかった大足(おおだら)から、ダイダラボウが山を移してくれたそうです。ところがその跡にできたたくさんの池があふれるので、ダイダラボウは、岡を割いて川をつくって水を流し、下流に池をつくったそうです。岡を割いたのでさく川といい、それが桜川だそうで、池は千波湖だそうです。写真は、千波湖南岸にあるダイダラボウの伝説碑です。

 

生物
 千波湖は、ハクチョウ、カモなどの冬鳥の飛来地です。親善都市・彦根市から贈られたハクチョウや宇部市から贈られたコクチョウの子孫も棲んでいるようです。周囲の散策路にはいろいろな種類の桜が植えられたり、花壇には四季の花々が植えられて目を楽しませてくれています。また、周辺を含めて、ホトケドジョウなどが生息する「日本の重要湿地」に指定されているそうです。写真は、重要湿地の表示板です。

 

干拓
  大正9年から始まった、千波大橋以東から備前堀西側までの、旧千波湖東側部分の干拓事業が、昭和7年まで行われ、約68㏊の田や、約20㏊の堤や道路などが生まれたそうです。これによって千波湖はかつての広さの約1/3である、現在の形になったそうです。干拓地は、最初は田だったそうですが、戦後の経済発展の中で、今のような整備された町並みになってきたようです。写真は干拓前の千波湖地図です。

コメント
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