ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の石造如意輪観音(7)

2023-01-26 18:39:44 | 水戸


 如意輪観音は、その姿が印象的なのでしょう、江戸時代の川柳にもよく詠まれているようです。
 如意輪は工面の出来ぬおん姿 
 如意輪は虫歯の痛むやうに見え
 如意輪は去られたやうな姿なり
 初めの句は、お金が足りなくて困っている姿を、2句目は虫歯で痛がっている姿を、3句目はお相手に去られて失意に沈んでいる姿を詠んでいるようです。観音様は、それは違うぞとさぞ困っていることでしょう。
 今回も18世紀に建立された如意輪観音です。

 

長福寺(塩崎町1135)
 明和3年(1766)とあります。長福寺では、古い石仏をたくさん見ることができます。

 

光台寺(上水戸3-1-39)
 明和6年(1769)とあります。「袴塚村 久保谷中、台谷中、其外念仏 願主」とありますので、念仏講が建てたように見えます。

 

塩崎町共同墓地(塩崎町36.338321, 140.555640あたり)
 安永4年(1775)とあります。この石仏は、頭を支える手はいかにも女性的で、顔はそのあたりで見かけそうな親近性があります。お墓の場合、ひょっとすると、埋葬された女性の顔を意識して彫っているのかなとも思えます。

 

吉沼観音堂(吉沼町686-3)
 安永8年(1779)です。2つに割れているように見えますが、別々の石仏のようです。手前は子安観音(子どもを抱いた如意輪観音)のようで、背後が子どもを抱かない如意輪観音です。ここにも、たくさんの石仏が残っています。

 

光台寺(上水戸3-1-39)
 寛政3年(1791)でしょう。今回、初めの石仏が、5代徳川宗翰(むねもと)の時代、それ以下の石仏は6代治保(はるもり)の時代に建てられたようです。もっとも、宗翰は明和3年2月に死去しているので、全部、治保の時代かもしれません。

水戸の石造如意輪観音(6)

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水戸の雪景色

2023-01-25 16:38:58 | 水戸

桜川(駅南大橋から桜川下流方面)
 昨夜の積雪は水戸で7cmだったそうです。それほど積もったという実感はありませんでしたが、歩道の凍結には難儀しました。駅南大橋から俯瞰すると、桜川の両岸は白く染まり、川面には鴨がたくさん浮かんでいて、よい眺めでした。春は両岸の桜がたいへんきれいです。

 

梅花(偕楽園 常盤町1-3-3)
 寒さで雪が凍り付いたようで、昼近くまで雪が花についていて、写真などは兎かひよこのように見えました。芳流閣という梅のようですが、これでは実にならないでしょう。偕楽園梅林の開花は、まだ1割以下といった感じでした。

 

好文亭(偕楽園 常盤町1-3-3)
 好文亭の軒には、ずらりとつららがたれ下がっていました。これだけらくさんのつららを見るのは久しぶりでした。茅葺きだからこそできる、たくさんのつららなのでしょう。

 

好文亭遠景(偕楽園 常盤町1-3-3)
 偕楽園庭から見た好文亭です。花の時期もよいですが、雪の眺めも見ごたえがあります。左が好文亭本体で、右が奥殿です。

 

水戸黄門像(黄門さんおしゃべりパーク 南町3-6-35)
 風が強かったようで、像の正面に吹きつけられた雪が張りつき、白いお面をかぶったようでした。白面の黄門さんはすこし不気味でした。

 

夜カフェ ORIGAMi(オリガミ 南町1-2-23)
 雪だるまの隣に、「こどもたちへ おとなたちの ほんきのゆきだるま だからさわらないで とけるまでかわいがってね」とありました。寒さが続けばそうとうもちそうです。

 

M-SPO TERRACE BLUE×BLUE(ブルーブルー 南町3-6 M-SPO内)
 ガラスの部分の雪が少しすべったのでしょうか、波模様のようになっていました。

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水戸の花火(2)

2023-01-24 13:05:51 | 水戸

 花火は、軍事や武器にかかわることをしていた人たちが、多く手がけたようです。恐竜が鳥に進化したといった感じで、軍事技術が平和転用されたというところなのしょうか。

 

野村為重
 野村為重は、信州松本で嘉永年間に生まれ、天真流の免許を皆伝したり、東京で新火薬を発明したりしたりて、水戸へ来たそうです。水戸では、明治39年に開催された初回の水戸での花火大会を手がけたそうです。明治29年開始の「水戸の観梅」創始者の一人となったり、ぶどう園を開園したりしたそうです。明治8年に野村花火を創業したそうです。写真は、以前、水戸市産業祭で見た野村花火の展示です。

 

野村陽一
 野村為重が水戸で創業した野村花火は、現在4代目の野村陽一が継いでいるそうです。平成1年に代表に就任した野村陽一は、各地の花火大会で優勝し、数多くの内閣総理大臣賞を受賞した日本を代表する花火師だそうです。花火の五重芯を完成させたり、音楽とシンクロした「ミュージックスターマイン」を進化させたり等々、花火の新しい世界を次々と開拓してきたそうです。写真は、去年の3月に千波大橋から見た花火で、写真下方は千波湖です

 

橋本儀重
 安政4年(1857)、水戸藩に仕えた橋本儀重は、矢倉方(武器係)となり、その後、幕府の講武所にへ派遣されたそうです。帰藩後は、山国兵部と交流し、活動したそうです。維新後は、常磐神社の創立にたずさわり、神社の礼祭日には花火を上げたそうです。また、斉昭のつくった兵法・神発流を伝えようと、伝万世の碑を建てたそうです。写真は、常磐神社(常磐町1-3-1)裏にある伝万世の碑です。

 

橋本東岳
 名は信義で、東岳は号だそうです。絵を武石鷗崖に学んだ水戸出身の画家ですが、花火師でもあったそうです。弘道館玄関に掲げられた弘道館鳥瞰図図は、昭和40年、東岳による模写だそうです。(展示品はその複製でしょう) 東岳の祖父は上でご紹介した儀重だそうです。写真は、弘道館玄関に飾られている弘道館鳥瞰図です。

 

高山勘左衛門
 泉町見付付近に屋敷があった高山勘左衛門は、先祖以来、軍用品や仕掛け花火の知識を持つ家柄で、藩の役職が何であっても同心が5人ついていたそうです。世間ではこの人達を隠密同心といったそうですが、実際は、兵器の研究や探索をしたらしいと、郷土史家・前田香径はいっています。

水戸の花火(1)

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水戸の受賞作品(4)

2023-01-23 08:41:31 | 水戸

まちなかリビング作戦
 「居心地良く歩きたくなるまちづくりに向けて、官民が連携して、まちなかに快適な居場所(=まちなかリビング)を創ります。」という考え方で、令和3,4年におこなわれた社会実験だそうです。空間デザインの価値を未来へ繋ぐために設立された日本最大級のデザインアワードという、日本空間デザイン賞2022のエキシビジョン、プロモーション空間部門で銅賞を受賞したそうです。

 


カチョカヴァロ(森のシェーブル館 全隈町1454)
 カチョカヴァロはイタリアで作られるチーズで、カチョがチーズ、カヴァロが馬の意味で、熟成させる様子が、馬の下げて運ぶ袋の様子に似ているので付いた名前だそうです。ただし、原料は牛乳だそうです。ジャパンチーズアワード2022のパスタフィラータ/熟成部門で最優秀部門賞を受賞したそうです。パスタフィラータは、イタリアのチーズ製法のことだそうです。

 

渡里湧水群を活かす会(渡里湧水群)
 台風被災から復興したところで、令和4年に「歴史的環境の保全と生物多様性が創出された。」として第41回緑の土地賞の総理大臣賞を受賞したそうです。四季の野草が楽しめ、夏にはホタルが舞い、台地下に湧水が連なる景勝地です。

 

茨城県立図書館(三の丸1-5-38)
 ベルカ賞は、「長期にわたって適切な維持保全を実施したり、優れた改修を実施した既存の建築物」を表彰する賞だそうです。平成14年度の第12回ベルカ賞ベストリフォーム部門で受賞したそうです。平成12年に、県議会議事堂を図書館にリフォームしたことが対象になったそうです。議事堂としての竣工は昭和45年だそうです。設計は、茨城県土木部営繕課と㈱日建設計、工事は㈱竹中工務店と㈱昭和建築だそうです。

 

茨城県近代美術館(千波町666-1)
 建築業協会賞(BCS賞)は、一般社団法人 日本建設業連合会が、昭和35年に始めた、優秀な建築作品を表彰するものだそうです。開館は昭和63年で、受賞は平成1年だそうです。設計は吉村順三設計事務所、工事は戸田建設㈱、東鉄工業㈱、昭和建設㈱だそうです。

水戸の受賞作品(3)

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水戸の奉納額(9)

2023-01-22 19:22:46 | 水戸

金刀比羅神社(泉町3-2-8)
 もういいかげんにあまびえの出番がなくなってほしいものですが、まだ今年もお願いしなければならないようです。

 

茨城県立図書館(三の丸1-5-38)
 図書館に絵馬が掛けられていました。以前は、入山札に書きこむようになっていたような記憶がありますが、今年は下げ札のようでした。やはりほとんどが受験の祈願のようでした。

 

笠原神社(文京2-5-21)
 昭和58年とあります。この年は亥年なので、馬を飼っている農家か、本来の絵馬を意識している人が奉納したのでしょうか。この神社には、古今の算額がたくさん奉納されています。

 

地蔵院(内原町908)
 字が読めなくなっていてよく分かりませんが、牛馬を飼育している農家が集団で奉納した絵馬のようです。有賀、見和、大塚、田島などの地名があります。境内にある長田観音堂の外壁に掛けられています。

 

愛宕神社(愛宕町10-5)
 拝殿の中なので、きれいに保存されているようです。皇紀2617年とありますので、酉年の昭和32年に奉納した絵馬のようです。

水戸の奉納額(8)

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