ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の花火(2)

2023-01-24 13:05:51 | 水戸

 花火は、軍事や武器にかかわることをしていた人たちが、多く手がけたようです。恐竜が鳥に進化したといった感じで、軍事技術が平和転用されたというところなのしょうか。

 

野村為重
 野村為重は、信州松本で嘉永年間に生まれ、天真流の免許を皆伝したり、東京で新火薬を発明したりしたりて、水戸へ来たそうです。水戸では、明治39年に開催された初回の水戸での花火大会を手がけたそうです。明治29年開始の「水戸の観梅」創始者の一人となったり、ぶどう園を開園したりしたそうです。明治8年に野村花火を創業したそうです。写真は、以前、水戸市産業祭で見た野村花火の展示です。

 

野村陽一
 野村為重が水戸で創業した野村花火は、現在4代目の野村陽一が継いでいるそうです。平成1年に代表に就任した野村陽一は、各地の花火大会で優勝し、数多くの内閣総理大臣賞を受賞した日本を代表する花火師だそうです。花火の五重芯を完成させたり、音楽とシンクロした「ミュージックスターマイン」を進化させたり等々、花火の新しい世界を次々と開拓してきたそうです。写真は、去年の3月に千波大橋から見た花火で、写真下方は千波湖です

 

橋本儀重
 安政4年(1857)、水戸藩に仕えた橋本儀重は、矢倉方(武器係)となり、その後、幕府の講武所にへ派遣されたそうです。帰藩後は、山国兵部と交流し、活動したそうです。維新後は、常磐神社の創立にたずさわり、神社の礼祭日には花火を上げたそうです。また、斉昭のつくった兵法・神発流を伝えようと、伝万世の碑を建てたそうです。写真は、常磐神社(常磐町1-3-1)裏にある伝万世の碑です。

 

橋本東岳
 名は信義で、東岳は号だそうです。絵を武石鷗崖に学んだ水戸出身の画家ですが、花火師でもあったそうです。弘道館玄関に掲げられた弘道館鳥瞰図図は、昭和40年、東岳による模写だそうです。(展示品はその複製でしょう) 東岳の祖父は上でご紹介した儀重だそうです。写真は、弘道館玄関に飾られている弘道館鳥瞰図です。

 

高山勘左衛門
 泉町見付付近に屋敷があった高山勘左衛門は、先祖以来、軍用品や仕掛け花火の知識を持つ家柄で、藩の役職が何であっても同心が5人ついていたそうです。世間ではこの人達を隠密同心といったそうですが、実際は、兵器の研究や探索をしたらしいと、郷土史家・前田香径はいっています。

水戸の花火(1)

コメント
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