ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の橋の高欄にある模様(2)

2023-10-21 21:02:54 | 水戸

高天原橋(河和田36°22'20.3"N 140°25'02.9"Eあたり)
 河和田にある高天原という小字の地には、縄文時代から古墳時代にわたる遺跡があるそうで、石斧や土器などが出土しているそうです。橋の高欄には出土品をデザインして並べているようです。桜川にかかる橋です。

 

美都里橋(36°22'06.7"N 140°28'16.4"Eあたり)
 かつて付近に千波湖を南北に渡る、何代かの水戸里橋が場所を変えてつくられたそうですが、昭和51年に今の美都里橋が整備されたそうです。鉄骨を三角形に組み立てたトラス橋だそうですが、歩道部分の高欄は、トラス構造を意識したのでしょうか、逆三角形の模様になっています。桜川にかかる橋です。

 

千波大橋(36°22'09.9"N 140°28'07.6"Eあたり)
 平成14年に開通した今の千波大橋は、駅南一帯の発展に大きな役割を果たしたようです。その高欄は写真のような現代的なデザインになっているようです。橋の親柱には前の橋にあったように見える古風な照明があります。これも桜川にかかる橋です。

 

堤橋(堀町36°23'51.1"N 140°25'24.8"Eあたり)
 この橋は、高欄をねじって、その高さをそれぞれに変えて、波形をつくっています。沢渡川にかかる橋です。

 

七ツ洞公園アーチ橋(下国井町2243)
 イギリスの庭園を強く意識して作られた公園なので、この橋もそうなのかもしれませんが、繊細な模様の装飾が施されているようです。

水戸の橋の高欄にある模様(1)

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水戸の骨(1)

2023-10-20 20:54:34 | 水戸

人骨(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
 台渡里廃寺跡(だいわたりはいじあと)から、江戸時代に埋葬された身長154cmの男性骨格が出土したそうです。台渡里廃寺は、徳輪寺という7世紀に建てられたお寺のようですが、その跡地に墓地がつくられて、埋められた骨のようです。骨といっしょに、愛用品だったらしい煙管と、三途の川の渡し賃である六文銭も出土したそうです。去年埋蔵文化財センターでおこなわれた、「あやしいどうぐ展」に、パネルが展示されていました。

 

アンコウの骨(かぶと 三の丸3-8-17)
 かぶとは、毎年、調理して残ったアンコウの骨を店先に飾っていて、名物になっているようです。これだけ並ぶと、骨の存在感はなかなかなもののようです。

 

骨董(シオハタ 見川2-29-13)
 大言海によると、「ことこと」とか、「ごたごた」という擬声語からできた言葉だとしていますが、諸説あるともありますので、著者の大槻文彦も確信はなかったのでしょう。一方、漢字の「骨」も「董」ともに「しんになるもの」といった意味があるようです。前者は大したものではないというイメージで、後者は価値があるというイメージのようですが、どちらも「こっとう」ということばのもっているイメージのようです。「米庵墨談」は、「古器をいう匫董(こつとう)の訛り」としているそうです。写真は見川にある骨董シオハタです。河和田にあるしおはたはお父さんの店のようです。

 


豚骨ラーメン(とんこつ家 高菜水戸店 千波町1281-1)
 豚骨ラーメンは、豚骨を高温で煮て、骨髄の脂質やコラーゲンなどを溶出させただし汁をつかってつくるラーメンのようです。脂質が乳化して白く濁るのだそうですが、捨てるべき骨のうまい活用法なのでしょう。写真は、とんこつ家 高菜水戸店の豚骨醤油ラーメンです。

 

火の見(消防24分団 大足町(おおだらちょう)1318)
 鉄骨を組んで作った古いスタイルの火の見です。半鐘が鉄骨の途中に下がっています。このタイプは、私が見た限りですが、水戸では2つになってしまったようです。もうひとつは、近くの黒磯町にあります。大足の火の見は、見張りの囲いが装飾的で、黒磯町のものより新しい感じがします。火の見や橋などの鉄骨造りの建造物は、消えつつあるようです。

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水戸の地獄極楽

2023-10-19 21:15:18 | 水戸

 地獄極楽と、地獄が先にいわれるようです。煩悩の多い私などには適当な順序のような気はします。地獄は六道の一つで、最下層に位置するようですが、一番上は天界(天上)というようで、極楽とはいわないようです。極楽は阿弥陀仏の浄土で、私達の住む世界の西方十万億土(さいほうじゅうまんおくど)のかなたにあるそうです。
 今回は水戸で地獄や極楽の名前がついたものを探してみました。

 

極楽橋跡碑(吉沼町36°21'49.4"N 140°31'24.8"Eあたり)
 光格天皇から正一位を授かったという香取稲荷があるために、神社東方に下馬橋が、西方に極楽橋があり、藩主は下馬橋で駕籠を降りて極楽橋まで歩いていき、再び駕籠に乗ったといわれているようです。極楽橋で駕籠に乗ることができた藩主は、「ああ極楽極楽」といったそうです。光格天皇は、徳川斉昭に期待していたそうで、光圀に従二位権大納言の追贈したりしているそうなので、香取稲荷神社もそうしたことと関係しているのでしょうか。写真は古い橋を紹介するで、背後に見えるのが新しい橋です。

 

極楽世界碑(本法寺別院 河和田町4382-100)
 満州開拓関係殉難者を祀る納骨墓所として中国哈爾浜(ハルピン)市郊外につくられた日本人公墓を改称して極楽世界という碑を関係者が建てたそうです。その後、現地で碑の建て替えを期に、古い碑を国内に運び、写真の新しい碑を平成15年に建てたそうです。

 

極楽湯(大塚町1838−1)
 全国展開しているスーパー銭湯の水戸店のようです。深夜まで1日ゆっくりとくつろげる娯楽施設のようです。

 

境橋(渋井町36°21'33.5"N 140°30'48.4"Eあたり)
 幕末の騒乱で処刑された人々が埋められた「土壇場」ともいわれた地で、今は渋井町緑地という公園になっているあたりにある境橋です。そうしたことから、写真の新川にかかる橋を地獄橋とかつていっていたそうです。現在は境橋と書くようですが、方言読みの「さかえばし」というようです。

 

地獄坂(36°22'16.0"N 140°28'14.8"Eあたり)
 「本名匂ひ坂という由(よし)、諸人地獄坂と異名す」と、「水府地理温故録」(高倉胤明著)にあるそうです。地獄坂は通称で、本来は、匂い坂とか梅香坂といったそうです。たしかに急勾配で大変な坂のようです。

 

アリジゴク((鯉淵学園農業栄養専門学校  鯉淵町5965)
 ひたすらに獲物が落ちてくるのを待つ、ウスバカゲロウの幼虫や、それがすむ穴をアリジゴクというようです。乾燥した細かい砂のある、神社や木の根元などで見られるようです。アリばかりでなくワラジムシなども餌になるようです。幼虫時には糞をせず、羽化のときにまとめてするそうです。

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水戸出身・藤田東湖の話(3)

2023-10-18 20:06:02 | 水戸

 西郷隆盛は、われ先輩にては藤田東湖、後輩にては橋本左内を推す 橋本左内は、東湖二人なし。後世また東湖あらざるべし 横井小楠は、色黒い大男は、中々見事なり と、それぞれいっているそうです。写真は、水戸市立博物館に寄贈された、原石川村(現・元石川町)で東湖が幟旗揮毫(のぼりばたきごう)のために使用した硯だそうです。

 

 結城寅寿(とらじゅ)が、徳川斉昭に士分には妾をもたせて男の子をうませるのがよいということをいったことを聞き込んだらしい東湖は、自分の妾を不相応の帯をしめたとかいうことで暇を出したそうです。妾とは、天狗党の筑波山挙兵の藤田小四郎の母のことだそうです。

 

 君公にしたがって無職となり、今は田の祭も出来ない老人、こうした世の変化を怪しむなかれ、もとは梅香に住まいしたので東に湖があるとして東湖と号したが、今は逆さになって、湖の東(湖東)である竹隈にいるのであるから といった意味らしい滑稽漢詩を書いているそうです。

 

 蟄居で住んだ竹隈では、酒の肴は鰯のぬたや奴豆腐くらいが常で、鰹の刺身は最上等だったそうです。酔うと腕相撲、枕引き、はては長押(なげし)へ両手を掛けて足をちぢめての長押渡り、といった具合だったそうです。徳利は床脇の李白集と書いた本箱の中に入れてあり、下の引き出しに盃が入っていたそうです。

 

 江戸に戻り、白山で乗っていった馬の口を洗ったとき、付近の人相見に剣難の相があるといわれたと、寄って酒を飲んだ知人の家で笑って話していたそうです。それは東湖が死亡する安政の大地震の4-5日前だったそうです。

水戸出身・藤田東湖の話(2)

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水戸の水鏡(5)

2023-10-17 20:31:22 | 水戸

かたくりの里公園(有賀町2053-2)
 カタクリが群生している斜面下の水面に、いかにもカタクリらしくひっそりと花がその姿を映していました。底に沈んだ枯れ葉を背景にして、下向きの花がのぞけるようなかたちになっていました。

 

茨城県立歴史館(緑町2-1-15)
 茨城県立歴史館周囲の池に、講堂の石垣が映っていました。写真を90度回してみると、伏せた本のように見えました。

 

田(有賀町国道50号線沿い)
 水の入った田は、絶好の水鏡になるようです。首を疲れさせることなく雲を眺めることができそうです。

 

月池の柳(偕楽園公園 千波町)
 長く枝を垂らすシダレヤナギのようで、水面に枝が届いていました。うまくつながっていて、どこが水面なのからないくらいです

 

水たまり(常磐神社脇)
 雨上がりの水たまりも水鏡が楽しめるようです。これなどは緑が広がって目に心地よいようです。

水戸の水鏡(4)

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