PROLOGUE
行ったことありますか?
そこは最高の服に出会える場所。
服キチガイの店員と語らえる場所。
ずっと私の一番だった。
バーニーズ・ニューヨーク
音楽と、服。
この二つはセンスを養う上で
必要不可欠だった。
偏り気味の私は一度決めると
とことんのめりこむ。
初期の中学時代はリーバイス。
もう、デニム類は当たり前。
靴下、トランクス。これも当たり前。
靴までリーバイス。
財布もリーバイス。
家に帰って読むのはリーバイスのカタログ。
高校時代。次ぎにきたのが
ハリウッド・ランチ・マーケット。
脳天気なリーバイス・デザインから
鋭い代官山センスへ。
実際に私が通っていたのは
ブルー・ブルー・ヨコハマという
港をコンセプトとした店であった。
実際、波止場に面したところにあり
明治時代の倉庫を改築した建物
にはなんとも、趣があった。
リーバイスづくしの私には
新たな刺激が満載だった。
高校2年に初めて入って
購入したのはデニムの雪駄と
デニムのスウェット・ハーフ・パンツ。
「これで2万弱かよ!」
それ以前との価格設定の差に驚いた。
が、そこにある違いは明確であった。
もう毎週通った。
あの港町の空気に溶け込みたかった。
ノルウェイ旅行したときはその港町から
ブルー・ブルー宛に手紙を出したりした。
実家の山下公園の店から歩いて5分程度
だったし、いつも私がたむろしていた
エリアだったし、通い易かった。
大学に入ると更に頻繁に通った。
毎日通った。その頃にはすでに
頭から靴までブルー・ブルーだった。
港町の雰囲気の行き着いたところ。
それはコンセプトの限界であった。
作り上げられた架空の世界には
やはり限界があったのだ。
コンセプトという夢から覚めると
ブルー・ブルーで買った
服や、モノから魅力が禿げ始めた。
ぼろっ ぼろっ
そして。
1998年。
私は当時の自分で考えつく最高峰
バーニーズ・ニューヨークへ
足を踏み入れる。
リアルを求めて。
そこはなんとも威圧的であった。
実は高校時代にも入ったことがあった。
だが、制服でウロ・チョロしていた
私は黙殺された。
全身「港町男」だった私は
ぎこちなく店内を歩き回った。
探していたのは、ジーンズ。
やはり、まず買うのはこれしかない。
だが!売ってない!
あるのはキレイなジャケットや、ニットや・・・
私の許容量を遥かに越えるアイテムであった。
ハイパー・紳士服といったところか。
私はボスらしき店員さんに聞いた。
「ジーンズありますか?」
するとその人の目は光り
「いいのあるよ!」
胸が高鳴った。
この店の雰囲気、あの凄いひとが
「いい」というのはどんなんだ!?
この時点で私は
「リアルな服はここにある」
と確信した。
出されたのはヘルムート・ラング・ジーンズ
であった。
イヴ・サンローラン、クリスチャン・ディオール。
ハイ・ブランドは当時いっせいにジーンズへ
情熱を傾け始めていた。
バーニーズでも、ラング・ジーンズが皮切り
となってその後のカジュアル路線の展開が大きく
変わっていく。
試着室も今迄入ったどれよりも凄かった。
とにもかくにも威圧的、いい意味で。
そのジーンズに足を通した瞬間、
「これ欲し~!」
と心の底から物欲が溢れ出した。
まさに、欲しいもの。ドンピシャだった。
次の瞬間、フと恐くなる。
「いくらだ、これ?」
そういえばフロアをチョロ・チョロ見た
時点で、パンツはどれも3万はしていた。
それ以上の方が多かったし。
おそるおそる値札を見る。
「2万してない!」
嬉しくて顔がこわばった。
財布の中身はちょうど2万くらい。
その場で購入決定。
その人はビッグ・セレブ氏。
いまだに私はその人を尊敬している。
同じ美容院に通い、飲みに連れていってもらい・・・
教えを乞うた。
セレブリティズム。
19歳の私はその華やかな扉を開けた。
日常から離れ浮遊できる人たち。
その業界を支えるセンス・ギンギンの人達。
とりまくキレイな女性達。
隅っこからその世界を覗きたかったのだ。
ビッグ・セレブ氏はパーティー好きで
よく開いていた。幸運にも度々誘ってもらい
何度かまぜてもらった。大人の遊び方を
かいま見た。
バーニーズ・ヨコハマの6Fのフロアは
徐々にアグレシッブな動きを見せる様になる。
スーパー・紳士服からストリート・ファッションへ。
ラベンハムのジャケットを買ったのは'98年の
冬であった。あれがもしかすると一番嬉しかった
買い物かもしれない。思わず駆け足で店を目指した
のを今でも覚えている。そこでビッグ・セレブ氏の
弟子であるリトル・ベアー氏に出会う。それ以降の
実際のアドバイスはベアー氏からもらった。
ファッションの師である。
ベアー師とは私的にも仲良くして頂いた。
オシャレな家で奥さんの手料理をご馳走になり
パジャマ姿でゴロゴロしたりさせてもらったり。
私の家では、マイ・ルームで書いたが
錯乱状態を見破られたりした。
ベアー師は鋭い感性の持ち主で私にはどの色がいいか
良く知っていた。私が侠気を意識しハードなモノへ
手を出そうとすると決まってとめられた。
「君はこっち」と。
マルジェラをよく薦めてもらった。
また、これにあうのはどこどこのあれと
外部の情報もくれた。
そしてやがてポップの波が押し寄せる。
リーバイス・レッド
フェイク・ロンドン
マハリシ
グリフィン
スローガン
アタッチメント
ディーゼル
まさに熱狂した。
'60sでいえば、フラワー・ムーヴメント
のようだった。ビートルズの
リボルバーからサーンジェント。
あの勢いを思い出してもらえばいい。
とにかく新しさに満ちていたのだ。
それら新作は半年前の内覧会で
すでに紹介をうけ、めぼしいものは
予約を入れた。夏の服を冬選ぶ。
当時の私にとってはしごくかっこよく
思えた。
その内覧会というのも
ビッグ・セレブ氏の演出により
普段のフロアはパーティー会場と
化す。照明は落とされ、音楽は
上げれられ。その中シャンパンを
飲みながら服を選ぶ。
ワン・ワールド。
あの時はそう信じていた。
センスは国境を越える。
いいモノは世界共通であると。
自分の延長線上に世界は開けていた。
マイ・ルームでいえば2から3
までの時代である。
バーニーズ・ヨコハマ6F。
ここの激変はまさに革命的であった。
ビッグ・セレブ氏はフロア・チーフ
から役職が上がり、横浜店全体を見る
ポジションとなる。
次世代を築いたヨシノリ氏は
クールでマッドなナイス・ガイであった。
服に全てを捧げるあの人の姿勢は
さながらロックしていた。
狂乱の波が治まりを見せ始めると
次ぎには無骨なブランド達が台頭してくる。
カルペ・ディウム
まさに鬼。
全てをそぎ落としたかのような革の塊。
色は深く落ちた色。
「ルーシー・イン・ザ・・」を歌った
ジョンが次のアルバムでは「ヤー・ブルース」。
そんな感じだった。
金額的にもちょこちょこつまみ買いできる
ものではない。そのシーズンは一着かって
ジ・エンドみたいな存在。
ライダース・ジャケット。
私はそれをフロアー内のトップと見定めた。
「あれを手に入れてやる」
様々の紆余曲折をへて
でも確実に購入した。
当時すでに着るためというよりは
手に入れるためだけに金を使っていた
ように思う。それだけのハイ・センス
に袖を通し、動く。鋭敏なセンスに
身を任せるとでも言おうか。
それを着た自分がどう見えるかなど
どうでもいい話だった。
買わずにはいられない。友人達から
は病人と言われた。
セレブリティズムへの旅はこの
ライダースを買った時点で終わりを告げた。
何がそうさせたのか当時は気付かなかったが
あの熱気は2度と戻ってはこなかった。
その後も勢いあまって服は買い続けたが
マイ・ルーム4、5を読んだ方はご存じの様に
その後の私は本当に病気にかかっていた。
その間の買い物は服にすがっていただけである。
そしてサラリーマン時代は
日々のうっぷんを服ではらしていただけ。
「本当の自分はこんなじゃない」
怠惰な現実から逃避するために服を
買い続けたのだ。
あのライダースまでがセンスを磨く
健全な旅だったと今は知っている。
高揚感や感動は純粋だった。
言い訳ではあるが、ダメだった当時の
私は服買いに変わる楽しみを探す気力
が無かったとも言える。
現に、脱サラした後は急速にバーニーズ
から足が遠ざかる。行ってもそれは買い物
ではなくベアー師との語らいのためであった。
山下埠頭でのクレイジー・ライフ
マイ・ルーム6当時、服などはどうでも
よかった。訳ではないが、ギャグで服を
楽しむのに夢中だった。全身メイド・イン
・ユー.エス.エーはその頃から始まる。
そしていよいよ。
マイ・ルーム7。
それまでずっと、服の置き場と着替える
スペースというのは重要な場所であった。
まさに、キモだったのである。
だが、7に入った私は全て消し去る
勇気があった。ライダースを含め
若干は未だに聖域を維持しているが。
先輩にお願いし、フリー・マーケットへ
出店。そこで今迄のこころを売り払った。
10万、手に入れた。
その金で伊勢神宮へ。
身もこころも浄めたとでも言おうか。
なんだか妙に軽くなった。
そして一部の思い出以外は何も
無くなり、空虚な部屋で
思うがままのブログ更新の毎日となる。
そろそろ結論に入るぞ。
バーニーズで私が求めたリアル。
あれは幻だったのか。
大きな声で言おう。
「全てリアルだ」と。
人が生きていればその回りで起きる
ことは現実に決まっている。
現時点での自分を無視し、リアルを
求めてさまよう姿がかっこいいはずない。
25歳を過ぎても自分探し、ふざけんじゃねえ。
そんなことができるのは裕福だから。
親が、もしくは国が。
ゆとりに埋没し何が現実なのかも分からない。
どこが実際の腹のラインかも分からぬぜい肉と同じ。
鋭いセンスを求めフ~ラ・フラ。
私は言おう。
リアルは自分で作るものだと。
ある程度の年齢を過ぎれば全て自己責任。
存在が薄いこと程悲しいことはないのだ。
自分とかけ離れた場所で浮遊する
セレブリティ達は悲しい。
ネットを彷徨うクラフト・マン達
も悲しい。
目の前のリアルはメディアの虚像である。
銭湯いって大きな鏡で見てみな。
自分を。その他群衆の中にいる姿を。
センス。
世界共通の最も尖ったものを求めていた。
だが、実際はセンスだけじゃないんだ。
その流れの中で人が生きて初めて意味がある。
存在する意味がある。
センスを選ぶ自分がいて成り立つ。
その自分なしで無謀に憧れへ突っ走るのは
若気の至り。その時代には必要だけどな。
最近の流れは自分を無視し過ぎる。
ニュー・リッチなセレブ層はここ5年
で確実に増えている。だが薄いのだ。
前のバブル期の名残を感じさせてくれた
ビッグ・セレブ氏にはもっと存在感
があった。また、彼の顧客の富裕層
はやはり重い存在だった。
雰囲気が染み付いているとでも言おうか。
只、只、憧れていた。
お金の流れが今迄とは違ってきたのか。
組織的な運用で回していたのが今では
個人レベルで巨額の資金を運用できる。
白人は20世紀初頭からそうしてきたが
彼等はやはり石。明確なアイデンティティ
を持っている。バーニーズはそんな
彼等のご用達先として誕生した。
その点日本は現在急速なアメーバ化の
真ッタダ中。でも表層はセレブリティ面。
その薄さの拡大が許せないのだ。
目標がそこになってしまっている。
金もうけりゃ全て手に入るのか?
センスは金で買えるのか?
絶対そうじゃない。
ロシアでは日本より一足お先に
ニュー・リッチの台頭があった。
で、その姿をみて私は怒った。
そこに文化は無く利権をむさぼる
リアルじゃない奴らがウヨついていた。
おいおい。あのディープ・アンド・クレイジー
なロシア人はどこいっちまったんだよ・・・
それと同じようなことが日本でも起きている。
今の潮流をニュー・センスと勘違いして
正当化もしくは新時代の幕開けと期待してる
ゴミ達。そう信じ込まされてる凡人。
今の社会がいかさまなこと
くらいオレでも分かるわ!
私の心底憧れたのハイパー・紳士服時代の
バーニーズ。旧来のセレブリティは大人だった。
センス万能主義のポップ爆発時代。
熱狂とともにかつての秩序は崩壊、新時代の予感。
バーニーズはカラフルだった。
熱狂後に訪れた静寂。ホンモノ。
もうこれ以外いらない、くらいの強烈なアイテム。
バーニーズはハード・ボイルドだった。
あとはころがしの時代。
客はニュー・リッチが増えたので自然と賑わう。
新鮮身にかけたとしても構いはしない。
だって売れるもん。
仕舞いには伊勢丹メンズまでその路線。
気がつきゃ百貨店みんなそろってクール・ビズ。
アホか。
今の日本はそんな明るいのか?
そんだったら以前の売れない紳士服の方が
まだ面白かった。駄目ならつぶれろ。