橋の欄干(らんかん)の端にある大きい柱のことを親柱というようです。以前は擬宝珠(ぎぼし)をつけたりして、いかにも柱らしいものが多かったようですが、最近は大分変わってきているようです。今回は、伝統型っぽいものを選んでみました。
大手橋(36°22'29.8"N 140°28'42.6"Eあたり)
昭和10年にできた三の丸と二の丸をつなぐ、コンクリート製の橋のようです。親柱につけられた擬宝珠は、徳川ミュージアムに残る、「文禄五年(1596)丙辰(へいしん)二月吉日造之」と刻された、かつての大手橋の擬宝珠を模しているようです。
金剛橋(36°21'46.8"N 140°29'32.1"Eあたり)
明治43年に向かいにある金上(瓦谷)不動尊の信徒によって、備前堀に架けられた石橋の親柱だそうです。この不動尊は、明治末から昭和の初めにはたいそうにぎわったそうで、行事の時は、今のイオンあたりまで行列ができたそうです。別の親柱にはひらがなで「こんがうばし」と書かれています。
本城橋(36°22'23.7"N 140°28'57.0"Eあたり)
二の丸と本丸をつなぐ橋の親柱です。写真左側は、現在の橋の前にあった橋の親柱のようで、「ほんじやうはし」とあります。現在のものの方が、擬宝珠のある古風な姿になっています。現在の橋は、平成14年の竣工のようです。
水府橋(36°22'37.8"N 140°28'53.9"Eあたり)
平成25年に那珂川上に開通した現代的な橋ですが、親柱は、前の橋のものが使われていて、かつての雰囲気を伝えているようです。前の橋は、昭和7年に失業対策も兼ねてつくられ、約30万円かかったそうですが、今の橋は約50億円かかったそうです。写真の水府橋の字は、水が崩し字の読みにくいかたちで書かれています。なお、水府は水戸の別名です。
石垣橋(36°22'05.4"N 140°29'25.6"Eあたり)
慶安2年(1649)に加藤清正の臣・下野有遠らが、築城法の技術で桜川に築いたという石橋がもとあったそうです。ドドメキ橋、不動橋、富士見橋などともいわれたそうです。今の橋は石製ではありませんが、親柱を石でつくったようです。
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