東照宮
側近の天台宗僧侶・天海がとなえた家康の神号・東照大権現が、天皇から死後の諡(おくりな)として贈られたそうです。その家康をまつる東照宮が、はじめ久能山と日光に建てられ、その後多く建てられて、今でも100社を超える東照宮があるそうです。水戸藩では、家康の子である頼房によって、元和七年(1621)に建てられたそうです。
御三家
徳川将軍家に次ぐ地位を持つのが、9男義直が祖の尾張徳川家、10男賴宣(よりのぶ)が祖の紀伊徳川家、11男頼房が祖の水戸徳川家だったそうで、他の諸大名と比べて別格扱いされ、徳川姓を名乗ったり三葉葵の家紋を使うことが許されたそうです。ただし、水戸徳川家は初めは入っていなくて、後に加えられたのだそうです。写真は頼房像です。
黄門
中国に黄門侍郎(こうもんじろう)という官職があって、その職務内容が、日本の中納言に似ていたので、中納言のことを黄門といったそうです。黄門というと光圀のように思われますが、水戸藩主で中納言だった人は7人いるそうです。写真は水戸市植物公園にあった、いかにも黄門像らしい綿を使った作品です。
偕楽園
偕楽という言葉は、中国の古典・孟子の梁恵王にある「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ。故(ゆえ)に能(よ)く楽しむなり。」からとったものだそうです。「人」は賢者、為政者を指すようです。斉昭の書いた弘道館記の文には、弓の一張一弛のように、徳や業に励む「張」だけでなく、「弛」(ゆるみ)がなければならず、それが偕楽園であるといったことがありますが、偕楽の意味は書かれていません。写真は'17の梅まつり前夜の風景です。
天狗党・諸生党
天狗は、徳川斉昭によって取り立てられた下層藩士の成り上がり者が天狗になっているという、門閥派がいった言葉だそうです。一方、諸生は、門閥派の勢力に藩校・弘道館の書生が多かったためにいわれたそうで、改革派は俗論派などといっていたそうです。写真は水戸市埋蔵文化財センター(塩崎町1064-1)にあった解説文です。
水戸に関する言葉の語源(1)
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