如意輪観音は、その姿が印象的なのでしょう、江戸時代の川柳にもよく詠まれているようです。
如意輪は工面の出来ぬおん姿
如意輪は虫歯の痛むやうに見え
如意輪は去られたやうな姿なり
初めの句は、お金が足りなくて困っている姿を、2句目は虫歯で痛がっている姿を、3句目はお相手に去られて失意に沈んでいる姿を詠んでいるようです。観音様は、それは違うぞとさぞ困っていることでしょう。
今回も18世紀に建立された如意輪観音です。
長福寺(塩崎町1135)
明和3年(1766)とあります。長福寺では、古い石仏をたくさん見ることができます。
光台寺(上水戸3-1-39)
明和6年(1769)とあります。「袴塚村 久保谷中、台谷中、其外念仏 願主」とありますので、念仏講が建てたように見えます。
塩崎町共同墓地(塩崎町36.338321, 140.555640あたり)
安永4年(1775)とあります。この石仏は、頭を支える手はいかにも女性的で、顔はそのあたりで見かけそうな親近性があります。お墓の場合、ひょっとすると、埋葬された女性の顔を意識して彫っているのかなとも思えます。
吉沼観音堂(吉沼町686-3)
安永8年(1779)です。2つに割れているように見えますが、別々の石仏のようです。手前は子安観音(子どもを抱いた如意輪観音)のようで、背後が子どもを抱かない如意輪観音です。ここにも、たくさんの石仏が残っています。
光台寺(上水戸3-1-39)
寛政3年(1791)でしょう。今回、初めの石仏が、5代徳川宗翰(むねもと)の時代、それ以下の石仏は6代治保(はるもり)の時代に建てられたようです。もっとも、宗翰は明和3年2月に死去しているので、全部、治保の時代かもしれません。