ミレニアムのはじまり。
2000年からの10年間を振り返りたいと思います。
手元に資料は一切なし。単なる感覚で綴っていきます。
一言で言い切ると、「意味ない時代」であったとは
最近書きましたね。
うふふ
一昨日、久しぶりに映画をみたんです。
鳥肌実氏主演のタナカヒロシのすべて。
「まさに、時代の空気感を表しているな」って思った。
インザプールとか、’00年代中盤に百花繚乱のごとく
現れた無意味な作品たち。おじいさん先生とか。
まず最初に虚無感ありきみたいなのがありましたね。
一方で、技術革新が人間の限界を超えてしまった時代
でもありました。身近な話題では、デジタル音源が
アナログ音源に近づき、追い抜きという。
更にはダウンロードで手軽に入手できるようになったという。
前者が何をもたらしたか、といえばかつての名盤が鮮明に
蘇り往年のファンはもちろんのこと、若年層へも革命的な
インパクトを与えたということ。それまでは、デジタルフォーマット
で育った人間にとって旧譜というのはやや薄い存在で。
CD選書であったり、アーカイブ的な商品はあったが
音質的なバリアでその魅力は薄められていた。
そのバリアが徐々にハードルを下げてゆき
かつて、アナログ新譜で世に放たれた当時の輝きを取り戻し
現在の新譜を吹き飛ばすほどの威力を発揮し始めたのである。
そもそもが、飽和状態であるのに、熱心なリスナーは
振り返りの時間を増していくこととなる。
最後に残るのはやはり虚無感。
「あのころは良かったなと・・・」
そして、ダウンロード。
手軽に、楽曲を手に入れるスタイルが浸透し
アルバムという単位すら薄らいでしまう状況に。
そして欲しい曲のみを、すさまじいサイクルで
追うというスタイル。ここでもバリアフリーですね。
かつての、レコード屋に足を運び
少ない小遣いの中でアルバムを選ぶという行為が
えらくストイックに思われてしまうのである。
モノへの執着時代が薄い世代は、虚無なのである。
かつての音源がまるで目の前にいるかのごとく
鮮明に蘇る一方
音楽商品はコンパクトディスクなどの形を
ともなわなくなり、送り手からリスナーまで
の距離は無きに等しくなった。
一部、有料であるし無料の場合はそれなりの労力
が必要ではあったが。
ユビキタス、遍く存在する時代がまさに到来しているのだ。
そしてその中に身を置いてみて思うこと。
虚無。
無意味であるのだ。
神学が廃れ、経済学が廃れ
そして学生は求めなくなった。
雇用形態が崩れ
家庭が崩れ
政治が崩れ
これらは皆が求めなくなっていったからのこと。
止めどなく進む技術に飲み込まれ
自分に何が必要なのかすら分からなくなり
結局何も求められなくなり
全ては無意味へと向かっていった。
そのあまりの虚無感をいとおかしとし、
その魅力が光った時もあったが、
その光を受け取るだけのゆとりがなくなってしまっては
何も、残らない。
人々が求められない時代なので企業やら何やらは
鬼のような形相で、効率で人間の欲望をあぶり出そうと躍起である。
そしてそれらがまた大きな虚無を生むと。
ネヴァーエンディングストーリーで言ってたでしょ。
あの通りだよ。
まともも、滑稽もない世界。
どこをどう、とらえても無意味。
ファッションも、やはり音楽と似たり寄ったりですね。
トラッドの復権は、まるでリマスター盤のようだし
ファーストファッションみたいのはダウンロードのようだしね。
それまでの時代にあったような、清々しさは微塵も無い。
さて、次の10年はどんなでしょうか。
だいたい、3年前くらいから胎動は聞こえてくるはず。
しかし、ここまでの10年間が人類史上もっとも過酷なもので
あったことは言うまでもない。20世紀までとは違い
10年スパンという区切りもなくなるか。
いや、でもしかし私は思うのである。
我々は肉体をもって生まれてきた「人間」であると。
ユビキタスの完成は人間の死に近い。
そうなるはずはないし、なって欲しくない。
ユビキタスとは偽りの浄土であり
いずれは煩悩の業火でやかれるはずのものではないかと。
まともに生きる時代というのが次に控えている気がする。
2000年からの10年間を振り返りたいと思います。
手元に資料は一切なし。単なる感覚で綴っていきます。
一言で言い切ると、「意味ない時代」であったとは
最近書きましたね。
うふふ
一昨日、久しぶりに映画をみたんです。
鳥肌実氏主演のタナカヒロシのすべて。
「まさに、時代の空気感を表しているな」って思った。
インザプールとか、’00年代中盤に百花繚乱のごとく
現れた無意味な作品たち。おじいさん先生とか。
まず最初に虚無感ありきみたいなのがありましたね。
一方で、技術革新が人間の限界を超えてしまった時代
でもありました。身近な話題では、デジタル音源が
アナログ音源に近づき、追い抜きという。
更にはダウンロードで手軽に入手できるようになったという。
前者が何をもたらしたか、といえばかつての名盤が鮮明に
蘇り往年のファンはもちろんのこと、若年層へも革命的な
インパクトを与えたということ。それまでは、デジタルフォーマット
で育った人間にとって旧譜というのはやや薄い存在で。
CD選書であったり、アーカイブ的な商品はあったが
音質的なバリアでその魅力は薄められていた。
そのバリアが徐々にハードルを下げてゆき
かつて、アナログ新譜で世に放たれた当時の輝きを取り戻し
現在の新譜を吹き飛ばすほどの威力を発揮し始めたのである。
そもそもが、飽和状態であるのに、熱心なリスナーは
振り返りの時間を増していくこととなる。
最後に残るのはやはり虚無感。
「あのころは良かったなと・・・」
そして、ダウンロード。
手軽に、楽曲を手に入れるスタイルが浸透し
アルバムという単位すら薄らいでしまう状況に。
そして欲しい曲のみを、すさまじいサイクルで
追うというスタイル。ここでもバリアフリーですね。
かつての、レコード屋に足を運び
少ない小遣いの中でアルバムを選ぶという行為が
えらくストイックに思われてしまうのである。
モノへの執着時代が薄い世代は、虚無なのである。
かつての音源がまるで目の前にいるかのごとく
鮮明に蘇る一方
音楽商品はコンパクトディスクなどの形を
ともなわなくなり、送り手からリスナーまで
の距離は無きに等しくなった。
一部、有料であるし無料の場合はそれなりの労力
が必要ではあったが。
ユビキタス、遍く存在する時代がまさに到来しているのだ。
そしてその中に身を置いてみて思うこと。
虚無。
無意味であるのだ。
神学が廃れ、経済学が廃れ
そして学生は求めなくなった。
雇用形態が崩れ
家庭が崩れ
政治が崩れ
これらは皆が求めなくなっていったからのこと。
止めどなく進む技術に飲み込まれ
自分に何が必要なのかすら分からなくなり
結局何も求められなくなり
全ては無意味へと向かっていった。
そのあまりの虚無感をいとおかしとし、
その魅力が光った時もあったが、
その光を受け取るだけのゆとりがなくなってしまっては
何も、残らない。
人々が求められない時代なので企業やら何やらは
鬼のような形相で、効率で人間の欲望をあぶり出そうと躍起である。
そしてそれらがまた大きな虚無を生むと。
ネヴァーエンディングストーリーで言ってたでしょ。
あの通りだよ。
まともも、滑稽もない世界。
どこをどう、とらえても無意味。
ファッションも、やはり音楽と似たり寄ったりですね。
トラッドの復権は、まるでリマスター盤のようだし
ファーストファッションみたいのはダウンロードのようだしね。
それまでの時代にあったような、清々しさは微塵も無い。
さて、次の10年はどんなでしょうか。
だいたい、3年前くらいから胎動は聞こえてくるはず。
しかし、ここまでの10年間が人類史上もっとも過酷なもので
あったことは言うまでもない。20世紀までとは違い
10年スパンという区切りもなくなるか。
いや、でもしかし私は思うのである。
我々は肉体をもって生まれてきた「人間」であると。
ユビキタスの完成は人間の死に近い。
そうなるはずはないし、なって欲しくない。
ユビキタスとは偽りの浄土であり
いずれは煩悩の業火でやかれるはずのものではないかと。
まともに生きる時代というのが次に控えている気がする。