今回は年号のわかる馬頭観世音の碑を選んでみました。こうして見てくると、石碑は石の質や、文字の彫り方、保存状態など色々な条件はあるのでしょうがが、一般的には200-250年くらいがよくわかる限度のような気がしてきました。雰囲気で感賞しようとするのならもっとさかのぼれるのでしょうが。
八幡町神明宮入口付近(36°23'11.5"N 140°27'43.7"Eあたり)
文化14年(1817)と碑の右側に刻まれています。ここにある石碑群は、どれもよくわからなくなりつつあるようです。
飯島町の墓地(36°22'21.4"N 140°23'34.6"Eあたり)
文政6年(1823)です。上部にカンという馬頭観音の種字(しゅじ 梵語)が刻まれています。
鯉淵町(36°20'44.9"N 140°22'42.7"Eあたり)
たぶん文政6年(1823)でしょう。道しるべにもなっているようです。
筑地町の墓地(36°22'10.7"N 140°22'45.6"Eあたり)
天保13年(1842)とあります。この年あたりから徳川斉昭の天保の寺社改革が本格的になっていったようです。
地蔵院(金谷町325)
天保15年(弘化1年 1844)と、碑の向かって右側面に彫られています。この年は、斉昭が隠居謹慎処分を受けた年です。この碑は比較的新しいこともあるのでしょう、文字はまだきれいに残っています。
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