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徳川斉昭の改革余波を受けた寺(4)

2018-10-31 20:12:39 | 水戸

 多くの寺院が処分された、徳川斉昭による天保の宗教改革ですが、すぐそのあとの弘化元年(1844)に、斉昭が幕府から隠居謹慎を命じられて失脚したために、中途半端で終熄していったということのようです。寄寺(よせでら)、畳寺(たたみでら)の説明は徳川斉昭の改革余波を受けた寺(3)にあります。

 

祇園寺(八幡町11-69)曹洞宗
  稲木村(現常陸太田市)の久昌寺跡(光圀の母菩提のために建てられた久昌寺ですが、これより先に天保の宗教改革によって建物は取り壊され、新宿村へ移されたそうです)へ移転させられたそうです。

 

天徳寺(河和田町914-1)曹洞宗
  焼失のために、千波の円通寺へ、寺号、御朱印ともに寄寺になったそうですが、その円通寺が山方村(現山方町)に寄寺になり、また移ることになったそうです。

 

真仏寺(飯富町3427)浄土真宗
  住職が出奔したということで、畳寺になったそうです。

 

長福寺跡(青柳町那珂川堤防側)真言宗
 住職がいない無住ということで、畳寺になったそうです。建物は残ったそうですが、幕末の騒乱でそれも焼失し、明治になって住民共有の墓地が残ったそうです。

 

龍光院跡(大井神社(飯富町3475)の北側)真言宗
 無住のために畳寺となったそうです。この寺には俳人で僧侶の遅月が滞在したそうで、跡地には、遅月が建てた芭蕉句碑があります。写真の場所から右方が跡地です。写真中央に芭蕉句碑があります。

徳川斉昭の改革余波を受けた寺(3)


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