ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の鮭の話(1)

2019-06-25 20:17:44 | 水戸

献上鮭
 寛永5年(1628)から徳川頼房は那珂川をさかのぼる初鮭を甘漬けにして京都御所と幕府に献上したそうです。献上する鮭には2尺2寸の最良品を選び、切り身を寒水を沸かせた塩水に浸し、米と麹に漬けたそうで、初霜漬けといったそうです。斉昭時代、江戸城大奥は斉昭が大嫌いだったそうですが、この初霜漬けは歓迎されたようです。写真は水府橋近くで写したのですが、たぶん鮭釣り風景でしょう。

 

田口茂兵衛
 承応3年(1654)に初鮭を京都御所に献上するために東海道をのぼっていた中間(ちゅうげん 武士に仕え、雑役に従事した奉公人)で35歳の田口茂兵衛は、武蔵国・生麦のあたりで、旗本衆との間でおこった道を譲る譲らないという争いから、武士たちに斬り殺されるという事件があったそうです。これを知って無念に思った頼房は、初鮭献上の飛脚には、それまで帯刀は短刀だけだったのを、長刀を持たせることにしたそうです。写真は仏性寺にある茂兵衛のお墓です。

 

徳川光圀
 光圀は鮭の皮が大好きで、塩引き鮭の皮の厚さが1寸あれば水戸藩35万石と取りかえてもよいというほどだったそうです。(ただし35万石になったのは光圀の次の代・綱條(つなえだ)の時代ですから、話としては面白いのですがどんなものでしょう)

 

菊池七郎兵衛家
  元禄2年(1689)の初冬、徳川光圀が鷹狩りで青柳へ行き、のどがかわいたので、水を所望して農家に立ち寄ったそうです。そこにあった籾俵(もみだわら)に腰掛けたところ、相手が光圀であることを知らなかった主婦に、「その俵は殿様にあげる御城米だから」と叱られ、それが縁で、その菊池七郎兵衛家へ立ち寄るようになったそうです。その後、藤井紋太夫のたくらみを七郎兵衛が光圀に訴えたことから、那珂川鮭漁の権益を与えたそうです。

 

お鮭頂戴
 京都御所と将軍家に鮭が献上されたあと、弘道館の教師へ下される「お鮭頂戴」という儀式があり、それから市場に鮭が出回ったそうです。弘道館では教授頭取が、麻がみしもの礼装で威儀を正して使者と鮭の到来を待ったそうです。写真は門を開けた弘道館です。門の中に見えるのは正庁の玄関です。

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水戸の樹木の花(3)

2019-06-24 19:58:45 | 水戸

 6月に水戸で見た木の花々です。

 

ニッケイ(クスノキ科)
 乾燥させた樹皮は香料や、肉桂皮という漢方薬にもなるそうです。クスノキ、クロモジ、ゲッケイジュなど、クスノキ科の植物には香りのあるものが多いようです。吉田神社(宮内町3193-2)裏手の崖を降りる石階段近くにありました。(撮影6/1)

 

ボダイジュ(シナノキ科)
 お寺によく植えられているようですが、その木の下で釈迦が悟ったというボダイジュはインドボダイジュ(クワ科)だそうです。栄西が間違った木を持ち帰ったという説もあるそうです。これは去年の写真です。信願寺(緑町1-2-1)にありました。(撮影H30/6/8)

 

マテバシイ(ブナ科)
 「待てば椎になる」という語源説よりも、葉がマテガイという貝に似ているという説の方が主流のようです。同じような花を咲かせるスダジイに続いて、今はマテバシイの花盛りのようです。千波湖南岸の千波公園にありました。(撮影6/22)

 

アカシデ(カバノキ科)
 神社で見られるしめ縄などにつける白い紙で作られる紙垂(しで)に花の形が似ているのでつけられた名前のようです。そしてアカは若芽の色からだそうです。イヌシデといっしょに、逆川緑地で咲いていました。(撮影6/23)

 

アメリカキササゲ(ノウゼンカズラ科)
 実の形がササゲ豆に似ているのでついた名前だそうです。明治時代に日本へ入ってきたそうです。逆川緑地の、徳川光圀がつくったという漱石所跡の近くにありました。(撮影6/23)

水戸の樹木の花(2)

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水戸の五叉路(8)

2019-06-23 20:14:14 | 水戸

  五叉路はまだまだあるようです。全隈町の五叉路は斜めの道が森林公園方向です。堀町の交差点は、少し離れていますが六叉路のようでした。

 

プラモ屋ティーゲル(見和2-566)のある交差点

 

山根市民センター(全隈町78-1)の北約500m

 

ロクタ自動車㈱(有賀町2150-3)すぐ先の信号交差点

 

田島町手子后神社西方約150m

 

居酒屋おふくろ(堀町1000−7)のある信号交差点 

水戸の五叉路(7)

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水戸の十九夜塔(3)

2019-06-22 20:41:09 | 水戸

十九夜(川又観音 川又町)
 如意輪観音で、所願成就とあります。上の梵字はサという聖観音をあらわす字のようです。元禄十(元禄10年なら1697年です)まで読めますので、徳川光圀の時代に建てられたようです。

 

十九夜念仏(長福寺 塩崎町1135)
 安永6年(1709)、寺坪講中十七人とあります。これも古い石碑です。

 

十九夜供養塔(満徳寺 赤尾関)
 側面に文政8年(1825)とあり、大変見えにくい正面の上部にある梵字は、キリークという如意輪観音をあらわす字のようです。

 

十九夜観世音塔(天満天神宮 鯉淵町)
 天保8年(1837)に建てられたようで、台石に蔵田坪女人講中と刻まれています。

 

十九夜供養塚(西福寺旧跡墓地 島田町)
 如意輪観音の右側に十九夜供養塚とあります。墓地内にあるイチョウの周囲に並んだ石仏群の中にありました。

水戸の十九夜塔(2)

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水戸の鈴(1)

2019-06-21 19:59:01 | 水戸

  神社拝殿に下がっている鈴は、それをならすことによって、拝む人を祓(はら)い清め、神社の神様が紐部分の鈴緒(すずお)に降臨することを願うという意味があるようです。鈴の姿にもいろいろあるようです。

 

吉田神社(宮内町3193-1)
 水戸を代表する神社の一つである吉田神社の鈴です。拝殿向背には3つの鈴が並んで下がっていました。水戸で外の有名な神社である、水戸八幡、東照宮に、鈴はありませんでした。

 

中根寺(加倉井町595)
 境内にある、和田平助をまつる摩利支天堂にある鈴です。建物に対してずいぶん大きな鈴であるように見えます。ここの鈴緒は、赤、白、紫、緑の4色で、目立つので神様も降臨しやすいのでしょうか。

 

笠原神社(文京2-5-21)
 この神社では、3色の鈴緒に、さらに網掛けがされていました。

 

鹿島香取神社(小泉町)
 鈴と鈴緒がべつべつにつるされています。鈴を鳴らすためと鈴緒保護のためなのでしょう、鈴緒の鈴にあたる部分には紐が巻かれていました。

 

稲荷神社(東照宮 宮町2-5-13)
 東照宮には鈴がありませんでしたが、境内社の稲荷神社には、小さな鈴がたくさん付けられた編んだ鈴緒がさがっていました。

水戸の鰐口

 

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