大権現と書かれている神額のいくつかです。権現は、仏や菩薩が、仮の(権)形であらわれた(現)ものが神であるという神仏混淆の本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)による言い方のようです。かつては、今のように神社と書かないで、権現社や明神社としたやしろが数多くあったのでしょう。
八坂神社(西大野36°21'27.2"N 140°31'13.0"Eあたり)
八坂神社、金刀比羅神社、三宝荒神を祀った神社のようです。この神額には、金刀比羅大権現、三宝大荒神とあります。拝殿の中を見ると、正一位稲荷神社のお札も見えました。
十二所神社(牛伏町214)
十二所大権現とある神額です。牛伏2号古墳のあたりにあります。創建は天平8年(736)といわれ、天然痘がはやったために、それを退散させるために、建磐龍命(たていわたつのみこと)を勧請したのがはじまりだそうです。
熊野神社(谷田町450)
熊野大権現とあります。永正年中(1504-20)に菊池氏が勧請した神社だそうです。光圀によって村の鎮守となったそうです。
東照宮(宮町2-5-13)
家康の東照大権現という神号は、秀吉の明神に対して家康を権現とするように天海が主張して、秀忠の裁定によって決まったのだそうです。家康を祀るために元和7年(1621)に子の頼房が建てた神社だそうです。
愛宕神社(愛宕町10-5)
拝殿内部にある神額です。拝殿入り口に掲げられている神額は、愛宕神社となっていますが、こういうかたちが多いようです。昔から権現と言われていた名称が、明治以降の神仏分離で使えなくなったものの、旧名になれた人たちによって部分的に残されたのでしょう。
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